狂気従容

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おすすめ軍事書籍ー機関銃の社会史

強力な兵器の出現は、その強大な破壊力によって、戦争あるいは戦闘を抑制抑止するだろう。そんな目論見は常に外れきた。ダイナマイトを発明したノーベル、毒ガスの父ハーバー。ダイナマイトも毒ガスも、強大な破壊力によって戦争をより残酷にし、死人の数を増加させるだけに終わった。

 

核兵器はその目論見を達成できているように感じるかもしれない。核兵器が、大国同士の戦争を抑止している部分も一面にはある。しかしながら一方で、冷戦期における代理戦争の増加や核保有国による通常兵器限定の戦争-そのいくつかでは大きな成果を示せなかった-は、核抑止の限定性を証明するものだろう。また、テロリスト相手に核兵器は抑止力にならない。明確な領土を持たぬ相手に、大量破壊兵器は効果を示せない。対テロ戦争20年、多くの命が奪われたが、まだ紛争は終わらない。

 

機関銃(マシンガン)を作った男も同じことを考えていた。近代機関銃の祖であるガトリング銃を発明した男、リチャード・ジョーダン・ガトリングその人である。彼は南北戦争-世界初の近代戦-の惨禍を目撃した後、以下のように考えたらしい
「兵士100人分の仕事を1人でまかなえる兵器は、大軍を不要のものとし、結果的に戦禍や疾病にさらされる兵士の数を大幅に減らすことが出来るだろう」
それが誤算であったことは、第一次世界大戦が嫌というほど証明することになる。

 

さて、今回紹介するのはそんな機関銃の歴史に焦点をあてた書籍、「機関銃の社会史」である。奇妙なタイトルに思えるかもしれないが、何でも研究対象にしてしまう社会学歴史学という学問からすれば、機関銃も立派な研究対象である。

 

近代小銃(後装式ライフリング銃)の登場によって、殺戮のスピードは驚異的に向上した。近代銃はそれまでの前装式銃(火縄銃の類)よりも数倍早い発射速度とより正確な射撃を可能にした。機関銃はそれを更に過激に効率化したと言える。どのくらいの違いがあったかというと、第一次世界大戦勃発直後(1914年)、通常の小銃を用いた兵士は良く訓練された者で1分間に最大で30発、新兵では10発程度の有効な射撃が可能だったが、1908年製の機関銃は1分間に500発の発砲が可能だった。ADSL回線と光ファイバー回線くらいの差がある。

 

ではその驚異的な能力をもつ機関銃は、使用者たる当時の軍隊から歓迎され、直ぐに普及していったのかと言うと、そうではない。その解説こそ、この本を読む面白さである。

 

ガトリング銃をはじめ、機関銃の祖といえる工作物達は、だいたい1800年代の後半に姿を現し始める。最初期の機関銃が、工作精度の低さによる作動不良・故障の多さによって、信頼を得難かったのは事実であるし、運用上の未熟さによって、本来の効果を実戦で示せないことがあったのも事実である。どちらも最新テクノロジーの導入時には良くある類の話だが、それ以上に機関銃の普及を妨げた原因は、保守的で凝り固まった当時の軍隊組織にあった。

 

当時の軍隊では、不屈の意思を持った兵士の突撃によって、あらゆる敵の防衛線は突破可能であると考えられていた。軍隊の幹部は、戦争とは生身の人間が行うものと考えていたし、技術変化を受け入れることを毛嫌いした。機械に支配される戦争を認めることが出来なかった。要するに、技術に対して無知であるだけでなく、自分達の精神基盤を奪う技術を受け入れる気がなかった。少し長くなるが、著者の言葉を以下引用する

 

「士官たちの戦争に対する観念は、いまだに昔ながらの白兵戦と個人の武勇という信念が中心になっていた。自分たちは戦場で相まみえるのであり、そこでは主役は未だ人間であり、勇気と覚悟さえあれば必ず勝てるものだと思っていた。幸運にもイギリス人、あるいはフランス人、ドイツ人に生まれたからには、当然それに相応しい気質に恵まれているはずだ。そうした者が、単なる機械に昔ながらの自分たちの特権を奪われるのを容認するわけにはいかない。そこで、機関銃を無視することになった」

 

当時機関銃の有効性に気付いた者、その活用を主張した者の存在も、書籍においては紹介されている。凝り固まった組織にも先駆者はいるものだ。だが彼等は少数であり、なにより軍隊の主流派から離れた場所にいたらしい。つまり、優れた意見であったが影響力を行使できなかった。機関銃以外の分野においても、まことに散見せらるる事象ではないでしょうか。

 

1800年代後半から第一次世界大戦まで、列強同士の大規模戦争はあまり起きなかったが、機関銃に活躍の場-技術レベル証明の場-がなかったわけではない。それはどこだったかというと、アフリカをはじめとした植民地地域である。

 

大規模な軍隊を派遣し辛い植民地地域において、1丁で100人分の働きをする機関銃は、少数による多数支配を支えるマスターピースともいえる働きをした。機関銃を装備した少数の部隊が、数では圧倒的な現地民をなぎ倒したのである。槍や弓、旧式の小銃しか持たない現地民に対し、毎分数百発の鉛弾を吐き出す機関銃を使用したのである。どういう光景が繰り広げられたか、想像に難くない。

 

機関銃の威力は証明された(あまりにも悲惨な証明であったが)、だが前述した理由によって、本国の軍隊が変わることはなかった。革新的な兵器であった機関銃は、植民地地域においてその実力を遺憾なく発揮した。先見の明ある幾人かの軍人知識人は機関銃の重要性を訴えた。にもかかわらず、第一次世界大戦で死体の山をきずくまで、ヨーロッパの大国において、機関銃は軽視されていた。もちろん、多少の配備ははじまっていたが、その恐ろしさ、自分たちが被るであろう被害について、あまりにも想像力が欠如していた。

 

そして迎える第一次世界大戦。人類史に残る大殺戮の始まりである。ソンム、ヴェルダン、イーペル。地獄と形容するにふさわしい戦場が幾つも形成されわけたが、機関銃こそが地獄をつくった主犯であった。1分間に500発の銃弾を発射する機関銃に向かって、500メートル離れた位置から数十キロの荷物を抱えた人間が突撃すればどうなるか、少し考えれば分かりそうなものだが、実際に惨劇を目にするまで、否、実際に惨劇を目にしてなお数年、分からなかったのである。

 

第一次世界大戦で機関銃が果たした役割について、その一例を紹介する。1915年に起きたある戦いでは、2丁の機関銃と10名程度の兵士が、1500名の攻撃を足止めした。まさに機関銃は、1丁で100人分の働きをしたのである。先に挙げた、ソンム、ヴェルダン、イーペルにおいては、両軍ともに甚大な犠牲者を出したにもかかわらず、決定的な成果を出すことに失敗した。途方もない数の兵士が前進し、その都度機関銃によって倒されたのである。

 

書籍において紹介されているが、本当に恐ろしいのは、そんな壊滅的な惨事を目にしてもなお、数年間同じことが繰り返されたことにある。機関銃陣地への無謀な突撃が何度も繰り返され、状況の変化に対応できないまま、いたずらに犠牲者を増加をさせた。機関銃は一瞬にして数百名の命を奪い、指揮官たちが立案した幾つもの作戦をとん挫させたが、凝り固まった精神を破壊するには数年の月日を要したのである。

 

本書籍の後半においては、時代の象徴としの機関銃について、考察がなされている。第一次世界大戦が終了し、軍隊に活躍の場がなくなると、機関銃も行き場を失う。そんな中、機関銃を愛用する者たちが現れる。ギャングだ。アル・カポネを始め、1920、30年代のアメリカを荒らしまわったギャングたちが使用したのが、機関銃を携帯可能なサイズに変化させたもの、サブマシンガン(機関短銃)だ。トミーガン、シカゴタイプライターと言えば、ミリタリーに興味のない方でもご存知かもしれない。

 

調べれば調べるほど、禄でもない代物である。植民地支配をサポートし、大量虐殺を完成させ、ギャングの得物になる。おそらく機関銃ほど、人間の暴力性を昇華させた兵器もあるまい。戦車、戦艦、戦闘機、あるいは毒ガスや核兵器と違い、1人で扱えるその小さな工作物は、その気になれば1000人、2000人を殺すことができる。機関銃こそ暴力の象徴だ。

 

以上、「機関銃の社会史」の概要について紹介させてもらった。まだまだ紹介していない部分もあるが、長くなったのでここらで終わりにしようと思う。内容からして、一般人向けの書籍とは思えないかもしれない。しかしながら、技術の進歩とそれに対応できぬ専門家集団、革新的な発明に対する不理解、辺境における成功とそれに対する主流派の無関心、そういった構図は分野を超え、いつでもどこでも起こりうる。本書は、機関銃に興味のない人にとっても、新しい発見を提供してくれるだろう。