狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

会員が創価学会から離れる理由

会員が創価学会から離れるには必ず理由があります。「創価学会に魅力を感じなくなった」から離れると言えばそれまでですが、「創価学会に魅力を感じなくなる」きっかけは幾つかパターンがあります。

 

今回は、私が見てきた典型例を紹介したいと思います。


1. 会員の振る舞いに幻滅した
おそらく最多ケース。家族を含め、会員の振る舞いに嫌気がさして離れる人は多い。「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いにて候いけるぞ」とは言ったものです。発展形としては、身近な会員との意見の相違に疲れて離れるケースも。家族間、友人間等、距離が近いほど疲れます。人間関係絡みで離れるケースが最も多く、そして最もつらいように思います。人付き合いが真摯な人ほど、譲れない部分がぶつかってしまいますね。泳ぐ人達には関係ありません。


2. 組織の打ち出しに疑問を感じた
公明党の政策、選挙支援含め、組織の打ち出しに疑問を感じて離れる人も多いかと思います。具体的な打ち出し内容、及び打ち出しの姿勢(押し付け感が強い)、その両方が引き金になります。以前も少し指摘しましたが、自公政権以降のやり口に嫌気がさして離れるケースが多いですね。また、人材グループ等での追い込みが嫌になるケースも多々見られます。酷い場合は病気になります……


3. 活動で人生が苦しくなった
説明する必要も無いかと思いますが、カツカツに活動して自分の首を絞めるケースです。真面目な人に多いですね。余暇の時間や休息の時間を削って活動して駄目になるまで頑張ってしまうケースです。「やめたら罰が当たる」みたいな強迫観念が追い込んでしまいます。体を壊して病気になるまで頑張ってしまう人もいるので、苦しくなる前に離脱するのが吉です。


4. 非会員との交流に触発された
分かり易いのが非会員との結婚。次が出産。家族を巻き込んでまで創価と繋がりたい……と思う人は一部の活動家に限定されます。何となく創価の家に生まれてたまに会合に出て、学会というものを特に深く考えてこなかったが……という方が非会員との結婚で創価の肩書どうするか、考える。でまぁ、利より不利の多さを知ると。

結婚で「本尊持ってくのかどうか」等口論になって、両親家族と険悪になって離れるケースもありますね。もっとも、学会員同士の結婚においても子供の入会を躊躇うケースは多い。

哲学・宗教の話から友人と口論になったり、何となく頼んだ選挙支援で創価学会公明党を知り……というのも多いですね。交友関係が広い方ほど、学会外の話に振れやすい。また選挙を頼むにしても、ルーチーンとして広く浅く頼む人と、他政党の支持者と喧々諤々やる人では会話の濃さが違います。他政党の支持者とディスカッションするタイプの人は、状況次第で学会組織との距離を変化させます。


5. 創価学会の本当の歴史を知ってしまった
完全無欠・清貧潔癖と思っていた創価学会が、金にまみれた不祥事集団と知った時です。幹部のスキャンダルなんかも当てはまりますね。Y元男子部長の件は大きな影響があったと思います。NTTドコモ事件しかり。最近だとキャバクラ辞任したホープがいましたね。反創価情報=デマとレッテル張りでしのいでいたおかげで、一度確信をもって「知る」と決壊は早いです。


6. 教義・信仰上の誤りに気付いた
Twitterでも指摘しましたが、教義問題はボディーブローです。派手なスキャンダルの様に会員を揺さぶることはありませんが、名刀が少しずつ刃こぼれするように、真面目で熱意のある会員からフェードアウトさせていきます。

前述した1~5の様々な要因から創価学会や池田名誉会長に疑問を感じたとします。「それでも信仰・御書は正しい」と何とか踏みとどまろうと思った方が、教義上の不備や遺文の真偽、富士の濁流、自語相違を知った時……一気に離れますね。信仰は保っても創価学会からは離れます。

 

7. とにかく嫌になった

生まれたときから創価学会員。日常生活を守るため、疑問を持ちながらも活動してきた。人によっては、そもそも創価学会に魅力を感じることも無かったかもしれない。それが限界になってしまった。1~6を少しづつ抱擁していたのが、リミットを超えてしまったが故、飛び出すことにしたパターンです。最近は、これが多いのではないかと思います。人間関係にしろ、教義にしろ、公明党の政策にしろ、疑問は確かに持っていたけれど、我慢して従ってきた。それが嫌になった。まぁ、嫌になるのが正常かなって思います。

 

だいたいこの様な分類が出来ると思います。SNS含め、Web上で創価学会、それも身近な活動、会員、組織、個人的な生い立ち等が議論されるのは、現場組織で上記シチュエーションに対応できないからでしょう。

 
似た様な悩みを抱えている会員がWebで繋がる。「疑問を感じていたのは私だけでは無かったのか…」という安心感が自身の意見なり感情をより堅固にする。感情共有による得心、SNS時代ならではでしょう。
 
教義に関しては少し特殊ですね。一般会員がディープな教義論争にアクセスし易くなったのは確かにSNSのお陰ですが、セーフティネットとしては機能するが教義問題には対応できない、そもそも末端会員が本当の意味で教義教学に興味を持ち辛い……という創価学会の中で、有志が議論の場としてWebを選んだのは自然な事かと思います。そしてその歴史はSNS時代よりもだいぶ前、2000年前後には既にあったようです。

 

私のブログにも、拙いながら教義教学に関する記事がありますが、そこで書いてあるようなことはもう何年も前から知られていたことです。私としては、蓋然性はかなり低いとはいえ、若い世代が教義教学に疑問を持った際の「入口」を僅かでも提供できればと思っています。公明党関係も同じ。

 

ただ前回も少し書きましたが、最近の状況を観察していると、教義関係や公明党の方針に疑問を持つ形で組織を離れる人は、一段落したように思います。2014年の教義変更、2015年の安保法案、なりふり構わぬ選挙支援。2012年あたりから2017年くらいまでの5年間、ある程度自分の頭で考えることが出来る会員を組織から離反させる要因をつくったのではないでしょうか。

 

いずれにせよ、自分の人生の為にならないならば離れるがいいと思います。明確な動機や目的は、必ずしも必要ではないです。その後どの様に振舞うかも自由です。教義教学を学ぶなり、政治運動に参加するなり、一切距離を置くなり、少し落ち着いて過去を振り返るなり、自分の好きなようにすればいいでしょう。