狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

おすすめ軍事書籍ー容赦なき戦争

第二次世界大戦を、戦域で大きく分けるならば3ないし4地域に分類できるだろう。西部ヨーロッパ戦線、東部戦線(独ソ戦)、太平洋戦線、これに中国戦線を入れて3ないし4地域だ。

 

この中で、ダントツ地獄なのが東部戦線である。海外の研究によれば、ソ連の捕虜になったドイツ兵の死亡率は35.8%、ドイツの捕虜になったソ連兵の死亡率は57.5%。降伏し、投降しても許されぬ世界。相手を殺す以外に助かる方法が存在しない世界がそこにあった。ちなみにだが、ドイツの捕虜になった連合国兵の死亡率は4%程度だ。連合国の捕虜となったドイツ兵の死亡率は1%以下。

 

ある程度ミリタリーに興味を持っている方なら、この調査の中身を気に掛けるだろう。「そもそも捕虜にしない場合はどうカウントされているのか?」と。それはその通りで、捕虜になった後の生還率と、捕虜になれるかどうかは全く違ったりする。そもそも降伏を許さない場合もあるからだ。

 

「捕虜をとらない」それはどの戦線においてもある程度報告されている、特定の地域に偏重しない戦争犯罪だったわけだが、人種差別的要素が絡まった場合、より残酷な振る舞いとして記録されている。ナチズムがそれに該当することは言ううまでもない。地獄の東部戦線が構築されてしまった理由の一つがそこにある。

 

「戦争における「人殺し」の心理学」においても少し紹介したが、人種差別は殺人のハードルを効果的に減少させる。相手を人間と思わないことが、殺人のストレスを和らげるのだ。人間を殺すことに抵抗があるならば、相手を人間だと思わなければよい。

 

おすすめ軍事書籍ー戦争における「人殺し」の心理学 - 狂気従容

 

さて、その戦争における人種差別を、太平洋戦線にフォーカスしまとめあげたのがジョン・ダワー氏の「容赦なき戦争」である。原著の出版は、1986年。翻訳版も「人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流 」というタイトルで、1987年に出版されている。2001年、「容赦なき戦争」というタイトルに改題され文庫版が刊行、私が所持しているのはそちらである。

 

この本は太平洋戦線にフォーカス、つまり日本軍対連合国の戦いを中心に置いた書籍である。自国の歴史を学ぶことは、時に目を背けたくなることもあるかもしれないが、私にとってこの本の衝撃はどちらかというと外側、連合国側の残虐性にあった。

 

「交戦国の方がより残酷だった」などと、レベルの低い比較論を述べるつもりは更々ないのだが、それまで連合国側の残虐行為をまともな文献で確認する機会が少なかった私としては、彼等もまた「1940年代の人間」だったのだと、認識させる材料となった。

 

「連合国も残酷なことをした」という論法で、自国の残虐性を過少評価することも決してないが、国籍を問わず当時の人間が現代人とは「だいぶ違う」という感覚を、私に植え付けるには十分だった。こんなひねくれた私だが、映画やドラマの影響から連合国兵士を「現代化」し、幻想を抱いていた。

 

両陣営の残虐行為、差別意識がどういうレベルであったかは、紙面で確認していただきたいところだが、おそらく途中でお腹一杯になるだろう。飽きるという表現は少し不謹慎だが、余りにも現代の感覚とはかけ離れたエピソードが並んでいるので、メーターが振り切れ麻痺してしまうと思う。

 

ボルチモア・サンという新聞に「(戦利品として)息子が切り落とした日本兵の耳を、母親である私に送ることを許可して欲しいと当局に訴えた話」が掲載された……などというぶっ飛んだエピソードがふらっと紹介されている。日本兵の頭蓋骨をブロンド美女と一緒に掲載したライフ誌のエピソードは有名だが、感覚の違いに驚かされる(今ならば、ブロンド美女の部分も問題にされるだろう)。国を問わず、現代の基準でいえば、みんな壊れていたのかもしれない。死体損壊の話は、ペリリュー・沖縄戦記でも紹介されていたが、酷いものである。

 

おめすす軍事書籍ー ペリリュー・沖縄戦記 - 狂気従容

 

タイム誌はある戦闘(アッツ島の戦い‐日本軍が玉砕した戦闘)に関連して「ことによると彼らは人間かも知れない」というタイトルの記事を掲載したそうだが(それを-人間であること-否定する内容だったようだ)、これをアフガニスタンイラク相手に行えば、即日糾弾されることだろう。日本軍約2600人が参加し生存者はわずか30人程度と、アッツ島の戦いにおける日本軍が狂気的なまでに戦ったのは事実だが、それにしても信じられないタイトルだ。

 

もっとも、日本においても雑誌「主婦之友」が「アメリカ人をぶち殺せ」なんてスローガンを掲載していたりするので、彼等が異様だったのではなく、1940年代なんて「その程度」だったのかもしれない。今の私たちが考えている以上に、差別と暴力に溢れていたのだ。

 

「容赦なき戦争」では、現場における残虐行為、差別意識だけでなく、当時の学者による人種論や国策としての敵国評価等も紹介されている。個々の具体例以上に重要なのは、その時代の一流とされた学者が、当時最先端の学問を用いて真剣に考えた内容が、数十年後には失笑されるネタでしかないということだろう。今私達が「科学的に妥当・合理的」と考えている事柄が、数十年後においても適切な解答であるのか、注意する必要があるだろう(DNAを踏み台にした優生学など)。

 

著者は、16世紀にスペイン人がインディオ蹂躙を正当化するために書いた文章を紹介しながら以下のように述べている。
「獣のしるしのように、原始人、子供、精神的、情緒的に欠陥のある敵というカテゴリー―第二次世界大戦中はとりわけ日本人に当てはまると思われ、新しい知的な解明も当然、日本人に特有のものとみなされたが―は、つまり西欧の意識に記号化された基本的には決まりきった概念であり、日本人専用のものでは決してなかったのである」

 

上記指摘は、人種差別に限らず、差別の構造として示唆深いものがあると思う。

 

当時の人種差別というと、欧米の白人至上主義か、占領地域における日本人の圧政が注目されがちだが、日本人が連合国(主にアメリカ)を「鬼」として表現したことも、ある種の人種差別に当たることに気付かされた。この書籍を読むまでは意識しなかったが、人間を人間以外のもので形容することは、それが下等な存在でなかったとしても差別に当たるのだろう。

 

「西欧の人種差別が他の人々を侮辱することに際立った特徴があったのに対し日本人はもっぱら自分自身を高めることに心を奪われた」という著者の指摘も大変興味深い。これは今もって当てはまるようにも思われる。現代においても、「日本人凄い」論というのは、「○○人駄目」論よりも受けがいい。

 

日本を「指導民族」と位置づけ、「世界で唯一の優秀民族」と考えていた人達がいたという事実は、夜郎自大にも程があるだろうと突っ込みを入れたくなるが、それ以上に、ナチスドイツと同盟を組んでいる状況でそんなことを宣言している連中がいたことに驚きを隠せない。

 

今に比べれば情報の制限が多かったとはいえ、世界一の民族を別々に自称する同盟というのは、あまりにも馬鹿げている。その馬鹿げているで、数千万人が亡くなっているので笑えない話ではあるが。

 

大和民族を中核とする世界政策の検討」という、文字にしただけで頭が痛くなるような報告書の存在は(厚生省研究所人口民族部の約40人の研究者が作成、全約4000ページ!)、実際の日本国民への影響力はともかく、戦争中、そんなことに貴重なリソースを分配していたという点において、悪趣味なコメディのようにさえ感じる。くそ忙しい戦中に、そんな量の文章、碌に読まれていないだろうに。

 

本書籍は文庫版で500ページオーバーのヘビー級タイトルである。気軽に手に取る書籍ではないかもしれない。伝記のような物語性もない。人を選ぶ本なのは事実だろう。しかしながら、様々な差別が話題を呼ぶ現代において、戦争という極限状態で差別が先鋭化するとどうなるのか、あるいはどう評価されるのか、非常に示唆深い書籍であると思う。

 

最後に、本書籍において紹介されている、当時の米国戦時情報局、日本研究チームを率いた社会学者・精神学者の言葉を紹介して、今回の書籍紹介を終わりにしたい。


「政府の高官というものは、酔っ払いが街灯を用いるように社会科学を使う。つまり照明のためというより支えのためである」