狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

拝啓、創価大学様

皆様、元気にされていますでしょうか。
私は何とか生きております。


大学周辺も随分とあか抜けたと伺っております。様々な施設が完成し、学内の整備も一段落したでしょうか。皆様にあっては、お変わりありませんでしょうか。丹木の桜は、今年も奇麗に咲きますでしょうか。


追いかけた夢は叶わず、友人とは疎遠になり、恋人が出来ることも遂にありませんでしたが、あの桜を皆様と一緒に見れたのは、それなりに良き思い出として残っております。ですが残念なことに、もう二度と、叶わぬこととなってしまいました。


私は知りませんでした。自分の人生を好きに生きる権利があることを。それを知ってから、私は変わってしまいました。


私の生まれ育ちは普通でないこと、まともに愛されなかったこと、母に殴られ怒鳴られ怯えるのは異常であること、仏教とだからとクリスマスプレゼントをもらえない小学生は傷つくこと、朝晩の勤行がなくても生きていいこと、罰なんて当たらないこと、素直に友達と話す権利があること。私は知りませんでした。


私は知ってしまいました。日蓮の遺文を、創価学会の歴史を、三代会長の本当の足跡を、信濃町の暗闘を、公明党の外交公電を、調べても良いのだと、疑問を持つことは許されるのだと、知ってしまいました。


創価大学の学友、先輩、後輩。申し訳ありませんが、私はもう、あなた達と同じ道を歩むことはできません。


正確に申し上げます。私はもとより、皆様方と同じ道を歩んではいなかったのです。皆様と同じ風景を見ていると錯覚しておりました。厚いガラス張りの部屋の中から、映写機に移された風景を本物だと思っていたようです。部屋を打ち破って一歩、外に出てみると、全く違う景色が広がっていたのです。


美しく桜吹雪が舞う八王子を、私はもう見ることが出来ません。あの美しい桜を見ることができません。長浜ラーメンを一緒に召し上がることも、ラウンドワンでストライクを狙うことも、調子はずれの椎名林檎を披露することも、出来なくなりました。


学生部活動においても、様々な思い出を作らせてもらいましたが、それを将来にわたって共有することは出来なくなりました。ぼっとん便所の拠点で、つたない議論をしたこと、一生忘れることはありませんが、今行えは喧嘩になりましょう。


私はもう、皆様方と創価の世界を直視することが出来ません。どう言葉を並べても、どう頑張っても、私には受け入れがたい存在となってしまいました。主義思想の方向性が、何より心の在り方が、私とは全く違うことに気付いてしまいました。


八王子は創価大学の周辺に10年程居りました。辛いことの方が多かったと思います。多くの時間を無駄にしたと後悔の念もあります。酷い人生を歩み、成果を得ることもありませんでしたが、それでも八王子で夢を追いかけた青春は、輝いております。


私が臨終の際、生を終えるその時、思い浮かべるのは、その八王子の日々となりましょう。咲き誇る桜を、丹木の丘に映える美しい夕焼けを、素直に生きる権利を知っていたならば、もう少しだけ普通の家庭に生まれていれば、もっと仲良くなれたであろう皆様のことを考えると思います。


私は創価の衰退を予測しておりますが、皆様方の無事は願いたいです。皆様どうか、お幸せに願います。