狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

おすすめ軍事書籍ーこれが人間か

人間の条件を問う。それは非常に危険な意味合いを持つ。ある特定の条件を持って人間を定義すれば、ほぼ確実に、人にして「人間でない」存在を作り上げることになる。それを許せば、収容所の扉が開くことになるだろう。

 

前回に引き続き、ホロコーストを題材にした書籍を紹介する。正直なところ、重い話を連続でやるのも気が引けたが、間をあけるのも嫌だったので、敢えてチョイスした次第である。書籍のタイトルは「これが人間か」。

 

元々この本は「アウシュビッツは終わらない」というタイトルで、1980年に翻訳出版されていた。それが2017年、改訂完全版として、当時未収録だった部分等を翻訳加筆し、タイトルも原著の翻訳に改題、世に出された。前回の「普通の人びと」もそうだが、絶版古典の復活は本当にありがたい。

 

おすすめ軍事書籍ー普通の人びと - 狂気従容

 

さて、「これが人間か」の内容はどんなであるか、簡単に言えば、著者であるプリーモ・レーヴィアウシュビッツ強制収容所体験記である。

 

著者の生い立ちに始まり、収容所への移送、そして収容所における生活について、そこで体験した者にしかわからないであろう、地獄(という表現すら生ぬるいかもしれない)の日々が綴られている。

 

その内容を事細かにここで紹介しても、原文の迫力には全く及ばない。軍事、特に第二次世界大戦に興味を持っている方は、ぜひとも直接手に取って読んでいただきたい。出来れば、加害者側に焦点を当てた「普通の人びと」とセットで読んでいただきたい。

 

第二次世界大戦の核心とも言えるホロコースト。タイトルにある通り「これが人間か」と思わせるような内容がぎっしりと詰まっている。「普通の人びと」と読み合せれば、第二次世界大戦のあるいは大虐殺の原因を、イデオロギーの暴走・狂信だけで簡単に説明できることでは無いと理解できるだろう。

 

「これが人間か」を読む以前から、ある程度、収容所周りのことを調べていたが、直接の体験談だけあって、統計的な数字では知ることのできない生々しい記録が記されている。生々しい。それは、ガス室の描写がリアルであるとか、虐殺の表現に背筋が凍るとか、そういう意味ではない。生活の臭がする。強制収容所における日常生活(何というパワーワード)をイメージできるということだ。

 

プリーモ・レーヴィは、「これが人間か」もさることながら、その後に出版された「溺れるものと救われるもの」というタイトルの書籍(ホロコースト分野に興味のある人は手を出すべきだろう)およびそこで提唱された、「灰色の領域(グレイゾーン)」という概念で有名である。

 

「溺れるものと救われるもの」も既読であるが、先に「これが人間か」を読んだ方が分かりが良いと思う。考察的内容が多い「溺れるものと救われるもの」に比べ「これが人間か」の方が物語性がある。テーマがテーマだけにこんな言い方は不謹慎であるが、「これが人間か」の方が読み物として面白い。

 

著者が指摘するところでは、強制収容所は、加害者と被害者に二分化された場所ではなかったという。それを、灰色の領域-つまり白黒はっきり分けられない-と表現している。

 

「何を言っているんだ?」と思われる方もいるかもしれない。私もそうだった。収容所には、加害者たるナチスと被害者たるユダヤ人(とスラブ系、ロマ、障害者、社会不適合者など)がいた。そう、単純に考えていた。

 

「与えられる命令をすべて実行し、配給だけ食べ、収容所の規則、労働規律を守るだけでいい。経験の示すところでは、こうすると、良い場合でも三ヶ月以上は持たない。」
とは著者の言葉である。では、生き延びるにはどうしたらよいか?生き延びた者はどう振舞ったのか?

 

紹介詐欺のようで申し訳ないが、灰色の領域が何を意味しているのか、それを含めて是非ともご自身で確認していただきたい。ここで本文をツラツラ紹介しても、その破壊力の数百分の1も伝わらない。強制収容所における日常生活、地獄を生きるということを、体験者の文章から感じ取っていただきたい。

 

全く余談だが、私はこの書籍を出張先の書店で購入し、帰りの電車から家について寝るまで、ぶっ通しで読みきってしまった。出先で飲みに行かなかったのは、コロナ以前だとその時だけ。1冊の書籍にここまで熱中したのは、10年ぶりくらいだったと思う。それくらい、衝撃的だった。

 

最後に少しだけ、この本で印象に残っているエピソードを紹介して、終わりにしたい。著者が言うには、配給のスープを貰う際には、最初の方に並んではダメで、皆空腹で苛立っているにもかかわらず、最初の列には並ばないらしい。というのも、最初のスープには具が入らず(鍋の上からすくうからだろう)、一番水っぽいスープが割り当てられるからだそうだ。その数キロカロリーを摂取できるかどうかで、生死が分かれたのかもしれない。