狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

補陀落渡海

以前沖縄の宗教を調べていた時に偶然知ったのですが、日本にはかつて補陀落渡海(ふだらくとかい)という命を賭した修行(捨身行)があったそうです。補陀落渡海とは何か。以下、和歌山県のHPから引用します(和歌山県那智勝浦が補陀落渡海の地として有名です)。

 

特集 海の国から

 

「本州最南端近く、和歌山県那智勝浦町に補陀洛山寺(ふだらくさんじ)という名刹がある。うつぼ舟と呼ばれる小さな舟にわずかばかりの食料と水を積み込み、南方海上にある観音浄土を目指す。そこは百花百村(びゃっかひゃくそん)、色鮮やかな花が咲き乱れる楽園だと言う。悩みや苦しみの多い此岸(現実世界)から、彼岸へと旅立つ補陀落渡海である。」

 


補陀落渡海周辺の信仰観に詳しいわけではありませんが、この様な修行が存在したことに衝撃を受けました。

 

何故そこまでしたのか、観音の浄土(理想郷)に到達出来ると本気で信じていたのか、苦しみを逃れて自殺する理由が欲しかったのか、海に出てから閉じ込められた狭い船内で何を考え思ったか、出港後に後悔しなかったか……想像し考えたところで答えは出ません。推察するだけで狂気に染まりそうです。ちなみにですが、強要されて無理やり渡海させられた例もあるそうです……。

 

補陀落渡海では海の機嫌任せに数日から最大で一ヶ月程度、小さな船内に閉じ込められて海上を漂うことになります。海が荒れれば溺死、荒れずにご機嫌なら餓死か渇死。経を唱えながら確実な死を一人孤独に待つ。その様な行動に出た人物が複数人いるだけでも十分驚きなのですが、歴史の魅力はその上をいきます。なんと補陀落渡海を生き延びた人物がいます。

 

1500年代に補陀落渡海に挑んだ真言宗の僧侶日秀は、那智勝浦からはるばる1000キロほど漂流した後、現在の沖縄県にたどり着き、死を免れたそうです。

 

日秀は沖縄に漂着した後、宗教活動に励み、寺社の創建や再興に関わったという記録が残っています(後付けの伝承もあるそうですが)。最後は再び海を渡って薩摩藩(現鹿児島西部)において没したそうです(薩摩の地においても宗教活動に励んだ)。

 

日秀が補陀落渡海に挑んだとき何を考えていたのかは分かりませんが、沖縄にたどり着く……などとは想定していなかったでしょう。そもそも沖縄と言う存在を知っていたかどうか。

 

死ぬことをほぼ確定させた人物が生き永らえ、想定外の場所でその専門性を発揮、功績を残す。その陰には誰にも看取られず海に消えた人物が何人もいるわけですが、歴史が動く時、人知は及ばないのかもしれません。出来れば一人でも多くの人物が、海に沈まなければいいなと。そんなことを考えたりします。