創価大学の恩師から便りが来た。突然のことで少し驚いている。前回記事があれだったので、偶然にしても……もう、縁も切れたと思っていた。私の方には、連絡を取るつもりはなかった。
創価大学を退官し、自由気ままに引退生活を送っているのかと思いきや、余暇を楽しみつつも、プライベートなことで結構な苦労があるらしい。目をつけられている一派の人だから、細かい事情を書けば足がつくだろう。私は困らないが、紳士協定的にそういうことをするつもりはない。
あの人には、借りがある。お世話になった。それは事実だが、貸しも沢山ある。あの人がすべき仕事をだいぶ肩代わりした。私のキャリアには全く役に立たなかったが。
ついていった私が馬鹿だったのかもしれないが、当時は創価の世界で生きねばならないと、創価あっての人生だと、囚われていた。また、自分の人生を生きる権利を知らなかった。誰かの役に立たねばならないと。そんなことはなかったのだ。
あの人の代わりに後輩達の面倒を見た。その成果は知らぬところだが、幸いにして、私が直接担当した後輩達は、みな私より豊かな人生を送っている。八王子での生活は、私ではなく他の誰かの為になった。
無駄な時間だったのか、意味があったのか。分からないし、それを考えるのをやめて久しい。私自身は夢破れ、何の喜びもない人生を、とりあえず生きている。その結果だけは確かだ。
創価の世界の実情を教えてもらったという点においては、特に感謝している。創価大学や信濃町の裏話、普通に生活していたら、知ることも無かっただろう。まぁ、知ったところで、実入りが増えるわけではないが。
彼等の世代は、現状を憂いつつも、生活基盤としての創価学会に弓を弾けるわけもなく、何十年と変化を見過ごしてきた。自公連立政権以降は、特にその傾向が強かったと思う。腹に一物抱えながらも、大きく声を上げることなく、引退していった。
今頃現状を糺したところで、それは彼等世代のもたらした結果なのだ。それを恥じないところが、団塊世代の強さといえよう。素の性格が野太い。変わらない。そのまま死んでいくしかない。
まぁでも、あの人の世代は笑って死ねるだろう。池田大作と楽しい思い出を作れたと。創価の旗を振って、文字通り、一旗揚げてやったと。暗い未来を、創価の末路を見ることなく、死んで行ける。好き放題やって死ねるのだから、幸せだろう。
私は、私個人のことで、あなたに申すことはありません。ただ一点、私が八王子を離れた後、後輩の中から退学者を出したことだけは納得がいきません。先も短いのだから、もっと一生懸命に働いていただきたかったです。
私のことはどうでもよいですが、あなたが引退生活を楽しんでいる時、苦しんでいる創大生がいることを、自分達世代の負債を支払う学生がいることを、忘れないでください。