狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

連立政権ー歴代2位の与党歴の公明党

1945年、大日本帝国は連合各国に無条件降伏。戦後日本がスタートします。敗戦による混乱と戦前・戦中の影響から、この時期の日本政治はカオスを極めます。状況が落ち着き始めるのは1955年、
 
1955年、保守政党の合併により自由民主党(自民党)が結党されます。それにより、自民党日本社会党(社会党)の2大政党が政治の中心軸となる、いわゆる55年体制が確立されます。
 
自民党社会党が2大政党として存在しましたが、実際の議員数では自民党の方がかなり多く、自民党以外の政党が政権与党の立場になることはありませんでした(伯仲国会となり法案ごとに野党と連携することはありました)。自民党は戦後長らく、単独与党政権を運営することになります。55年体制確立以降、1990年代に突入するまでは自民党だけが政権与党と言ってよい状態でした。
 
1983年に新自由クラブとの連立政権が誕生しますが、新自由クラブは元々自民党議員の集まりでした。その上、最終的に新自由クラブ自民党に合流し、消滅します。
 
1989年、自民党参議院選挙で大きく議席を減らし、公明党民社党と部分的に連携する事態となりましたが、連立政権が誕生することはありませんでした。
 
状況が大きく動いたのは1993年、細川内閣が誕生し、非自民・非共産連立政権が打ち立てられた時です。結党以来38年間、与党の座にあった自民党が野党に下野し、政権を奪われる事態が発生します。
 
しかしながら非自民・非共産連立政権が混乱を極めた結果(8党派による合同運営は無理だろう……)、1年に満たない短期間で連立政権は崩壊。1994年、自民党社会党新党さきがけによる自社さ連立政権が誕生。自民党は政権与党にカムバックします。
 
自社さ連立政権は、自民党社会党というそれまでの主敵同士が手を組んだことで野合政権という批判を受けます(この時期に形成された既存政党への不信感が現在に至るまで尾を引いている気がします)。
 
新進党自民党以外で社会党議席を超えた戦後初の政党だった)の誕生と解党、それに伴う新党ブーム等、非自民・非共産連立政権と自社さ連立政権の時代、日本政治は混乱の渦中にありました。創価学会を猛烈に非難した四月会が元気に活動していたのもこの時期です。
 
自社さ連立政権は1998年まで続きます。自社さ連立政権は、社会党新党さきがけの弱体化(社会党新党さきがけに所属していた議員が中心となって、民主党が結党されます)と社会民主党社会党から党名変更)の政策方針転換を主な理由に解消されます。
 
自社さ連立政権誕生から解体までの期間に新進党からの離反者が自民党に合流するなどして自民党衆議院での過半数を回復しますが、参議院での単独過半数を奪い取ることが出来ずにいました。
 
1998年7月、自社さ連立政権を解消して臨んだ参議院選挙で自民党は敗北。当事の橋本首相は責任を取って内閣総辞職小渕内閣が誕生します。1998年7月から1999年1月までの期間、小渕内閣は数年ぶりに自民党単独与党の状態でしたが、参議院における単独過半数獲得は未達成のままでした。
 
参議院での過半数を確保し安定した政権運営を目指す意図があったのか、1999年1月、自民党小沢一郎率いる自由党と連立政権を樹立。自自連立政権が発足します。
 
この自自連立政権は、1999年10月に公明党が参加して、自自公連立政権へと変化します。2000年4月に自由党が連立を離脱。連立離脱に反対した議員が自由党を割って出て保守党(後に保守新党)を結党、連立政権に参加。自自公連立政権は自公保連立政権に変わります。
 
2003年11月、保守新党(保守党)は自民党に吸収され解散。自公保連立政権は自公連立政権へと形を変えます。
 
自公連立政権は、2007年7月における参議院選挙での敗北(ねじれ国会の形成)を経て2009年7月、麻生首相(当時)が必敗のタイミングで衆議院を解散、民主党相手に惨敗し消滅します。
 
この衆議院選で自民党は結党以来守り通してきた衆議院第一党の座から転落、連立政権の相棒である公明党小選挙区全滅。自民、公明両党は歴史的な大敗北を経験します(ここでよく反省すべきだった)。
 
2009年9月、選挙に大勝利した民主党を中心に、民主党社会民主党国民新党による連立政権(鳩山内閣)が誕生。細川内閣に次いで戦後二度目、自民党が参加しない政権が発足します。
 
民主党中心の連立政権は誕生直後に普天間基地の問題を巡り大きな混乱を生じ失速。2010年7月の参議院選挙では議席数を減らし、少数与党の立場になってしまいます(ねじれ国会)。
 
2011年に東日本大震災が発生、対応に追われます。更には尖閣諸島を巡り中国との関係が悪化する等、政権運営をする上で苦しい状況が続きます。最終的には2012年11月、追い込まれた野田総理民主党政権に不利な状況下で解散総選挙を行い敗北。民主党中心の政権は終焉を迎えます。
 
2012年12月、民主党中心の連立政権を打ち破り第二次安倍内閣が誕生。自公連立政権が復活、現在(2021年4月)まで継続しています。
 
以上、日本に誕生した連立政権について(政権交代劇について)簡単に振り返ってみました。自民党以外で政権への参加(与党)を経験した政党は以下の通りです(五十音順)。
 
改革の会、公明党国民新党社会民主連合社会民主党(社民党)、自由党新生党新党さきがけ日本社会党(社会党)、日本新党、保守党(保守新党)、民社党民主改革連合民主党
 
この内、現在も政党として存在しているのは公明党社会民主党(社民党)だけです。社民党は殆ど死に体なので、勢力を維持しているのは事実上公明党だけと言えます。
 
民主党自民党を下野させて連立政権の中心軸になったわけですが、2012年の選挙に敗北後は自民党と競えるほどの勢力を回復できず、立憲民主党が事実上の後継政党ですが(経緯的には国民民主党か?)、民主党自体は消えたと考えて良いと思います。
 
1999年10月から2009年9月までの約10年間と2012年12月から現在に至るまでの約8年間。足掛け約18年間の与党生活は、自民党に次いで歴代2位の長さです。
 
社民党社会党時代(非自民・非共産連立政権時代を含む)を足して約5年5ヵ月で歴代3位。民主党が約3年2ヵ月で歴代4位です。
 
新党さきがけ社会党社民党の議員が中心になって民主党を結党したことを考慮して民主党を約8年(自社さ連立政権時代と非自民・非共産連立政権において社会党が参加した細川内閣時代を追加)の与党生活と計算しても、足掛け約18年間の与党歴は自民党に次いで堂々の2位です。
 
18年間与党を務めた公明党は日本をどう変化させたのか。責任政党として掲げてきた政策をどう実行してきたのか。生活しやすい環境になったのかどうか。日本周辺の国際情勢はどうか。未来は明るいか。少なくとも安心出来るかどうか。それらを検証すれば、与党としての公明党の評価も決するのではないでしょうか。