書籍やネット上において既に何度も指摘されていますが、「若脳乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」の記述は、全ての曼荼羅本尊に記載されているわけではありません。
むしろ、日蓮真筆本尊と見なされている本尊群の中で(現在確認されているのは127体(幅)というのが一応の定説だそうです)上記二文が記載されている本尊は少数派に属します。
また、「若脳乱者頭破七分」「有供養者福過十号」ではなく「謗者開罪於無間」「讃者積福於安明」が用いられているものもあります。「若脳乱者頭破七分」と「讃者積福於安明」の組み合わせもあります。
「若脳乱者頭破七分」「有供養者福過十号」「謗者開罪於無間」「讃者積福於安明」を全部載せている本尊もあります。
以下、日蓮真筆本尊の相貌が確認できるサイトのリンクを貼り付けておきます。
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html
おそらく、山中喜八氏の本尊集をベースにオンライン化したものです。実際には、もう少し追加分があるそうです。歴史的経緯から紛失した本尊もあるでしょう。
「若脳乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」の記載がある本尊は、弘安年代のある期間に作成された本尊に限定されます(弘安元年から2年まで)。
弘安4年や5年、日蓮最晩年に作成された本尊には見られません。ついでに言うと、弘安2年に作成されたとされる大御本尊には「若脳乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」の記載はありません。
何か理由があるのかもしれませんが(授与者の状況とか?)、同じ日に作成されたと思われる本尊(図顕日が同年同日)で、片方の本尊には「若脳乱者頭破七分」「有供養者福過十号」「謗者開罪於無間」「讃者積福於安明」を全部載せているにも拘らず、もう片方の本尊には一つも記載していなかったりします(上記リンク先、61番と62番の比較)。
本尊の相貌について詳しいわけではありませんが、日蓮自身、本尊作成に関して試行錯誤(あるいは臨機応変さ)があったのかな等と考えたりします。ちなみに、最初に作成されたとされる本尊(通称 楊枝本尊)はかなりシンプルな構成です(佐渡に渡る直前という余裕のない状況も関係するかもしれませんが)。
創価学会では、罰論・功徳論に絡めて、「若脳乱者頭破七分」「有供養者福過十号」の部分を強調しがちですが、果たして本当にその必要があるのですかね?私も10年前に須田晴夫氏の著作を読むまで(それも偶然)、本尊の相貌に差異がある事を知りませんでしたので偉そうなことは何も言えません。
運のよいことに、創大の図書館には山中喜八氏の本尊集が蔵書されていたので、現物を眺めることができました。そこで感じたのは、本尊作成に関する日蓮の試行錯誤でした。あるいは臨機応変さでしょうか。