狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

創価学会は戦わなくなった

創価学会が、社会を支えるセーフティネットの一つだったのは事実です。創価学会が相互扶助組織として果たした役割の大きさを否定する気はありません。他人の不幸に積極的にかかわる。社会問題に主体者意識を持つ。新勢力、信仰団体としての誇りがある程度あったと思います。

 

創価学会というと、草創期の過激行動が批判の的になりますが、混乱期の活動と言うのは過激になるものです。紳士的に振舞うだけの余裕は、創価学会と日本の双方にありませんでした。当時は、敗戦により既存の価値観と制度の多くが(表向きは)ぶち壊され、新しい何かを求めている最中です。その上、国土の多くが焼け野原になった状態からの復活劇でした。

 

やる気、活力以外に何もない。戸田‐池田流の行動第一主義が効果的に機能する、また必要とされる十分な時代背景があったと思います(但し、私は創価学会がかつて用いた、過激な罰論等で個人を脅迫、誹謗する他者を尊重できない手法には一切賛成できません)。

 

ケースバイケースですが、大きな個人課題、社会問題に取り組むには、熱意や積極性は有益なものだと思います。特に誰かを支える側には、ある程度の熱意や積極性は必要です。「それぞれ好きにしたらええよ」と放任するだけでは難しい部分があります(熱意と冷静さのバランスは大事です)。

 

また当時の世間も、それなりに苛烈な反応を示しています。創価学会の過激さが世間の非難を生んだという見方はその通りなのですが、当時の日本人全体の気質として、積極性や好戦性は存在したと思います(街をあげて反学会のデモをする、曼荼羅本尊を無理やり押収して焼く等)。

 

私は昭和も終わりに近い生まれですので、実体験として昭和時代の創価学会を語ることは出来ません。昭和の日本社会も知りません。他者の体験談をもとにイメージ、感覚で話をしますが、以前の創価学会には気概があったと思うのです。改革者としての気概、あるいは挑戦者の気概。それと失うものが無いという強みですかね。

 

創価学会(会員)が無くしたものは、教義でも師弟でもありません。寺でも血脈でもありません。無一文のどん底挑戦者の気概だと思います。矛盾があることよりも、気概が無いことの方が信仰者としてどうなのかと、私は最近思います。