狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

DontBeSilent、壊れた我が人生。

東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長が話題になっている。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「(女性は)競争意識が強い」という発言が、女性差別という批判を浴びている。

 

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「(女性は)競争意識が強い」というデータを見たことがないので、それが本当かはわからない。

 

私としては、「長い会議はいかんのか?」という疑問があったりする。大事なことをしっかり議論しないといけいこともあるだろう。いらないのは、形式だけの会議だと思う。

 

まぁ会議の話は別にして、上記発言が非難の対象になるくらいには、日本においても社会運動が浸透してきたということだろう。DontBeSilentというスタンスには、素直に賛同したい。

 

以下個人的な話をさせてもらう。私はイカレタ宗教家族に生を受け、これまで生きてきた。宗教の家だったこと以上に問題だったのは、母の暴力だ。あの女は、本当によく人を殴った。私にとって母親とは、創価学会という新興宗教に発情した獣でしかない。

 

精神的な拘束もきつかった。朝晩のお祈りをしないと、生活をさせてもらえなかったし、創価学会に異を唱えれば「罰が当たる」と脅されてきた(これは父親にもよく言われた)。反論は許されなかった。まともな人間が育つ環境になかった。

 

我が家には、無私の愛というものがなかった。創価学会と家族の宗教活動を認めることの対価として、生活ができた。少し危険な発言となるが、あの状況を未成年である私が打開できたとしたら、それは物理的暴力による対象の排除以外にはなかったろう。

 

宗教活動で家族を振り回し、子供をよく殴ってきた母。私の人生に、あの女の子供に生まれた以上の不幸はないだろう。正直、あれに人権が必要だとは思えない。最近は、アレを人だと思わいことで、あいさつ程度ならストレスを感じずに話ができるようになった。

 

母親の生態を見てきたからだろうか、女が弱い生き物とか、差別されているとか、一様には信じられない。確かに、不利な扱いを受けている部分はあるだろうが、「母親」「子を産む」という社会性の高さ(ステータス)を武器に、それなりに高位に陣取れる機会もあるんでないの?と思ってしまう。特に家庭内では。これは完全に私の主観だな。

 

別の観点から話をすると、独身で夢破れたみじめな中年という、社会カーストの底辺部に位置している自殺者予備軍の私にとって、女性は全般的に私より高位な存在のようにも思える。

 

とはいえ、一部の女性が経済的困難等で苦しんでいるのも事実なので、「我こそが最底辺なのだから他の弱者を助ける必要なし」などとは思わない。自分より恵まれた人物を、わざわざ助けようと思えないのは事実だが(私の方が死にそうなんで)、それを男女差別の問題全般に当てはめようとは思わない。

 

あるいは女に全く縁がないから、男女平等とか言われてもピンとこないのかもしれない。彼女いない歴=年齢の30半ばの中年。女の子と手を繋いだこともない。職場も含め、女性が周りにほぼいない。去年、プライベートな会話を連続で1時間以上交わした女性、何人いるかな。多分ゼロなんじゃないか。

 

明日、世界中の女性が突然消えても私は困らない。もちろん、男の方が私を含めて消えても困らない。個人的な関係性で語れば、男女差別の問題は、私に関係がなくなってしまう。ゲーテは「外国語を知らぬものは母国語を知らない」という言葉を残しているが、女を知らない男は、男をも知らないのかもしれない(逆も言えるだろう)。それくらい私の社会性は低い。

 

多分私には、まともに人を愛する感覚がない。そもそも、まともに愛されたことが無い。愛着障害に該当するのかもしれない。アリスミラーという人が、親から子への虐待をテーマに「魂の殺人」という書籍を書いているが、私の心はすでに死んでいるような気がする。社会問題として、性差別の課題には興味を持っているが、そこで動く1人1人の人生に関心は殆どない。

 

DontBeSilent。私の人生を話させてもらった。