狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

はじめにお読みください(注意書き&目次)

注意

このブログは、頭に貯めておくと駄目になりそうなことを文字にして吐き出す場所です。際どいテーマを記事にすることが多いと思いますが、それらを推奨・礼讃しているわけでありません。

 

また、特定のイデオロギー、思想、ある種の団体、特定政党、政権ないし政策に賛同または反対を表明するものではありません。政治的意図もございません。あしからず。

 

私は受け入れつつあります。

報われないであろうこと。

楽しみと呼べるものが少ないこと。

人に愛されないこと。

人を愛する感覚が無いこと。

壊れた人生であること、狂っていることを受け入れつつあります。

狂気従容です。

夢も希望もありません。

熱意や興奮もありません。

恋人もまともな家族もおりません。

友人は……少しだけおります。

ないない尽くしです。しかし、まだ死ねません。

生に未練があるのです。

 

目次

創価学会関係(教義、組織、歴史)

創価学会の歴史1 - 狂気従容

創価学会の歴史2 - 狂気従容

創価学会の会員数について(圧倒的な少子化) - 狂気従容

創価学会員物語1(仕事と家族) - 狂気従容

創価学会員物語2(婦人部の特異性) - 狂気従容

アメリカ創価学会の衰退 - 狂気従容

教義問題の思い出 - 狂気従容

創価学会の教義問題について(教義の一貫性とか独自性とか) - 狂気従容

創価学会の教義問題(その先にあるもの) - 狂気従容

創価学会の教義問題(本仏論) - 狂気従容

創価学会の教義問題(大御本尊関連) - 狂気従容

創価学会の教義問題(創価学会と日蓮正宗の不一致) - 狂気従容

創価学会の教義問題(日蓮と平和主義) - 狂気従容

創価学会の教義問題(知られていた矛盾と今後の課題) - 狂気従容

創価学会の教義問題(適当な本尊選び・宗創問題の不毛さ) - 狂気従容

創価学会の教義問題(いずれまた変わる教義) - 狂気従容

創価学会とインターネット - 狂気従容

創価学会職員について - 狂気従容

創価学会は戦わなくなった - 狂気従容

信仰の試行錯誤 - 狂気従容

創価学会が失敗した理由 - 狂気従容

創価学会の教義問題(日蓮は何を残したかったのか) - 狂気従容

創価教育機関の余命 - 狂気従容

米国公文書から読む池田会長の辞任劇と昭和54年問題 - 狂気従容

創価学会の教義問題(罰論功徳論と本尊) - 狂気従容

信濃町に目を付けられる人 - 狂気従容

価値創造と日蓮主義 - 狂気従容

会員が創価学会から離れる理由 - 狂気従容

約束された崩壊へ(創価家族の末路) - 狂気従容

創価学会の教義問題(無量義経と戸田城聖) - 狂気従容

本部職員の存在意義 - 狂気従容

本部職員の傾向 - 狂気従容

池田大作怒る(創価大学での思い出) - 狂気従容

池田大作との思い出 - 狂気従容

心こそ大切なのか - 狂気従容

創価学会の女性について - 狂気従容

半径5mの地獄 - 狂気従容

創価学会の推移(年表) - 狂気従容

八王子学生部の思い出 - 狂気従容

正木伸城氏のコラムを読んだ感想 - 狂気従容

嫌われているのは創価学会か - 狂気従容

創価学会の会員数について(統計データによる) - 狂気従容

使い古された言葉ー創価学会の元ネタ - 狂気従容

問われる創価学会の存在意義 - 狂気従容

 

創価学会公明党関係(公文書を中心に)

大阪都構想と創価学会 - 狂気従容

創価学会とアメリカ大使館(政変に関連する意見交換) - 狂気従容

公明党の歴史(前編) - 狂気従容

公明党の歴史(後編) - 狂気従容

公明党と自民党の歴史(自公連立政権ができるまで) - 狂気従容

創価学会と安全保障関係(アメリカ大使館との協議) - 狂気従容

創価学会とアメリカ大使館(内情の伝達) - 狂気従容

池田大作と公明党の相違1(1975年の公文書より) - 狂気従容

池田大作と公明党の相違2(創共協定に関連する公文書より) - 狂気従容

選挙活動の思い出(2009年の衆院選) - 狂気従容

巡航ミサイルと公明党と学会員 - 狂気従容

公明党は右傾化したか - 狂気従容

遠山清彦衆議院議員の辞職に見る創価の格差社会。 - 狂気従容

野党が公明党をガチ批判しない理由 - 狂気従容

連立政権ー歴代2位の与党歴の公明党 - 狂気従容

翻弄された沖縄公明党-在日米軍基地政策への葛藤 - 狂気従容

創価学会員と立憲民主党 - 狂気従容

創共協定と反共勢力としての創価学会(1975年のアメリカ公文書より) - 狂気従容

公明党の安全保障政策、その二枚舌(1977年の外交公電より) - 狂気従容

公明党は恥を知れ……そもそも恥もクソもねぇよ - 狂気従容

公明党に妙手なし - 狂気従容

 

宗教諸々

補陀落渡海 - 狂気従容

宗教2世・3世の問題について - 狂気従容

宗教から離れたいときー宗教2世3世へのTips - 狂気従容

 

社会情勢(かなり偏った)

いずれ起きる大規模テロ事件に関して-コロナはテロを誘発する - 狂気従容

現代日本政治のおさらい - 狂気従容

日本の犯罪傾向(コロナは犯罪も自粛させる) - 狂気従容

コロナはテロを誘発する2(身近な動機) - 狂気従容

安倍政権とスキャンダル(第一次安倍内閣の頃) - 狂気従容

コロナはテロを誘発する3(50万分の1のリスク) - 狂気従容

コロナはテロを誘発する4(試される6月、無差別・通り魔事件の季節性) - 狂気従容

インセルはテロの潮流になるか - 狂気従容

安倍元総理の国葬について - 狂気従容

 

軍事

おすすめ軍事書籍ー戦争における「人殺し」の心理学 - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ー普通の人びと - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ーこれが人間か - 狂気従容

おめすす軍事書籍ー ペリリュー・沖縄戦記 - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ー容赦なき戦争 - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ー機関銃の社会史 - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ー裏切られた空 Der verratene Himmel - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ー兵士たちの戦後史: 戦後日本社会を支えた人びと - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ードキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 - 狂気従容

ウクライナ紛争の情勢悪化について - 狂気従容

アメリカ空母に助けられた話 - 狂気従容

私観みなぎる回想(国防議論とかその辺) - 狂気従容

ロシアによるウクライナ侵攻について(3/13現在のちょっとしたまとめ) - 狂気従容

ロシアによるウクライナ侵攻について(3/26現在、予期される結末について) - 狂気従容

ロシアによるウクライナ侵略について(4/10のまとめ) - 狂気従容

ロシアによるウクライナ侵略について(6/4のまとめ) - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ーイワンの戦争 - 狂気従容

おすすめ軍事書籍ー日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦 - 狂気従容

 

自殺について(死なないで)

希死念慮に、自殺に飲み込まれそうになったら、他の何かをすること - 狂気従容

コロナによる自殺者数の増加 - 狂気従容

5月までが勝負(出来る備えをしましょう) - 狂気従容

東京七輪ピックになるのか - 狂気従容

国民の1%が自殺する国、日本 - 狂気従容

自殺を否定できない - 狂気従容

 

雑感・雑談(あるいは心地よい狂気)

他人の人権が嗜好品になりつつある - 狂気従容

好奇心は猫を殺すが、無関心は人を殺す - 狂気従容

改革・変革を望むのなら - 狂気従容

孤独な私と人権問題 - 狂気従容

科なくしてテロリスト - 狂気従容

感覚の違いを乗り越えるのは難しい - 狂気従容

弱者男性について当事者が思うこと - 狂気従容

東京都議会議員候補 Salemのマニフェスト - 狂気従容

ブラックユーモアの嗜み - 狂気従容

結婚とか労働とか弱者男性とか(ほぼ雑談) - 狂気従容

事件から1ヶ月、山上容疑者への雑感。あるいは私の感傷。 - 狂気従容

 

個人的なこと(基本的に暗い話)

何とか生き延びた - 狂気従容

DontBeSilent、壊れた我が人生。 - 狂気従容

拝啓、創価大学様 - 狂気従容

大学恩師からの便り - 狂気従容

大学時代の与太話。あるいは、ホラ話。 - 狂気従容

恩師逝く - 狂気従容

シラフが辛い日曜日 - 狂気従容

ブログを始めて1年が経ちました - 狂気従容

久しぶりの上京 - 狂気従容

池田大作逝去

 池田大作逝去。95歳だった。氏の訃報に触れて、私個人は悲しみも喜びも無い。池田大作が生きていようが死んでいようが、私の壊れた人生は変わらないからだ。創価学会3世として生まれた私は、あの男がいなければこの世に存在することも無かっただろう。存在するお陰で随分と苦しい人生を歩んでいる。未来も明るくない。とはいえ、氏に個人的な恨みはない。大学の創立者としての池田大作は嫌いじゃなかった。学内で特に悪いことをされた記憶はない。

 

 何度か記したと思うけれど、創価学会は戦後日本社会を批評する上で外せないテーマだと私は考えている。それは公明党という政治勢力の変遷という意味だけでなく、復興-成長-停滞-衰退という軌跡を描いてきた日本社会の縮図、そのサンプルとして示唆深いものがあると思う。地方と都市部の対立だったり、世代間の格差だったり、学術的な切り口は色々あるだろう。

 

 昭和を駆け抜け、平成に奮闘し、先の見えない令和に突入する群像劇の舞台。池田大作は劇中、一大俳優だった。創価学会が自らのナラティブとして宣揚している貧困や傷病からの復帰、地域の連帯、「一家和楽」の物語は多くの日本人が肯定してきたそれである。今現在、その物語は社会情勢の変化によりかつてほど受けが良くない訳だが、それもまた創価学会の中に、個々の創価学会員の人生にヒントがあるように思う。

 

 惜しむべきは、創価学会もそして池田大作も、あまりまともな研究の対象とされてこなかったことだろう。3流の宗教ネタとして、あるいは選挙の票を上げ下げする為のツールとして、創価学会は“内外”に利用されてきたと思う。教義問題を正面から扱うよりも、公明党の施策を統計や公文書から批評するよりも、奇異な宗教団体として湿った好奇心を満足させる方が、反日・反社会団体としてとして吊るし上げた方が、日蓮直系と自尊心を満たす方が、庶民の味方として売り物にした方が、より簡単に低コスト低リスクで目的を果たせてしまった。平成の前半、遅くとも自公連立10年の節目くらいには、もう少し客観的な調査批評対象とすべきだったと私は思う。それをしなかったのは日本人、そして創価学会員自身の選択である。

 

 徐々に衰退していくことが予測されている創価学会が今後まともな研究対象になる確率は低いだろう。山上徹也の銃弾が跳弾して宗教2世が注目されても、あまり状況は変わらなかった。創価学会に限らず、宗教団体全般をもう少し客観的に論証しようという試みがあるのは知っている。その運動が陽の目を見るまで、日本の宗教団体が勢力を維持しているか疑わしい。必要なタイミングで必要な成果を出すのは難しいだろう。念のため付け加えると、そういうムーブメントを牽引している人達を無力だと揶揄したいわけでは無い。大勢は決しているだろうとの私の推測である。もしまた宗教団体が注目される日が来るとすれば、本当に大きな社会変動ないし事件でも発生した時だ。

 

 これまでも本ブログで何度か紹介してきたように、創価学会、そして時には池田大作本人が米国大使館と政治的なコミュニケーションを交わしてきた歴史がある。これは並大抵の宗教団体あるいは普通の名士には出来ないことだ。創価学会は権力の一部を構成している。池田大作はその組織において、俳優兼監督として多くの人生に影響を与えた。それぞれの地において主演俳優を務める創価学会員にとって、池田大作は監督であり演技の見本だった。作品や俳優の好き嫌いとその出来栄えは違うものである。好みでないけれど、パフォーマンスを評価できる作品ないし役者というのも存在するだろう。逆もしかりである。

 

 ともあれ、池田大作はもういない。表舞台から姿を消して久しかったので、実際はとうに居なくなっていたと評価することもできる。しかし今は本当にいなくなった。私が気にすることがあるとすれば、創価大学生の行く末である。学内では、なにかと創立者池田大作を意識する機会が多い(好むと好まざると)。今の現役学生は表舞台にいた池田大作をほぼ見たこと無いだろうから、私が在学していた頃に亡くなるよりかは影響控えめだろう(私が在学時に亡くなっていたら周囲の空気を掴めなくて私は困っただろうな)。とはいえ、無視できるものでは決してない。

 

 創大生には池田大作創価学会固執することなく、自由にものを考えて頂きたいと思う。思慕と客観的な批評を並立させることはできる。昭和3年生まれの人間の、それも他人に切り取られた言葉に執着する必要はない。21世紀なりの評価を下し、それとは別に好きなように想えばいい。

恩師の墓参り

 赴いても何も変わるはずはない。失った夢や時間が帰ってくるわけでもない。それは分かっていたのだが、行かざるをえなかった。自分の意思で創価学会の墓苑に行くのはそうないことだ。

 

 電車を乗り継ぎタクシーに乗り込んで数時間。恐らくは都心部の学会員の多くが人生の終着点とするであろう墓苑を目指した。途中、車窓から見える景色が東京を離れるにつれ少しずつ田舎になっていった。移動する方角が違くなると(私は基本的に東西にしか移動しない)日本の見え方も変わるものだと感じた。師の出身地域に入ってからは明らかに灰色が減った。豊かな自然と集落の調和から、寂れているのとは違うのどかな雰囲気が伝わってきた。恩師は30歳近くまで彼の地で生活していた。おおらかなあの人が生まれ育った風景に違いなかった。

 

 駅からタクシーで30分。バスは1時間に1本あるかないか。アクセスはお世辞にもよくない。多分にマイカーで来訪することが前提になっている立地条件だ。学会の墓苑全般に言えることだが、とにかくアクセスが悪い。現役世代の層が厚い間はそれでも良かったのだろうが、高齢者だけでお参りするのは困難を伴うだろう。その内地域の学会員で墓苑バスツアーが始まるかもしれないと思ってしまった。

 

 生前、恩師の母親が亡くなった際にどこにお墓があるかは伺っていたので行くべき場所は把握していた。しかしながら、墓苑内のどこに納骨されているかは知らなかった。創価学会の墓苑では受付施設内で墓の検索ができる。検索機械で手間取っていると受付の青年が丁寧に教えてくれた。何となくだが、創大生のような気がした。

 

 墓石に水を掛け、無くした信仰心で7文字を唱えた。その日は良く晴れていて暑かった。墓石にもう一度たっぷりと水を流した。本当はウイスキー黒ラベルでも供えたいところだったが、学会の墓苑はお供え物禁止である。墓に飲ませるのは品がない。匂いにつられて野生動物がやってくるかもしれないとも思った。だから水を流すだけにした。

 

 取り敢えず生きています。それ以外に特に報告することも無かった。いや、言いたいことはあるにはあったけれど、今更言っても仕方がないことだった。生きていることに感謝出来るような日が私に来たならば、もう少し報告することもあるだろう。

 

 お盆も過ぎていたので墓苑は閑散としていた。いや、墓地が満員御礼と言うのもいただけないだろう。私が訪れた墓苑は街中から離れた小高い場所にあった。奇麗に整備されていた。見た範囲では管理が行き届いていた。緑豊かな風景によく溶け込んでいた。

 

 行きのタクシー代が4000円弱かかったので帰りは途中まで足に頼った。街を知るには歩くのが一番だと思う。丘の上のニュータウン、古い砂防施設、B級感を纏う県道沿いの店舗、雑踏としていない駅前。ドラマの出張回にでも使われそうな雰囲気だった。刺激的な展開は期待できないだろう。しかしながら各々に物語がある。そういう街なのだろう。

 

 発展し損ねた中小都市の我が故郷(そして今は私の生活基盤地域)で生きるために働いている日々が、何てことのない田舎街を青い芝生に仕立てたのかもしれない。それとも、久しぶりの遠出が私のハードルを下げたのだろうか。

 

 帰りの新幹線で寝過ごさない程度に黒ラベルを味わっていると、家族連れが多いことに気が付いた。帰省かあるいは旅行か。彼等には看取ってくれる人物がいるのだろうと独り言が漏れそうになった。シラフだったら耐えられなかったかもしれない。その日は寄り道することなくクソみたいな地元に戻った。

自衛隊車両のウクライナへの提供はおそらく武器提供にあたる

 日本がウクライナに100台規模の自衛隊車両を提供することになった。殺傷能力がないとはいえ、いよいよ日本も一歩踏み込んだ形だ。

https://www.mod.go.jp/j/press/news/2023/05/21_01.pdf

 

 ウクライナに提供される車両はいずれも汎用車両で、人員資材の運搬を主目的としている。戦車や自走砲と違い、車両自体に殺傷能力はない。一部の車両は火器の設置が可能ではあるが、あくまでもオプションで設置可能という程度のものだ。

 

 以前の記事でウクライナへの武器提供について考えていることを記事にした。

https://kyouki-shouyou.hatenablog.com/entry/2023/04/24/000901

 

 汎用車両は政治的ハードルがそこまで高くない(それ単体に殺傷能力が無いため)。保守メンテナンス的にどうかと思う部分があったけれども、民間車両用のリソースを活用できるということだろう。 

 

 さて、殺傷能力の無い自衛隊車両であるが、これはおそらく武器に該当する。そして、現行の解釈で提供出来るかは本来的には際どい部分を含むと思われる。日本は、ロシアがウクライナへの全面侵攻を開始した直後、防衛装備移転三原則の運用指針に「国際法違反の侵略を受けているウクライナに対して自衛隊法第116条の3の規定に基づき防衛大臣が譲渡する装備品等に含まれる防衛装備の海外移転」を新設して、ウクライナに防弾チョッキ(とヘルメット)を提供した。

https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/bouei3.pdf

 

 自衛隊法第116条の3では、途上国への不用装備品等の譲渡がうたわれているけれど、「装備品等(装備品、船舶、航空機又は需品をいい、武器(弾薬を含む。)を除く。以下この条において同じ。)の譲渡」とあるように現行では武器弾薬は提供できない状態である。では武器とは何か、武器の定義はどうなのかと言うと、これは経産省の輸出貿易管理令(昭和24年政令第378号)別表第1の1の項に記載されている。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=324CO0000000378

 

別表第1の1の項を以下に引用する。

                        別表第一(第一条、第四条関係)

       

(一) 銃砲若しくはこれに用いる銃砲弾(発光又は発煙のために用いるものを含     む。)若しくはこれらの附属品又はこれらの部分品

(二) 爆発物(銃砲弾を除く。)若しくはこれを投下し、若しくは発射する装置若しくはこれらの附属品又はこれらの部分品

(三) 火薬類(爆発物を除く。)又は軍用燃料

(四) 火薬又は爆薬の安定剤

(五) 指向性エネルギー兵器又はその部分品

(六) 運動エネルギー兵器(銃砲を除く。)若しくはその発射体又はこれらの部分品

(七) 軍用車両若しくはその附属品若しくは軍用仮設橋又はこれらの部分品

(八) 軍用船舶若しくはその船体若しくは附属品又はこれらの部分品

(九) 軍用航空機若しくはその附属品又はこれらの部分品

(十) 防潜網若しくは魚雷防御網又は磁気機雷掃海用の浮揚性電らん

(十一) 装甲板、軍用ヘルメット若しくは防弾衣又はこれらの部分品

(十二) 軍用探照灯又はその制御装置

(十三) 軍用の細菌製剤、化学製剤若しくは放射性製剤又はこれらの散布、防護、浄化、探知若しくは識別のための装置若しくはその部分品

(十三の二) 軍用の細菌製剤、化学製剤又は放射性製剤の浄化のために特に配合した化学物質の混合物

(十四) 軍用の化学製剤の探知若しくは識別のための生体高分子若しくはその製造に用いる細胞株又は軍用の化学製剤の浄化若しくは分解のための生体触媒若しくはその製造に必要な遺伝情報を含んでいるベクター、ウイルス若しくは細胞株

(十五) 軍用火薬類の製造設備若しくは試験装置又はこれらの部分品

(十六) 兵器の製造用に特に設計した装置若しくは試験装置又はこれらの部分品若しくは附属品

(十七) 軍用人工衛星又はその部分品

 

 (七)にあるように、軍用車両は武器扱いである。経産省のQ&Aによれば、以下の説明分が記されている。以下引用する。

安全保障貿易管理**Export Control*Q&A

 

 「防衛装備」とは、「武器」及び「武器技術」のことをいいます。「武器」とは、輸出貿易管理令(昭和24年政令第378号)別表第1の1の項に掲げるもののうち、軍隊が使用するものであって、直接戦闘の用に供されるものをいい、「武器技術」とは、武器の設計、製造又は使用に係る技術をいいます。いずれの定義もこれまでと同様のものです。なお、「防衛装備」に当たるか否かは、当該貨物(技術)の形状、属性等から客観的に武器専用品(専用の武器技術)と判断できるものとし、いわゆる汎用品は、防衛装備移転三原則における「防衛装備」には該当しないものとしています。

 

 今回提供する車両は軍用車両である。軍用車両は武器扱いであるから、別表第1の1の項だけを考えれば、殺傷能力は無くとも武器と解釈出来るだろう。経産省のQ&Aにある「軍隊が使用するものであって、直接戦闘の用に供されるものをいい」の「直接戦闘の用」がどこまでを指すのか判断するのは難しい。前線まで兵員を運ぶのは、「戦闘の用」には該当するのではないかと思う。火器類を車両に設置して発砲した場合、「直接戦闘の用」に該当する。迫撃砲やミサイルを運搬する場合、車両から降ろした砲やミサイルがその場で発砲したら「直接戦闘の用」に該当するかもしれない。長距離砲撃を行う大砲類に弾薬を運搬するのも、「直接戦闘の用」と言えるかもしれない。正直なところ、線引きは困難だ。

 

 実際のところは、自衛隊規格の汎用車両が現地でどのように運用されるか、見てみないと分からない部分もある。今回提供される車両は装甲化されていないので、敵の攻撃に脆弱である。余り前線に近い場所で運用すれば、直ぐに撃破されてしまうかもしれない。後方で、縁の下の力持ちとして使用される可能性もある。ただ、民間車両が兵員運搬に使用されているくらい物が無い状態なので、軍用車両が安全な場所だけで仕事を任される保証はないだろう。

 

 上記の別表第1の1の項によれば、防弾チョッキも(そして軍用ヘルメットも)武器扱いになる(項目十一に該当)。そして防弾チョッキやヘルメットは、前線の兵士が使用するならば「直接戦闘の用」に該当すると言わざるを得ない(敵の銃弾や砲弾の破片から身を守る装備なので戦闘以外に活用方法がない)。車両提供も同様であるが、民生品の存在する汎用品という解釈も出来なくはないけれども、苦しいだろう(自衛隊車両=軍用車両なので)。

 

 現実に目を向ければ、解釈論議を言葉遊びと評する人もいるだろう。砲撃誘導に用いられる小型ドローンの多くは民生品だと思われるが(何なら爆撃もする)、明らかに「直接戦闘の用」に供されている現状を見れば、法的な解釈が道具の用途や価値を定義するわけでは無いことは明らかだ。創意工夫が求められる戦場なら尚更だ。

 

 今回の車両提供に限らず、本来日本は殺傷能力の有無に関わらず、自衛隊法第116条の3の規定を根拠にウクライナへ武器を提供するのは解釈的に難しいのではないかと思う。日本の安全保障政策は、それこそ憲法を筆頭に、状況が困難になってから解釈を構築してきた部分があるので、今回もその一例と言われればそれまでかもしれない。あるいは、私が知らないだけでスッキリとした解釈がどこかにあるのかもしれない。

 

 いずれにせよ、日本は大きく一歩踏み込んだ。

原子力発電所への武力攻撃について

 原子力発電所へのミサイル等による武力攻撃を危惧する話が度々話題になる。あのロシアですら原子炉建屋(格納容器)を破壊する目的で原発を攻撃していない現状、原発を直接狙うような国とまともな外交関係を築けるとは思わないけれども、実際、日本の原発が攻撃されるリスクとはどのようなものか考えてみる。まずは基本的な話として、以下4点を考慮する必要がある。

 

  1. 日本は日米安全保障条約により米国と同盟関係にある
  2. 日本への武力攻撃は米国の反撃を引き起こす
  3. 日本の原発を直接攻撃することは米国からの核による報復を招く恐れがある
  4. 原発の原子炉建屋(と格納容器)は非常に頑丈で外から破壊するにはそれなりの火力が必要である

 

 1~3の時点で、原発への直接攻撃は攻撃する側にもかなりのリスクが存在することが分かるだろう。4に関しては、原発の原子炉建屋(と格納容器)を破壊するには、巡航ミサイル、弾道弾、大型の航空爆弾、あるいはある程度の戦力を有したコマンド部隊が必要となることを意味している。

 

 現状、日本と交戦しそうな国と言えば、北朝鮮、中国、ロシアの3ヶ国であるが、彼等が日本の原発を破壊するとしたら、実行能力的にかなり困難なミッションとなるだろう。格納容器を正確に破壊するには、それなりの命中精度が必要となる。弾道弾はものによっては原子炉建屋には当たりそうではあるが、格納容器を吹き飛ばすには命中精度的に運の要素が絡むだろう(通常弾頭の場合)。巡航ミサイル、航空爆弾は精度的には申し分ないけれど、迎撃される確率が高くなる。コマンド部隊による強襲は、武器の運搬や部隊の潜入が順調に進み、原発を警護する警備隊をすみやかに排除できた場合、任務を達成できるものと思われる。

 

 どの手段を用いてもハードな任務である。何かと話題のドローンでは、火薬量的に足りないだろう。大型のドローンを日本国内に持ち込むのは難しいだろうし、建屋の中にある格納容器を破壊するにはやはり火力が足りない。どうにかして大量の火薬を日本国内で確保して(トン単位で)、VIED方式でトラックにでも載せてカミカゼした方が確実だろう。しかしながら、日本国内で大量の火薬を手に入れるのは困難だ(協力者がいれば多少らくになる)。

 

 つまるところ、日米安保の抑止力と、目標への到達困難さから、原発が武力攻撃によって破壊される蓋然性は高くないのである。ここまでは、既に多くの方が指摘している話である。

 

 では戦時において原発にリスクは無いかと言えば、必ずしもそうではない。原子炉建屋の直接破壊以外の部分に目を向ければ、弱点は存在する。外部電源である。3.11の事故において、核燃料および格納容器が損傷してしまった原因は、外部電源と非常用緊急電源の両方を損失し、原子炉を冷却できなくなったことにある。原発が稼働している場合、原発で用いる電力は原発自身が提供する。忘れがちであるが、原発を利用するにも電力が必要である。稼働していない原発においても同様で、維持管理のために電力を使用する。この場合は外部電源に依存することになる。

 

 外部電源となる発電所の多くは火力発電所だと思われるが、火力発電所は攻撃の対象となり得る。実際、ロシア軍はウクライナの火力発電所を攻撃している。また、NATOによるユーゴスラビア空爆においても発電所は攻撃対象になった(火力発電所かは確認できなかった)。但し、NATO軍による発電所攻撃は停電爆弾(送電線をショートさせるための繊維が詰まっている爆弾)を使用したソフトキルが主体だったと思われる。ロシア軍はミサイルや無人機による物理的な破壊を狙ったが、ウクライナの電力供給を止めることはできなかった(一時的な被害は発生した)。火力不足だろう。

 

 ウクライナの前線近く、ロシア軍が占領しているザポリージャ原発では、外部電源の損失が発生している。

https://www.cnn.co.jp/world/35201169.html

ザポリージャ原発は稼働を停止しているが、電源損失が続けば(緊急発電機の燃料も尽きれば)、重大事故は免れない。ロシア軍の攻撃による外部電源の損失が、意図的なものかは不明であるが、原発を直接攻撃しなくとも、原発を危険な状態に追い込むことは可能である。

 

 日本の場合、例えば再稼働に向けて整備中の女川原発では、外部電源は複数系統を確保し、非常用ディーゼル発電以外にも、ガスタービン発電機車および電源車を配置するなど、電源損失を防ぐための措置が取られている。電源確保の多重化または多様化は、他の原発においても採用される。以下、「実用発電用原子炉及びその附属施設の位置、構造及び設備の基準に関する規則」より抜粋。

実用発電用原子炉及びその附属施設の位置、構造及び設備の基準に関する規則 | e-Gov法令検索

(安全施設)

第十二条 安全施設は、その安全機能の重要度に応じて、安全機能が確保されたものでなければならない。

2 安全機能を有する系統のうち、安全機能の重要度が特に高い安全機能を有するものは、当該系統を構成する機械又は器具の単一故障(単一の原因によって一つの機械又は器具が所定の安全機能を失うこと(従属要因による多重故障を含む。)をいう。以下同じ。)が発生した場合であって、外部電源が利用できない場合においても機能できるよう、当該系統を構成する機械又は器具の機能、構造及び動作原理を考慮して、多重性又は多様性を確保し、及び独立性を確保するものでなければならない。

 

 ガスタービン発電機車などは原発施設内あるいは周辺に配置されているので、これを武力攻撃することは原子炉への直接攻撃とみなされるだろう。それ等が使用する燃料の貯蔵施設に対しても同様である。問題は先にも述べたように外部電源にある。外部電源である火力発電所、そこからの電力網(変電所や送電線)が攻撃対象となった場合だ。もっとも、電力網を広域的に破壊するにはかなりの火力投射が必要で(ロシアは失敗した)、原発を直接狙う以上の難易度があるかもしれない(そして攻撃国本土の同様施設が報復対象になる)。

 

 潜入したコマンド部隊が送電線の破壊を目的とした場合、原発施設を狙うよりも容易に任務を達成するだろう。それこそ、小型ドローンにアルミホイルでもぶら下げて送電線にぶつければ一時的な停電は引き起こせる。継続的となると鉄塔や変電所を爆破する必要性が出てくるけれども、やはり原発を直接狙うよりかは容易だろう。

 

 非常用発電には継続的な燃料投入が必要になるので(火力発電所にしても同様ですが)、外部電源が損失した状態で原発にアクセスするための橋梁や主要道路が損傷した場合(これは直接攻撃とみなされるかもしれないが)、燃料供給が途絶え全電源損失という事態は発生しうる。原発が停止している場合であっても、電源損失が続いた場合、核燃料の損傷は引き起こされる(冷却機能の停止による)。それで直ちに周辺住民に健康被害が発生するとは限らないけれども、被害拡大防止に多大なリソースを割くことにはなるだろう。攻撃が段階的であれば、警告を発する余地も残る。

 

 攻撃側が意図することなく、ミサイル攻撃等で外部電源の損失と非常用発電の燃料供給が停止してしまい、全電源損失を経ての核燃料や格納容器の損傷が発生した場合、どこまでの報復攻撃が可能だろうか。やはり同様の報復攻撃をするだろうか。報復攻撃に原発を直接狙わなくとも、巨大ダムの破壊くらいはするかもしれない(ダム攻撃は過去の戦争でも何度か行われている)。

 

 実際問題、意図することなく全電源損失が発生する蓋然性がどのくらいあるかは不明瞭だ。電力網を広域にわたって寸断した時点で原発への影響は推測されるだろうし、そもそも実行能力的に可能であるかも疑問が残る。前述したように、広域にわたって継続的にインフラ施設を無力化するにはかなりの火力投射が必要になり、日米の防空網を破って成果をあげるには攻撃側も多くの戦力を割くことになる(つまり前線で必要な火力が減少する)。また、日本本土の電力網を破壊しようとした時点で、攻撃国の本土が報復攻撃の対象となる。それがたとえ通常兵器によるものだとしても、無傷では済まされないだろう。コマンド攻撃、サイバー攻撃にしても同様で、報復を招くだろう。

 

 マニアックなことをツラツラと記述してしまった。特に結論は無い。原発への武力行使という議論が、稼働中の原発における原子路建屋への攻撃という部分にフォーカスされがちなので、そうでない部分を考えてみた。不測の事態と言うのは起こり得るものだ。現在においてはザポリージャ原子力発電所がその状態にある。

ウクライナへの武器提供について

 岸田総理がウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。戦時下の国を首相が訪れるのは異例のことだ。他のG7加盟国と歩調を合わせる必要もあったのだろうが、命を張るというのはどの様な立場の人物であっても簡単にできることでは無い。他国(おそらくは米国が一番だろうが)からの視線を感じての訪宇という部分もあったのかもしれないけれど、岸田総理なりの覚悟なり強い意思もあっただろう。

 

 さて、本番はこれからである。しゃもじを送るために命を張ったわけでは無いのは明白である。日本語情報しか追っていないが、岸田総理の訪宇に際し、ゼレンスキー大統領から日本への明確な武器援助要望は示されなかった。ゼレンスキー大統領は欧米への武器援助要請を頻繁に表明する。日本にはしなかった。現行の日本においては、殺傷力のある武器をウクライナに提供することは出来ない。今回の訪宇において発表されたウクライナへの支援内容も、非軍事的な分野と殺傷力の無い装備品に関する物だけだ。ウクライナは日本の立場を理解していると解釈することも出来る。

 

 しかしながら、敢えて言及しなかった(少なくとも公にはされていない)のではないだろうかと私は考えている。日本にとって、殺傷力のある武器支援は相当にセンシティブな内容で、ハードルは高い。ウクライナとしては、貰える支援は何でも助かるだろう。軍事的か非軍事的かの選択ではなく、できれば両方頂きたい立場である(戦争中なのだから当然)。ウクライナ側からのアプローチが、日本の政策変更の妨げになるから、武器援助の話題は前面には出さないでおいて、民間部門における支援への感謝と引き続きの支援を願うという形をとったのではないかと思う。結果的に日本が武器提供できる環境を整えることが出来るならば、その方がウクライナにとっては得策だ。

 

 日本側からの調整でもあったと思う。岸田総理が本気でウクライナに殺傷力のある武器を提供することを考えているとしたら(私はそう判断している)、国内政治の持ち運び方を計算しなければならない。どの様な段取りで政策変更を達成するかということだ。もしゼレンスキー大統領から武器提供を強く要望されれば、日本側としても何らかの回答をしなければならない。その回答内容が何であれ、日本国内で話題を呼ぶことになるだろう。国会で追及されるかもしれない。それは上手い段取りではない。

 

 岸田総理は帰国直後の3月23日、国会においてウクライナ訪問を報告し、以下のように述べている。

「ロシアによる侵略の惨劇の現場、直接目の当たりにさせていただきました。こうした惨劇を繰り返さないためにロシアによる侵略、これ一刻も早く止めなければなりません」

もしここで、ウクライナ側からの強い武器援助要請が公に示されていた場合、そのことについてどの様な対応をするか、言及する必要があっただろう。下地調整ができていない段階でそれは下策だ。

 

 岸田総理はブチャを訪問した。ロシア軍による組織的な戦争犯罪があったとされる場所だ(実際、拷問の痕がある民間人の遺体が多数見つかっている)。上記の発言には説得力がある。まずは土壌を整えたと見るべきだ。正直なところ、訪宇というインパクトの割に手土産が地味だったと思えるけれど(私にはそう思えた)、必要な手順を踏んでいるのだろう。

 

 岸田政権はウクライナに殺傷能力のある武器を提供するつもりである。昨年から与党内での調整に関してチラチラと報道があった。近いところでは以下のとおりである。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230421/k10014044871000.html

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230420/k10014044161000.html

 

 私は、ウクライナが武器提供に関して大っぴらに言及してくると思っていた。それに対して、

国際法違反の侵略を受け、またブチャを始めとした凄惨な被害を受けている貴国に対し、より踏み込んだ支援ができるようにしていきたい」

くらいの返答を岸田総理はするのではないかと考えていた。今のウクライナは砲弾不足が深刻であり、また大砲や戦車等の正面装備も整っていない。前述したが、ゼレンスキー大統領は欧米諸国に対しては頻繁に援助の必要性を訴えている。私は当初、ウクライナからの支援要請を踏み台に、殺傷能力のある武器提供へと進んでいくものと考えていた。その点では、予想は外れたと言える。

 

 岸田総理は武器提供に本気だと私が思う根拠は2点ある。1点目は、先に述べたようにウクライナの砲弾不足が深刻だからである(兵器全般が足りない)。現状、ウクライナに砲弾を短期間で供給できそうな国家の一つが日本である。ウクライナ支援の最大国であるアメリカも砲弾の在庫が不足し、韓国から購入している。西側諸国として足並をそろえるならば、喫緊の課題である砲弾不足にコミットする必要がある。2点目は、多くの識者が言及している様に、予想される台湾有事に向けて日本の環境を整備する必要があるからだ。日本政府としては、この機を逃す手はない。内外の要請があるということだ。

 

 政府としては、ウクライナに殺傷能力のある武器を提供する方針である。自民党側に武器供給に対する反対論はそうない(一部の親ロシア議員を除いて)。後は公明党がどうするか。公明党は厳しい判断を迫られるだろう。殺傷力のある武器を海外の戦争当事国に提供するとなれば、戦後日本の安全保障政策の大きな転換点になる。自民党公明党で、落とし所は調整中と思われる。 岸田総理が現地に行ったことで、公明党を説得する材料は増えただろう。公明党的にも支持者を納得させやすくなった。

 

 今回の訪宇は、かつてイラクへの自衛隊派遣に際して、公明党の神崎代表(当時)がイラクを訪問したのと若干既視感がある。リスクを負い現地を見たという実績をもって発案ないし根拠材料にするのだと。公明党を納得させるためだけに訪問したわけでは無いだろうが、国内世論を引っ張る意味合いも含まれていただろう。

 

 日本は、ロシアがウクライナへの全面侵攻を開始した直後、防衛装備移転三原則の運用指針に「国際法違反の侵略を受けているウクライナに対して自衛隊法第116条の3の規定に基づき防衛大臣が譲渡する装備品等に含まれる防衛装備の海外移転」を新設して、ウクライナに防弾チョッキを提供した。自衛隊法第116条の3では、途上国への不用装備品等の譲渡がうたわれているけれど、「装備品等(装備品、船舶、航空機又は需品をいい、武器(弾薬を含む。)を除く。以下この条において同じ。)の譲渡」とあるように現行では武器弾薬は提供できない。殺傷能力のある武器を提供するためには、運用指針の再度改変が必要である。改変は既定路線として、実際に何を提供するかが焦点になってくる。

 

 兵器の提供に関してハードルは2つある。政治的なハードルと物理的なハードルだ。長距離ミサイルや戦闘機の類が、本来政治的ハードルの高い兵器である(軍艦も該当するけれどウクライナにおいて需要は高くない)。しかしながら、そもそも日本には提供できる該当兵器が存在しない。戦闘機は勝手に提供できないし(米国製品が多い)、長距離ミサイルは保有していない。国産対艦ミサイルはウクライナ戦闘機に搭載困難だから提供できない(ウクライナには魔改造の実例があるから無理とまでは言い切れない部分もある)。そういう意味では、兵器提供全般に公明党が支障(国内政治上のハードル)になっているだけかもしれない。無い袖は振れないのだから。

 

 物理的なハードルで言えば、保守整備のサービスも一緒に提供する必要が出てくる国産の重装備は難易度が高い。兵器だけでなく、近隣国に整備工場を増築する必要がある(この点、欧米兵器は既存の施設をある程度利用できる)。他の地域への流出が懸念される小型火器に関しては、政治的にも物理的にもリスクがあると言える。

 

 政治的にも物理的にも提供しやすいと言えるのが、対空ミサイル、対空機関砲の類だ。都市への無差別攻撃を防ぐという名目(殺傷能力はあるけれども防御的な兵器という解釈が成り立つ)で供給しやすいだろう。既に諸外国がウクライナに提供しているのと同系統の兵器を自衛隊保有している(パトリオット、ホーク)。また、対空機関砲ならばウクライナ国内での整備もある程度可能と思われる(機材がそこまで複雑でない)。

 

 大砲の砲弾類に関しては、現地で消費してもらえばいいので物理的なハードルは低い。大砲と自走砲は、他国がウクライナに提供したのと同種の装備があるから、物理的なハードルは下がる(整備インフラを流用できる)。攻撃的要素が大きいので、砲弾にしても、それを発射する大砲、自走砲にしても、政治的ハードル(公明党の反対)は比較的高いと言えるだろう。戦車は政治的にも物理的にもハードルが高い。物理的なハードルの高さは、前述したように保守サービスの提供が困難だからである。政治的な難しさは、戦車の持つインパクトにある。既に欧米各国がウクライナに戦車を提供しているとはいえ、暴力性を想像させやすい兵器である戦車を提供するのは国民(と公明党)からの反発が予期される。

 

 他には、レーダー類や汎用車両、軽装甲車両の提供が考えられる。政治的ハードルはそこまで高くない(それ単体に殺傷能力が無いため)。しかしながら、やはり保守メンテナンスの部分で課題があると思われる(汎用車両はどうにかなるか)。また、レーダー類は鹵獲された際の情報漏洩がリスクになる。

 

 上記の引用記事では、公明党石井幹事長の「サミット前に防衛装備移転三原則見直しは難しい」との発言が記載されている。また、公明党の武器提供に対する慎重姿勢は何度か報道されてきた。選挙期間中に、平和の党を標榜する公明党が武器提供に賛同するコメントを寄せるとは思えないので、実際の落としどころを何処に設定しているのかは分からない。記事によれば、25日から自民・公明の協議が始まるそうだ。

 

 私の予測としては、対空兵器を中心に武器提供へ舵を切るのではないかと思っている。砲弾も渡すかもしれない。大砲はもしかしたら提供するかもしれない。戦車は無いだろう。戦車を提供しないことを、公明党が“ブレーキをかけた”と表現するかもしれない。実際には、政治的なハードルではなく物理的なハードルが問題になるのだが、公明党には都合の良い解釈だろう。

 

 前述したように、岸田総理がブチャの現場を訪れたことを支持者(創価学会員)への説得材料にできる。「武器提供には慎重姿勢だったけれども、岸田総理から現地の情勢を伺い、余りにも残虐な国際法違反の行為に対抗するためには、武器を提供するしかないとの判断になった。対空ミサイルは都市部民間人を守る防御的な兵器として使ってもらう。戦争がこれ以上拡大過熱しないよう、公明党の要請で戦車等の提供は見送らせた」というシナリオがあるのではないかと考えている。

 

 このウクライナへの武器提供は、国内政治の問題ではなく、国際的な問題である。岸田総理も、「戦後の事情及び公明党が反対したので無理でした」という発言で諸外国が納得するとは考えていないだろう。国内世論には効果があっても、国際世論には通じない。国内外を同時に納得させ難い公明党は苦しい判断を迫られるだろうが、どうなるか。戦後日本の安全保障政策大転換が迫っている。

星の降る丘

紙は忍耐強いらしい。何を書かれても聞かされても怒らないからだそうだ。しかしながら、本当に忍耐強い点はその内容を誰かに漏らさない点にある。

横田基地のほど近く、ニュータウンと呼ぶにはいささか古い集落にM教授の家はあった。大学の教授が世間でイメージされるほどの高給取りでないことをSalemが実感したのはその時だった。「日本のサラリーマンはローン返済に追われるだけの人生ではないか」と自嘲気味によく話していた師の言葉はただのネタでは無かったのだろうとSalemは考えながら、ゼミ室にいつでもストックされている差し入れを思い出していた。

「狭いところだけど、まぁ上がって」

という教授の声に応じ、10年選手のオーパの横を抜けて門をくぐった。彼が師の家に招かれたのは初めてだった。日本中どこにでもありそうな2階建てのその家は、玄関の先に細長い廊下を通じて台所があり、横がリビング、そして仏間となっていた。地域の拠点として使われることを念頭に、あるいは、仏間を中心に間取りを決めたのかもしれなかった。

「荷物は適当にその辺において、まずは勤行をしよう」

Salemは-後に信仰心を失うことになるが-カバンを部屋の隅に置き、眼鏡をかけると数珠と教本を取り出した。

「用意がいいじゃない」

「いえ、昼の唱題会に参加しているので。セットで持っています」

日本で最も影響力を行使したかもしれない7文字を、教授の肩越しに唱えながら、Salemは不思議な感覚にとらわれていた。会合でも家庭訪問でもないのに他人の家で仏壇に向かうのは初めてだった。Salemは他者の信仰-大半の日本人は葬儀以外では宗派性のある信仰心を見せないが-に触れたのかもしれない。供えられている紙片は、その家の信仰を見届けてきた。おそらくは、晴れやかな日々も曇天の苦境も。数百年前の、元を辿れば2000年前の呪文が記された前で、どの様なドラマが繰り広げられたのかSalemは思いを馳せた。おそらくは無数の輝きがあるいは慟哭があったのだろうけれども、Salemの感想は雑念の多い俗物に相応しく<<一杯やる前にきちんとお勤めを果たすあたり、適当そうに見えて律儀な人だ>>というレベルのものだった。

20分ほどの時間が、いつのまにか変更された御祈念文と鈴の響きを合図に通り過ぎた。その時Salemが何を祈念したのか、本人も良くわかっていなかった。それは夢破れた街への怨嗟だったかもしれないし、愛憎あざなえる教授へのわだかまりを含んでいたかもしれない。あるいは、漠然とした再起を願ったのかもしれなかった。

「仏壇閉じるから」

そういうと教授は立ち上がった。この本尊を見ることはもうないかもしれない-実際には翌日、朝の勤行で対面するのだが-などと考えながら、Salemは仏壇が閉まるまで題目を唱えた。仏壇を閉じ終えた教授は、

「では飲もう。まずはビールでいいかな。僕は最近、直ぐにウイスキーを飲みたくなる」

と言って冷蔵庫のある台所に向かった。この切り替えの良さに、教授が慕われた理由の一つがあったのかもしれなかった。

「ビールで結構です」

「Salem君は、普段はキリン?アサヒ?うちはサッポロなんだけど。適当につまみも出すから、その辺の椅子に座って」

ギネスかバドワイザーのSalemにはあまり関係が無かった。教授に促され椅子に座ろうとしたSalemは、テーブルの玄関側に新聞が積上げられていたので、師はそんな細かいこと気にしないだろうと思いつつも、仕方なく上座に座ることにした。教授は冷蔵庫から黒ラベルを2本取り出すと、グラスと一緒にテーブルに置いた。そのまま新聞をかたすと、今度はウイスキーを持ってきた。

「手伝いますよ」

「いや、座ってて。直ぐ済むから」

チーズを皿にのせながら教授は答えた。適当なつまみがテーブルに並ぶ。準備が整ったようだ。

「何はともあれ飲もう」

「はい」

「お疲れ」

「お疲れ様です」

祝いの席ではないので2人とも乾杯とは言わなかった。よく冷えたビールが引っかかることもなく二人の喉を越していく。教授はサッとグラスを空にした。Salemが二杯目を注ぐと、

「ありがとう」

と言い、グラスをあおった。いつもながらに気持ちのいい飲み方だとSalemは思った。Salemには、教授のような人間には成れないだろうけれど、教授の様な酒飲みにはなれるかもしれないというふざけた志があった。

「そうだ。忘れる前に渡しておこう」

そう言って、後ろの戸棚から1枚のCDをSalemに渡した。

「餞別だ。ドボルザークの新世界。何はともあれ新天地だ」

「ええそうですね」

「船出が希望に満ちているとは限らないものだ」

「そうですね」

Salemはどこか他人事だった。暗澹たる先行きに思いを馳せたくなかったのかもしれない。それからしばらく、教授はありふれた言葉でSalemを励ました。平易でケレン味の無い内容で。多分に大事だったのは、話しの中身ではなく話し方だったのだろう。物語は覚えていなくとも、語ってくれたことは覚えている。そういう類の会話が続いた。ほど良く酒も回った頃、

「ええとにかく、何とか生きていきます」

「そうだ。生きていかなくてはね」

とやはりありふれた言葉でSalemは励まされた。

しばしの沈黙の後、ウイスキーを嗜みはじめた教授にSalemは問いかけた。

「M先生は今でもこの世界についていきたいと思いっていますか」

Salemには珍しく、ストレートな問いかけだった。Salemは続ける。

「大学、教義、組織、党。全てが変質した今でも。色々話を伺ってきましたが……」

教授はウイスキーの入ったグラスを手の中でクルクルと回すと、少し口をつけテーブルに置いた。

「僕らの世代は権力と戦うことを誇りに活動をしてきた。それを矜持に旗を振ってきた。今や権力に取り込まれ、あるいは権力そのものになってしまったが。それでも、僕達がやってきたことは無駄ではなかったと信じている」

教授は人生をなぞるように話を続ける。

「僕が大学に入学した時は、学内にバリケードが設置されているような状態だった。㋖の連中とやりあった。暴力は無かったけどね。僕の指導教官は、キリスト教徒から共産主義者に転向した人物だったが、係累の死をきっかに死生観をあらため、僕の話もよく聞くようになったよ。あの頃は、内外に人物がいたね」

Salemは何度か聞いたことのある話だった。

「色々あったが、大きく変貌したのは与党になった時だと思う。権力と鍔迫り合いしていた時はね、大学周辺に街宣車が乗り付けることもあった。いまでは考えられない」

教授は少し間を置いた。Salemは空になったグラスにビールを注いで、先を待った。

「教義に関して言えば、今言われているような文献学的な成果との矛盾は、とうに知られていたと思う。先生は熱海の研修場なんかで、教学に強いメンバーと一緒に遺文の解釈に関して研鑽をしていた。最近の教義改変に関して、ある国会議員の秘書が教学部長を説得しようとしたが動かなかったね。動いていた人達も、教義の内容よりも変え方に納得がいかなかった人の方が多い様に思う。中枢はアレの真偽問題にしても、ある程度把握していただろう。本部の立場としては、信仰の対象にはしないが真偽問題には立ち入らないというスタンスだがね。僕としては、それを信じて生きてきたわけだから簡単な話ではない」

「揺らぐものがありましたか」

「揺らぐというよりかは、ある程度の話は伺っていたから、向き合う日が来たという気分だった。だがそもそも、寺と離れて以降は様々な試行錯誤があった。二代の悟達をもって、当初からオリジナルの宗教だったと解釈する動きもあった」

「改変は既定路線だったと」

「そうだろうね。法華経研究会の書籍を追うとよくわかるけれど、触れたくない話題は巧妙に避けている。第一次の時点で、あらかた見切りはついていたのだろう」

「でもそれと学内への仕打ちは関係ありませんよね」

「関係ない。結局、物言う人物が邪魔なんだ。本部は教義改変に関し<<質問はするな>>と釘を刺していた。それに反した人物を粛清しようとした。標的になったのは副学長だった。大学を追い出せと迫ってきた。大学側が記者会見を開くと切り返したから、役職剝奪で手打ちになったんだ。彼等は統制できない人物を嫌う。安保にしても同じだ」

Salemには心当たりがあった。

イラク戦争のおり、国連研の展示に圧力がかかりましたよね。展示は行われましたが」

「あった。危険人物と目される学生を本部に通報した。イラク戦争に関係なく、学内では、独自の見解を述べるような教員の授業を勝手に録音するようなこともあった。学内における言論の自由は、担保されていなかった」

Salemも学内の不穏な話を先輩後輩から、また別の教員からも聞いていた。

「それは別の教員からも伺ったことがあります。有志の嘆願でそういう行為はなくなったとか」

「うん。だいたい、大学職員が通話記録の窃盗で捕まるような世界だ。大学と本部と、その関係は一様でないとしても、従わない人間が目障りなのだろう。独自の見解で学生を感化させそうな人物が。問題があると判断されれば“歩いていて背中に視線を感じる“ようなこともある。人材グループでも、そういうことがあったよ。教義改変の折には、一時家族も連絡が取れなくなるような人もいたらしい」

教授はウイスキーをグイっと飲みほすと、遠くを見るように話を続けた。

「最近は、安保の関係で混乱しているけれども、僕等が立ち上がった時は、日米安保の段階的撤廃を掲げていたんだ。それが少しずつ保守寄りになって……官僚主義とも戦ってきたはずなんだがね」

「やっぱり反対ですか?」

「目指しているものがどんどん分からなくなっている」

「私は、何人かの教職員に聞いて回ったのですが、<<先生がなにもおっしゃらないのだから>>というのが決まり文句でした。そういう問題ではないと思うのですが」

Salemが疑問に感じていたのは、特定課題への賛否ではなく意思決定プロセスだった。

「政治には妥協がつきものだ。だが政治家と妥協するな。そうよく言われたよ。さっきも言ったけれど、僕が学生だった頃は革新系の連中とぶつかることが多かった。食って掛かってくる奴もいた。だから、自然と議論を重ねることになった。お互いに本気だった」

Salemは、上り調子の日本をカリスマと共に駆け抜けた教授の世代がある意味では羨ましかった。

「僕は一度だけ、先生から直接声をかけられたことがある。その時言われたのは、<<学生を頼むよ>>だった。界隈の動向は関係なく、それが僕の出来ることだ」

教授の生き方は変わらないだろうとSalemは思った。それを否定する権利を持ちえないと彼は考えていたし、教授の生き様を好いていた。Salemが同じ道を歩むことは無いだろう。彼には彼の時代を生きる必要があった。「結局は時流に乗った団体だったのではないでしょうか」という問いかけが唇から漏れそうになるのを、Salemはこらえた。客観的な論評が、当事者を無神経に傷つけることを彼は嫌った。

「昔は、先生のもとにきら星のごとく人材がいた」

教授が呟いた。Salemはその星にはなれなかった。もっとも、彼はそんなことを望んでいなかった。彼は燃え墜ちる巨星が巻き散らかしたデブリのような存在だった。

「Salem君も、ウイスキーどう?」

「いただきます」

蒸留酒はラムかブランデーの口だったSalemには、苦みが残る一杯となった。その後も会話は続いたが、翌日にはアルコールと共にSalemの頭から抜けていた。Salemが目を覚ますと、教授がベーコンエッグの朝食を作っていた。朝食と朝の勤行を済ませるとSalemは教授の家を後にした。彼には何となくではあったが、もうその家を訪れることはないだろうという予感があった。下宿に戻る際、Salemには高台にそびえたつ本部棟が大きな墓標のように見えた。星の眠る場所に見えたのだった。

 

 

この物語はフィクションです。

統一地方選挙を前に地方の話

 統一地方選挙の動きが活発になっている。創価学会公明党に限らない話である。市町村の合併等で選挙時期が重なっていない場所を除いて、日本中の地方議員にとっては4年に1度の就活の儀式とも言える。大して豊かでない市町村であれば、議員の給料は高くない。自営業で別に収入があるとか、資産持ちの引退世代でもない限り、地方議員の生活は楽ではない。私は祖父が市町村レベルで議員をやっていたのでよくわかる。我が家は選挙に出るために土地を売り、車は常に中古車だった。もっと厳しい家庭もあるだろう。それでいて4年に1回失職の可能性があるのだから、とても安定した職業とは言えない。

 

 さて今回記事にするのは、統一地方選挙の動向ではなく、創価学会の選挙支援の話でもなく、地方についてである。少し調べればわかる内容であるが、毎度毎度政局ばかりが注目されて、本来議論されるべきテーマが放置されているように感じるので、記事にする。

 

 前回、社会保障関係の話を記事にした。

 

社会保障とか税金の使い道について - 狂気従容

 

 そこでも言及したが、日本の国家予算は社会保障費と国債償還と地方交付税で歳出の3/4程度を占める状態だ。借金の返済である国債償還を別にすると、社会保障費の次に高くついているのが地方交付税である。地方交付税は、地方自治体の大きな財源である。交付税が減らされれば、成り立たなくる自治体もあるだろうと思う。財政健全化を目的とした歳出抑制、次のターゲットは地方交付税に、つまり、地方自治体の生産性を問うてくるのではと考えている。と言いますか、既に地方間競争を煽るような言論が跳梁している様に思う(ふるさと納税ぇ)。

 

 地方間の格差は、個人間の格差と同じくらい複雑で解決し辛いものがある。人口、経済規模、面積、各都道府県には明らかな差がある。市町村レベルでもそうだ。経済的に強い場所があれば、交通の要所と言えるような場所もあり、農業・漁業に代表される1次産業によって、額面上の経済規模以上にこの国を支えている場所もあるだろう。

 

 海や河川、山を抱えていればインフラ整備にかかるコストが上がるだろうし、都市化が進んでいれば、環境権や地価の問題があるだろう。多様な地方を抱える日本にあってー東京だって地方の一つだーある程度平等なサービスを提供する、つまり、日本中どこで生活しても格差や不便さを感じないシチュエーションというのは、並大抵の努力で維持できるものではない。

 

 国という単位と比較すれば東京もいち地方である。その一方で、経済の中心が東京であることも事実だ。分かりやすいので数字を用いると、東京都の経済規模は日本のGDPの約20%にあたる。令和元年度の県内総生産のデータを以下に引用する。

https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/main_2019.html

 

 全国合計約580兆円に対して、東京都は約115兆7千億円。2位の大阪府が約42兆円であることを考えれば圧倒的と言える。東京、大阪、愛知、神奈川の4都府県の合計が約233兆円で全体の4割を占める。経済規模が一番小さいのは鳥取県で県内総生産が約1.9兆円。

 

 人口においては(令和3年データ)、4都府県の合計が約3960万人で日本人口約1億2500万人のうち、32%程度を占める。東京だけで日本人口の約11.2%。最も人口が少ないのは鳥取県で、55万3千人。日本人口の0.4%だ。大体人口と経済規模が相関している。

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2021np/index.html#a05k01-a

 

 地方交付税は、こうした地域間の格差を是正するために分配されている。同じ都道府県内においても格差が存在し、国と地方の関係、地方の中の関係、それぞれに格差がある状態だ。札幌市なんかがいい例だと思う。

 

 さてこの格差、いつ爆発するかという問題である。都道府県レベルにおいても、市町村の話においても、歳入が多い場所が経済規模の小さい地域を支えている状態である。地方交付税が主たるシステムであるが、与える側には不満もあるだろう。

 

 人口の少ない田舎の生活が、都市部に比べ劣っているかと言えばそうでもない。実家が持っている資産を継承しやすいからだ。それは土地や家屋と言った数字にしやすいものから、父母や地域住民のサポートという無形の文化教育資産まで様々である。年収が生活レベルと必ずしも一致しないというのは実感しやすいと思う。東京で1人暮らし年収600万円と地方で実家住まい年収400万円。どちらに余裕があるか、簡単には判断できないだろう。

 

 地域間の格差は簡単に判断できない部分がある。例えば、病院の数。病院が多いほど医療が充実しているように思うだろう。しかしながら、病院が多ければ地域の医療負担が増えることもある。だいたい市立病院は赤字だ。病院目当てに高齢者が引っ越してくるかもしれない(税収的には美味くない)。養護学校の類にも同じことが言える。ではそういう施設を排除したらどうなるか。公共の福祉を維持できなくなる。どこかに絶対必要な施設である。

 

 ゴミ処理場や火葬場のような不人気施設を呼び込みたい自治体はそうないだろう。下水処理場でも水道施設でも同じだ。維持管理に金のかかる施設を(しかも場合によっては他の自治体の分までサービスを提供する必要が出てくる)、負担金をもらえるにしても、保有したいとは中々考えないだろう。原発や軍事基地となれば尚更だ。原発や軍事基地の存在に価値を見出す地域は広域にまたがるが、リスクを負うのは該当自治体だ。

 

 ハード面の話だけではない。社会保障や福祉を手厚くすれば、それを目的に低所得者が移住してくるかもしれない。負担増につながるリスクがある。基本的人権の尊重を掲げている以上、切り捨てることは出来ない。それをやれば、全ての規範が滅茶苦茶になる。保有しているリソースと必要とされるサービスと、ジレンマは永遠に続くだろう。

 

 本来地方統一選挙は、そう言った地方および地方間の課題を議論する場である。場合によっては、近隣市町村とバチバチ喧々諤々やりあうこともあるだろう。しかしながら、それが正常な議論だと思う。命のやり取りになるよりかは数万倍マシである。受益者と負担をする者と、それが生活格差につながらないよう調整するのが政治の場だ。政局ありきではない。

 

 ともかくである。統一地方選挙というのは、国政選挙のサブイベントではなく、独立した議会を持つ-そして個々に課題を抱える-各地方の方針を考える選挙である。これから選挙当日に向け、SNSでも様々な議論が交わされると思うけれど、肝を外さない意見交換となればと思う次第である。