狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

他人の人権が嗜好品になりつつある

他人の人権が嗜好品になりつつあると思う。そういう、コンセンサスが形成されつつある。

 

現在、日本をはじめ、多くの国で「基本的人権の尊重」がうたわれています。日本においては、国民主権、平和主義と並び、日本国憲法の3本柱、根幹となる理念とされています。

 

日本国憲法第11条には以下のようにあります。

 

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 

第14条では「法の下の平等」が、第25条では「生存権」がそれぞれ規定されています。

 

第14条第1項
①すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

第25条第1項
①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 

基本的人権の尊重」という憲法理念から考えれば、自他の人権は、本来必需品なのでしょう。

 

しかしどうでしょう。現在の日本において、他人の人権は必需品として扱われているでしょうか。あるいは、他人の人権を必需品として求めているでしょうか。

 

自己の人権が必需品なのは自明だと思います。あえてそれを放棄するというのなら、破滅願望があります。

 

残念ながら、必需品であるはずの自己の人権を保有していない日本人は確かにいます。自殺者の多くがそこにあてはまるでしょう。「健康で文化的な最低限度の生活」を営めなかったのですから。

 

経済的・精神的貧困から厳しい立場に置かれている人も多くいます。相対的貧困率の増加、児童虐待・いじめの増加は、必需品であるはずの自己の人権を享受できていない方が増えていることを意味しているでしょう。

 

その人達の人権は、他者から見た場合、他人の人権にあたわるけですが、本来こちらも必需品です。

 

日本国憲法の前文には以下のようにあります。

 

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

要は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の3本柱は、日本国民として守り抜いていけって話です。日本国民の憲法尊重擁護義務です。

 

日本においては、基本的人権の尊重、他人の人権を守ることは義務なんですね、本来は。他人の人権も必需品ということです。

 

しかしながら、自殺者をはじめ、基本的人権が尊重されていない国民は実際いるわけです。それに対し、日本人の関心がどの程度あるかというと、選挙の投票率やボランティア活動参加率なんかを考えるに、関心が高いとは言い難いのではないでしょうか。他人の人権に興味がないんですかね。

 

他人の人権は嗜好品。そういうコンセンサスが形成されるというのはすなわち、基本的人権の尊重を放棄するということです。自分にとって要らない他人は切り捨てて構わないと、開き直るということです。明るい未来にはならないでしょうね。