狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

弱者男性について当事者が思うこと

弱者男性というワードが目立つようになった。私自身、似たようなことをテーマに記事を書いてきたが(自分の暗い話をしてきただけな気もする)、ネットで見かける弱者男性をテーマにした記事の多くが、女性差別(女性蔑視)やフェミニズムとの対比、差別構造におけるカテゴライズ等にフォーカスされていることに違和感を感じる。まぁ、弱者男性の悲惨さを強調するのはアレだな、貧困特集なんかと同じだ。インパクト、取れ高狙いだろう。

 

人間をカテゴライズすることは可能だ。性別、国籍、人種、遺伝子、資産、教育……挙げればきりがないだろう。その中で、性別はかなり大きな影響を持っていると思う。私は日本道徳教育の落ちこぼれであり、友人も少なく、家族は宗教狂い。経済的に優勢でもなく、知能が特段秀でているわけでもない。私は、よりどころとするグループや共同体を、物理的にも精神的にも持ち合わせていない。

 

そんな私でさえ、こと性別となれば、「男」という世界を2分している一大派閥の一員ということになる。世界における性的少数者の人数、割合を把握していないが、「男」か「女」かで、世界の90%以上を席捲できるだろう。性別というのは、かなり大きなタグだ。私にいかなる経歴があろうと、それらを圧倒して、「男」というタグが目立つことだろう。まぁ、創価学会員であるとか、夢破れた30代半ばの中年であるとか、まともなタグが無いわけだが。

 

年齢というのも大きなカテゴリー(大人と子供の対比もそうだろう)だが、年齢の場合変動があるので(誰でも年を喰う)、ほぼ固定的なキャラクターである性別の方が強い影響力を持っているよう思う。私が10年後、45歳になることはあっても、女になることはないと思う。

 

性別以上に強いものがあるとすれば、人間そのものだろう。ようは、カテゴライズしない。人間は人間である。以上。分割しなければ世界の100%を占有できる。人間をカテゴライズするという発想自体が間違っているのかもしれない。

 

強者or弱者の比較はどうなのか?と問われる難しい。能力の優劣は確かに存在するが、それが他人を支配して良い理由になるかと問われれば答えはNoだろう。基本的人権を尊重するならNoだ。ちなみにだが、全ての人間を弱者にカテゴライズできるのが暴力だ。暴力はある意味平等だ。30-06とか357マグナムのHPを頭に打ち込まれて死なない奴はいないだろう。暴力の平等、その極致が核兵器だ。

 

話がそれた。人間をカテゴライズする時、性別はとにかく強烈な支配力を持っている。輝かしい経歴があろうが、聞くも無残な過去があろうが、特異的な資格を持っていようが、性別の対比の中で分類されればかき消される。で、弱者男性の話に戻す。

 

弱者を救済するとしたら必要なことは何なのか、それを論じるべきだ。精神論ではなく具体策。法律だったり、支援制度だったり、ハードでもソフトでも必要なサポートは何か、考えるべきだ。考え、実行すべきだ。正直なところ、弱者や差別がどう解釈されているかとか、現代社会における位置付けとか、当事者の生活向上につながるとは思えない。救済する気がないならば、まぁ仕方ない。

 

弱者男性というのを、こと異性経験の貧弱さと経済的な貧困に限定すれば、現実問題として実行可能な支援策は限られてくる。年齢が若ければ、まだチャンスもあるだろうが、35歳も過ぎると日本社会のリアルさは「いつか報われる」などという甘言を許してはくれない。35歳で彼女なし=年齢の状態で、結婚できる確率はどのくらいだろうか。孤独死しない未来はあるだろうか。経済的な格差が固定化する中、中年からの成り上がりは不可能でないにしろ、統計的に優位な数字は残せないだろう。

 

弱者男性を、性的にあるいは経済的に、またはその両方で成功する可能性が限りなくゼロに近い男性と定義しよう。場合によっては、同性との友好関係も希薄かもしれない。私のことだな。

 

セックスの機会を創出するというのは現実的な対応案ではないだろう。風俗産業を支援するというのは一つの回答かもしれないが、「非モテ」であることを変えることは出来ないし、伴侶を得る支援にもならない。雇用環境の整備は可能だろうが、50代男の平均年収の「中央値」が500万いかない現状で(データによる差異あり)、どこまで改善できるかは不透明だ。

 

セックスの機会がないこと、経済的に貧窮している現状を、それが変わらないだろう未来をただ肯定させるというのは馬鹿げている。報われない者が、憎まず、妬まず、恨まずで黙々と働いてくれる。ことによっては、それを幸せだと感じてくれる。支配する側には都合が良いだろうが、よほど厚い信仰心がなければ達成不可能だろう。

 

弱者男性が、自身のあるがままを認めた上で排他的にならず、恨みも憎みも妬みもせず、どうにか自分の中で害にならない価値観を作り上げ、黙々と労働にいそしみ、迷惑かけずに死んで欲しいというのは、支配する側の願望だ。

 

弱者男性の選択肢というのは、基本的に以下三つ。
1.奴隷になる
2.自殺する
3.テロリストになる


自己承認をどうするかって話は、選択した後のこと。基本は1を選ぶ、というか1以外を選ぶとこの世から消えるわけだ。物理的に。

 

で、実際暗い未来しかない中で、どの様に救済するかという話、割と答えは簡単で、セックスできないなら最高のオナニーを用意すればいい。VR技術でも、合法的な薬物でも、アルコールでも何でもいい。一人で快楽を得られる方法を提供することだ。そうすれば、世間に弊害を出すことも無いだろう。頭の中と、自分の部屋の中ならば、何をやっても自由だからな。

 

物理的に解消できない苦しみには、宗教か麻薬が必要になる。おそらく理性では抗えない。それが出来れば、格差なんて生じない。人との繋がりとか友情、誰かの思いみたいなのが、宗教、麻薬(最高のオナニー)への対案になるのだろうが、弱者男性にはそれが無い。

 

この案の問題点は、最高のオナニーの中に、安楽死が含まれることだろう。どうせ最期は死ぬわけだから、特に希望が無ければ気持ちよく楽に死にたいと考える者がでてくるはずだ。それを承認できるかどうかは、難しい。終末医療における尊厳死と違って、生きれる人間を敢えて殺しに行く行為を認めることが出来るか。大きな議論となろう。

 

弱者男性の話を気軽に話すのは、当事者以外-私が当事者かどうかを判断するのは他人かもしれないが-やめた方がいい。以前にも何度か記事にしているが、

孤独な私と人権問題 - 狂気従容

 

他人の人権を嗜好品として楽しむことのできない者は社会と共存できるか?という非常に深刻なテーマを問いかけることになる。準備もなしにその議論に突入し、答えが「共存できない」だった場合、文字通り戦争になるだろう。生存権を奪われるのだから。漫画「花の慶次」には、「人には触れてはいけない痛みがあるそこに触れたら後は命のやり取りしか残っていない」というセリフがあるが、まさにそれである。

 

もっと話したいこともあるが今回はここまで。海外の事例とか、次はもう少し数字を出したい。