狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

希死念慮に、自殺に飲み込まれそうになったら、他の何かをすること

私は希死念慮に苦しみ、自殺を意識することが何度かあった。

今は何とか生きている。

自殺を意識して苦しかった時、そこからどう逃げ延びたのかを以下に記す。

  

はじめに

私は、いかれた宗教家族のもとに生を受け、「普通」ではない幼少期を過ごしてきた。自身の生い立ちは、別の機会に述べるとして、とにかく「普通」「まとも」といった感覚が身に付かない環境だった。簡単にまとめると、幼少期は良く殴られ、朝晩お祈りを捧げないと生活が出来ず(学校に行かしてくれなかった)、友人には選挙を頼む必要があった。従わないと罰があたると信じ込まされていた。

 

大小様々、辛いことの多い人生だったが、トドメが来たのは30歳だった。夢を追い求め努力したが叶わず、半年ほど無職をやって、30歳にして別業界へと転職。厳しいシュチュエーションの中、努力してきたことが無駄になった。転職先は中々のブラック企業。半年で退職。その後、実家での約2年間の再無職生活を経て、再就職。今に至る。人口10万に満たない地方都市で、キャリアを全く生かせない職に就いている。

 

自殺を意識したタイミング

冒頭述べたように、これまでの人生で、自殺を意識したことは何度かあった。

その中でも特に強烈だったのは2回。再無職期間中(2017年4月-2018年中頃)と再就職2年目の春(今年の4月)。

 

再無職期間中(2017年4月-2018年中頃)

自殺者の多くは無職だというデータがあるがこれは実体験から納得できる。シンプルに、文字通り、生きていけなくなるからだ。金がない、希望が無い、生きる気力が無い。3無い状態である。

 

私は元々、生きがいの様なものを持ち合わせていなかったので(つまり金の使いどころが無かった)、多少の貯金があった。だが、何年も無職をやれる程の額ではなく、貯金額=余命の状態であった。

 

希望は全くなかった。夢破れて転職し、直後の無職であった。年齢は32歳。積み重ねたスキルやキャリアは役に立たない(ニッチな分野を目指していたので)、再就職活動は上手くいかず、生きていて価値があると思えることはなく、このまま死んでもいいじゃないかと強く考えるようになった。

 

能動的に何かをしようとする熱意がなくなった(もともと希薄だったが)。希望の職業を続けることだけが目標だったが、それが駄目になったおかげで、本当に何もなくなった。私は趣味の範囲において、歴史や軍事に興味を持っていたが、無職期間中は好きなはずのそれらに対してすら熱意が出てこなくなった。単純に、何かを好きになる、熱中するということを忘れてしまった。

 

それまでの、希死念慮とは違った強さがあった。例えば、松。太い松の木を見ると、首を吊りたい衝動が沸き上がってきた。橋を渡れば飛び降りのイメージ。海を見れば入水。自殺がより具体的になっていた。海が一番ヤバかった。蒼く雄大な海。1万年経っても、変わらないであろう美しい海。自然のスケールの大きさに比べれば私の命のサイズなんてたいしたことが無い。死んでもいいじゃないか。自殺を強く肯定するようになっていた。

 

小さい頃から希死念慮や自殺を意識してきた人は、死への接近に気づきにくいのかもしれない。もともと近くにあったからだ。気づかぬ間に飲み込まれている。自殺のイメージが具体的になったら、「いつもの希死念慮」とは違うと考えるべきだろう。

 

時間を稼ぐ

希死念慮からの逃げ方は散歩とゲームと1人カラオケだった。昼間はとにかくひたすら歩いた。1日10㎞以上歩いた。歩くのに飽きた後は、自転車に乗った。安いママチャリで1日30㎞くらい、ただ走った。歩いたり走ったりしている間は、自殺から距離をおけた。無職で時間だけはあったので、徹底的に歩き、自転車をこいだ。

 

夜はPCゲームに没頭した。元々、私はゲーム好きだったが、仕事の忙しさから離れていた。無職になった後も、世間様が働いている時間に30過ぎたおっさんがゲーム……という後ろめたさから、やらないでいた。誰に非難されるわけでもないのに。1人カラオケは2週間に1回程度、好きなタイミングで行った。大声を上げるとスッキリした。

 

キャリアやその後の転職に役立つ要素は何一つなかったが、少なくとも、自殺しないですんだ。

 

 

再就職2年目の春(今年の4月-5月)

前述の通り、全くキャリアを生かせない仕事に就いたので、すべてが未経験だった。そもそも、オフィスで机を並べて働くこと自体、ほとんど経験が無かった。

 

それでも1年目は何とかこなせた。こなしたつもりになっていた。ところが、はたから見ると全然ダメだったらしい。1年目だから、大目に見られていただけだった。

 

2年目、チーム移動があった。正確に言うと、所属チームが消滅した。私以外の人等は他の部署に異動になった。1年目の配属チームは、適当で有名な人の集まりだったらしい。チーム移動の後、どれだけ駄目な状態だったかを思い知らされた。

 

異動した同僚達から碌に引継ぎがなされなかったこともり、未経験の私は、分からない仕事を大量にもらい受けることになってしまった。救いだったのは、新しいチームの同僚達は、その道のプロで、なおかつ親切な人達だったことだ。

 

それでも、分からない仕事が沢山あるのは辛い。昨年の12月頃から、月60時間超えの残業を半年、4月、5月は80時間コースだった。

 

世の中には、もっと働いている人がいる。私自身、前々職、夢を追い求めていた時はもっと働いていた。働けた。週二回、木曜土曜とオールの仕事があって、休みは金曜午後と日曜午後だけ。月~水は10-10時。それでも何とかなった。

 

今年の4月、5月は違かった。仕事であそこまで病むとは思わなかった。終わりが見えず、土日も出勤していたが、誰もいないことをいいことに、職場で絶叫していた。声を上げて吐き出さないと、駄目だった。通勤中、死にたいを連呼していた。遺書も書いた。後で読み返すと、まともな文章の形態になっていなかった。

 

無職から復帰したて、転職のあてなどなく、スキルも役に立たず。逃げ場がないと感じた。夢破れ、これといって楽しみも希望もない人生。ここでダメなら死のう。そう思った。

 

だが、死ねなかった。私の中の生存本能、生き物としての防御機能に救われた。朝礼前、声を上げ、席で泣いてしまった。

 

とにかく他のことをする。そして泣く。

その後は周りのフォローもあって、取り敢えずの急場を乗り越えることができた。で、個人的な精神衛生向上という点では何をしたかというと、アニメを見た。アニメも久しく見ていなかった、何をするにもそうだが、熱意を失っていた。「死ぬくらいならアニメでも見るか」の心意気でアニメを見た。

 

自殺は人生における選択肢の1つだ。それは事実だ。だが、他の選択肢があることを忘れてはいけない。無数にある選択肢の1つということだ。だから、自殺したくなったら、希死念慮に飲み込まれそうになったら、他のことをする。自殺・自傷行為以外の何かをする。私の場合、「アニメを見る」という選択をした。自殺に比べれば、比較するのも馬鹿らしいほど、まともで楽しい選択だった。

 

個人的な体験からだが、思うに空腹感と同じように希死念慮にも波が有る。少し時間を稼ぐだけで心が落ち着ついてくる。また、涙を流すと気持ちが楽になり、状況は変わらずとも、心がスッキリする。

 

「泣けるアニメ」は間違いなく私の寿命を延ばした。「Angel Beats!」「Charlotte」「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」「プラスチックメモリーズ」辺りに救われた。「救ってもらっていいですか?」も何も、救われたのは私だった。

 

今思えば、「病院に行く」「仕事を休む」というのも選択肢だったと思う。出来れば外したい選択だが、自殺に比べればはるかに、比較にならないほど、良い選択である。

 

 

まとめ

 

1. 自殺・自傷行為以外の何かをする。自殺や希死念慮が強くなったら、他のことをす  

      る。他の選択肢を選ぶ。何でもいい。とにかく時間を稼ぐ。

 

2, 涙を流す。自殺するくらいなら泣く。涙はタダ。心がスッキリする。

 

3. 出来るだけ早く病院に行く。プロに見てもらう。以前、学生だった頃、生い立ち等

      に関して、半年ほど認知療法(カウンセリング)のお世話になったことがあるが、

      だいぶ楽になった。薬物療法でも、他の方法でも、自分に合ったものを選ぶ。

 

4. 仕事を休む。それは人生最後の選択ではない。自殺に比べれば、比較にならないほ

      ど、良い選択である。私は2度無職をした。それは最後の選択にはならなかった。

 

 

現実の諸問題に対応するのは、その先。まずは時間を稼ぐ。自殺・自傷行為以外の何かをする。自殺は人生における選択肢の1つではあるが、最後の選択になってしまう。自殺に比べれば「マシな」あるいは「魅力的に思える」選択肢は必ずある。それをやる。

 

希死念慮が消えたのかと問われれば、答えはNoだ。熱中する何かを、人生の意義を、見いだせたわけでもない。希望が出来たわけでも、新しい夢が出来たわけでもない。恋人もいなければ、仲の良い家族もいない。基本的なシチュエーション、我が狂った履歴は変わらない。

 

そうであっても、自殺以外の選択を選び、生き延びたことを、良かったと思っている。