狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

アメリカ空母に助けられた話

以前にも書きましたけれど、私は2007年の冬、人生最悪の時期にありました。その後も何度か酷い時期がありましたが、2007年の冬が1回目の試練でした。大学を休み続け、留年するかどうかの瀬戸際に居ました。まぁ当時は留年するかどうかすら、どうでもいいって思っていましたが。

 

何をする気も起きず、昼夜逆転の生活を全力で続けていました。タバコを1日に4、5箱吸って、動画見て寝るだけの日々。当時酒を知っていたら、本当に死んでいたかもしれません。創価の活動からも完全に離れ、組織においても完全に浮いた存在になっていました。浮いているのはいつものことですかね。

 

学友とも連絡を取らず、完全に引きこもっていました。あそこで闇落ちしていたら、セーラムは新聞の一面を飾っていたでしょう。あの頃のことを思い出すと、我が人生の虚しさを振り返ることになります。自分が泣いている時、世間は笑っていられるのだと知る機会となりましたね。

 

さて完全に病んでいたセーラムですが、そんな時です、少しだけ前向きになるきっかけがありました。横須賀でアメリカの空母が一般公開されることを知ったセーラムは現地に赴くことにしたのです。

 

鬱になると好きだった事柄に興味を感じなくなると言いますが、セーラムには良くわかります。私の趣味はミリタリー以外に碌にないのですが、当時は好きな兵器すらあまり見なくなっていましたね。しかしながら、この空母は見に行きたいと思えました。彼女はスペシャルな存在だったからです。

 

キティホーク。1961年に就役したこの空母は最後の通常動力大型航空母艦でした。いや、ミリオタ諸氏はご存知だろうがお隣さん達が似たようなものをお持ちである。しかしながら、キティホークは米国海軍。20世紀の歴史を動かしてきた、とりわけ第二次世界大戦を彩ったあの空母群の正統後継者。伝説の末裔である。私は特に原子力機関に拒否感があるわけではないが、通常動力大型航空母艦という20世紀の歴史を動かした兵器にスペシャリティを感じるのだ。

 

何もやる気が起きず、コンビニとスーパー以外に外出することなく、たまに原付で八王子をフラフラするしかなかったセーラムでしたが、現役生活45年、退役間近だったFirst navy jackを見ることが出来るラストチャンスということで久しぶりに能動的な外出をしました。空母を見るために横須賀へ。電車にのるは数か月ぶりでしたね。遊びに行く。それを忘れていました。

 

実際にキティホークを眼前にすると、ワクワクする気持ち、楽しいという感覚を思い出しました。死んでいた心に少しだけ鼓動が戻った瞬間でした。

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伝説の末裔、キティホーク。2007年12月8日、セーラム撮影。

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キティホークを見て次の週かその次くらいか、久しぶりに大学に登校して留年しないように少しづつ動き始めました。駄目なら駄目でどうにかなるかみたいな感じでした。引きこもり生活からの離脱が始まったのは、キティホークを見に行ったからです。あの時横須賀に行かなかったらやばかったかもしれません。私の人生は大きく変わったでしょう。おそらく悪い方に。まぁそれからも悪いことばかりが続く人生ですけれども、キティホークを見に行かなかったらそこでBAD ENDだったのではないかと思います。

 

キティホークを見に行ったのは2007年の12月8日。真珠湾攻撃の日にアメリカの空母を見て元気をもらう日本人というのはどう評価されるか分からないところです。ちょうど14年くらい前ですか。この時期になると思い出す、私を助けてくれた20世紀の残滓。