狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

創価学会員物語1(仕事と家族)

創価学会員は物語を追いかけてきたのではないでしょうか。学会員に限らず、生きるということは物語を作る事なのではないかと思います。価値創造、価値を見出すということは、心地よい物語を作るということではないでしょうか。思想や教義はあくまで、生活(人生)に意味解釈を与える上での説明書・プロットの様なものとして機能しているのではないかと思います。

 

 

日本社会において、物語の中心は大筋において二か所。会社と家庭にあると思います。仕事をすることと家族と繋がることがこの国の2大ストーリーではないでしょうか。

 

「仕事と家族」といえば、日本に限らず大きなテーマですが、ボランティア活動や信仰活動の有無、余暇の長さなどを比較すると、諸外国以上に日本では大きなウェイトを占めていると思います。

 

会社と家庭。この2大ステージを失ってしまうと、日本という国では生きていくことが非常に困難になります。

 

失うまでいかなくとも、仕事と家族、そのどちらにおいても心地よい物語を見ることが出来なければ、苦しい人生を歩むことになるでしょう。経済的な問題もさることながら、世間が売り出す物語の大半から弾き出されることになるからです。

 

断っておきますが、私は弾き出されることが悪いことだとは思っていません。また、仕事と家族以外の場所が、物語の中心地になっても一向に構わないと思います。そもそも、私自身弾き出されています。


創価学会が戦後日本社会で発展した理由の一つ、「仕事と家族」という「日本社会物語」を上手く会内に取り込み、「創価学会員物語」を構築・共有することが出来たからではないでしょうか。

 

「社会で実証を示す」「仕事は三人前」「職場でなくてはならない人に」「一家和楽」「創価家族」等々。体験談の大半も、「仕事と家族」に中心軸があるように思います。創価学会員が作り上げてきた物語の多くは、「仕事と家族」に集約出来ます。それは、戦後日本社会が作り上げてきた物語そのものです。

 

もう少し細かく考察すると、「仕事と家族」に心地よい物語を見る為の前提条件として、「貧困と病気」を克服することが物語のプロローグとなります。戸田会長時代から1970年代中盤辺りまで、その傾向が強かったことは皆さん良くご存知かと思います。

 

会員間の助け合い、セーフティネット、励ましの共有、温かさの共有に見られる「人情物語」も存在するのですが、多くの場合この「人情物語」には前提条件が付きます。

 

その条件とは、独自の教義見解を持たないこと、池田大作の発言に疑義を挟まないこと、選挙で公明党を応援することです。

 

独自の教義見解を持ち、池田大作を師匠と仰がず、公明党を応援しない会員が、創価学会の中に温かさを感じられるというのならば、創価学会は大した団体だと思います。

 

池田大作は、その経歴(貧困と病気の克服、職務上の実績)を持って「創価学会員物語」のモデル、象徴とされてきました。また、人柄・振る舞いと言う点で「人情物語」の支柱でもありました。学会員には特に説明する必要も無いかと思います。

 

「貧困と病気」の克服からの「仕事と家族」の充実化は、「現世利益の追求」「功徳主義」として世間から叩かれてきた部分でもありますが、日本の体制を揺るがすような行為には繋がらないので(例えば革命等)、日本社会から本格的に排除されるような物語とはなりませんでした。

 

この辺が所謂「革新思想」とは違うところです。正面からの体制変換を目指さず、個人における生活の改善を第一義に掲げ、信仰上の意味解釈を世間にある程度迎合させることが出来たのは、創価学会(と学会員)を発展させる上で重要な要素だったのではないかと思います。

 

現在、日本社会は「仕事と家族」という2大ストーリーを国民間で共有し辛くなっています。生涯未婚率の増加、出産率の低下、非正規雇用の増加、相対的貧困率の上昇。現象として幾つか列挙できると思います。

 

それはそのまま「創価学会員物語」を構築・共有し辛くなっていることを意味します。「創価学会員物語」を構築・共有できなくなった時、創価学会は終焉を迎えます。