狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

信濃町に目を付けられる人

信濃町に目を付けられてしまう人。端的に言うと、金と票にならない会員を増加させ得る方です。

 

インターネットの普及により情報の拡散に歯止めが掛からなのはもう何年も前からですが、各種SNSの存在は会員に議論の場を提供したという点で目新しさを感じます。

 

知っている方も多いと思いますが、反創価学会系のサイト(HP)は以前から多数存在していました。ただ、古くから(1990年代後半から2000年代前半)存在する学会批判サイトの多くは創価学会を全否定するタイプ (日蓮正宗系サイトや反公明系サイト(反日云々の右翼系))だったので、会員にたいする影響力は限定的だったと思います。

 

1990年代後半から2000年代前半と言えば、創価学会が週刊誌とバトルしていた時期でもあり、「反創価系情報=デマ・ウソ」の構図が各会員の中でも強かったと思います。また、インターネットが今ほど普及していませんでした。

 

2000年代後半からでしょうか。ブログの普及によって、個人がネット上で情報発信するハードルが下がり、学会員が個人的に情報発信する場所が増えたと考えています。活動家系、アンチ系、観察系、資料系、素直な感想系……様々な情報が流れる様になったのではないでしょうか。

 

ブログの普及時期と前後して、反創価学会に限定されない、反日蓮正宗教学、反富士門流のスタイルのサイトも増えたのではないかと個人的には感じています。

 

少し余談ですが、今言われているような教義問題の多くは、少しネットを漁れば幾らでも出てきます。特に創価学会に限定せず、日蓮正宗教学、日蓮法華経……抱えている課題について随分前から指摘、考察されてきた様です(書籍上ではもっと古い)。

 

しかながら全体的に知名度が低く、加えて学会員の多くが教義問題に余り関心を示さないので、創価学会にとってクリティカルな案件であっても、学会本部は特に取り合わずに済んできました(これからはどうかな?)。

 

古くから存在するアンチ系サイトの特徴は、学会と池田名誉会長を全否定するところにありますが、この条件に影響される会員は、第二次宗創問題前後で既に創価学会を去っていることが多いでしょう。

 

後になってから様々知って……という方もいると思いますが、創価学会と池田名誉会長を全否定する格好で学会を抜ける人・活動家を辞める人は全体から見れば少数派なので、世間のイメージ対策と言う点では信濃町も看過出来ないはずですが(この辺は信濃町の怠慢)、既存会員への影響力に関しては無視できる範囲です。

 

SNSによって知名度が上昇することもあると思いますが、「学会と池田名誉会長を全否定する」系のサイトなり人物が現役学会員(特に活動家)に影響力を与えることは殆どありません。そこは入り口としては狭いだろう、というのが私の見立てです。

 

これまでの反創価学会的主張の多くは、学会・公明党・名誉会長を一緒くたに非難する傾向にあったので、池田名誉会長を尊敬する会員の多くは、その手の主張を一緒くたに否定してきました(その是非はともかく)。

 

反池田名誉会長路線に同調者が殆ど出ないことを知っている信濃町は、古いタイプのアンチにそこまで関心がありません。


信濃町が対応に苦慮するのは以下2パターンあって、

 

1.池田名誉会長を強く肯定した上で、現学会執行部、あるいは公明党に異議を唱える方
2.難しい話抜きに創価学会が嫌になった体験談を素直に語る方

 

理由は簡単で、同調者を量産、つまり金と票にならない会員を増加させるポテンシャルを秘めているからです。特に、組織で有役職者だった方は影響力が大きいと判断されるでしょう。

 

名誉会長が直接指導をしなくなった今、名誉会長の発言を巡って解釈論争をすれば創価学会は分裂一直線です(私は全く困らないですが)。体験談と感想の発露という、感情のメディアであるSNSの特徴を最大限に引き出す方々は、離反者を指数関数的に増加させるポテンシャルを秘めています。

 

法華経日蓮に限らず、宗教というもの政治というものを在野的に学んで発表されている方々もおりますが、金と票に対する影響力は限られているかなって感じです。もっとも、そう言う人達は現在組織の方向性とか名誉会長の評価だとか何遍も言われてきた教義批判だとか、そこまで興味ないでしょう。学究の徒とはそういうもの。

 

個人的には、ここ2、3年、創価学会を離れた理由を素直に話す人が本当に増えたように感じますね。教学や公明党の政策関連で離反する人は、もう一段落したかなって感じです。末端会員には関係ありませんが、職員にとっては死活問題でしょうか。もっとも、蓄えがたんとあって、しばらくはそこまで困らない可能性もあります。