狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

事件から1ヶ月、山上容疑者への雑感。あるいは私の感傷。

 安倍晋三氏が射殺されてから1ヶ月となる。このひと月、事件のことを考えることが多かった。正確には、山上容疑者の人生に思いを馳せることが多かった。現時点においてまだ判明していないこともあるだろうと推測されるので、あくまでこの1ヶ月間で報道された情報に基づく私の雑感、あるいは感傷と言えるだろう。あらゆる報道、何よりテロリストの言葉を鵜呑みにするのは危険だ。それは分かっているつもりである。

 

 母親が宗教(世界平和統一家庭連合(旧統一教会))にのめり込んで家族が崩壊した。山上容疑者には兄弟への執着があった。安倍氏は教団と深い関係にあると思って狙った。それ等がどこまで正しいのか。それは裁判が終わるまでは分からないだろう。もっとも、他人の心は完全には把握できないので山上容疑者が引金をひいた一番の原因が何であるかは、想像に任せるしかなくなってしまうかもしれない。

 

 イカレタ宗教家族に生まれ人生滅茶苦茶になった当事者として言えることは、宗教2世を誰も助けてくれない(あるいは助けにならない)。まともな人間の振りをして世間の下位互換を装えれば上出来だろうなと。そういう人生しかなかったということだ。彼がもし安倍氏を暗殺しなかったとしても、彼の人生の後半戦に光りが差したかというと疑わしい。私の本音だ。可能性はゼロで無いにしろ、山上容疑者と似たような風景を見てきた(と推測している)私の感想だ。

 

 山上容疑者の姿に、自分の未来を見てしまった気がした。短気を起こす気は無い。しかしながら、彼がもし事件を起こさなければどうなる蓋然性が高かったか。おそらく、宗教に嵌ったままの母親の介護を、兄弟への執着心に乱されながら不安定な職の合間にこなすことになっただろう。それは私の、短期を起こさない私の未来によく似ていたはずだ。

 

 もしかしたら彼にもチャンスがあったかもしれない。心晴れる日が来たかもしれない。それは分かる。ただ、現在日本において一度仕損じるという事は大きなハンデになる。何より、歪んだ生まれ育ち、そのデメリットは消えない。彼が仮に宝くじで億単位の金銭を得たとしても「普通の家族」を手に入れることは出来ない。両親から無私の愛を教えてはもらえない。私もない。心の苦しみが薄れたとしても、失った時間や機会は取り返せない。物心両面においてデバフを抱えたまま、しけた人生にどうにかこうにか充実感を探す日々が待っていたことだろうと思う。

 

 彼の人となりについて明らかになっていない部分が多いことは承知している。その上で考えるのは、そもそも彼の人生にどれほどのチャンスがあったのかということだ。それは経済的な安定を確保するとか家庭を持つとかそういう次元だけでなく、他人の人権に興味を持つとか、社会通念に価値を感じるとか、世間一般のエンターテイメントを楽しめるとか、生きることの根幹にかかわる部分で、正常と言える範囲(その範囲の定義が難しいのですが)に着地できるチャンスがどの程度あったのか。良くて孤独死、悪くて自殺。もっと悪ければテロリスト。ドン詰まりの自分の人生をそう表現したが、3番目を選択した人物が現れたことで、私は動揺しているのだと思う。 

 

 山上容疑者の人生風景とは別に、テロの凄みを感じることも多かった。日本有数の名家に生まれ日本国首相というこの国の最高職に就いた男を、宗教2世として苦しい人生を歩み派遣社員を中心に転職を繰り返し無職になった男が殺害した。 二人の間には比べるのも馬鹿らしいどうしようもない差があった。でも暴力は二人の差を縮めてしまった。2人に関して、生まれ育ちをベースに比較競争させること自体がナンセンスというのは分かる。しかし、確かに暴力は平等に作用した。それが証明されてしまった。選挙で落選することのなかった日本屈指の政治家が、10万円もしないであろう道具によって屠られてしまった。

 

  人が死ぬことより強烈な結果はない。人が死ぬという圧倒的な結果をもって社会を動かしてしまうのがテロだ。フォロワー0人でもなれるインフルエンサー、それがテロリスト。 彼が何を目的としたかは未だはっきりしないが、彼の行為はテロと呼ぶにふさわしい。実際、事件が起きなければ統一教会がこんなにも注目されることはなかっただろう。

 

 本人に政治的な意図があったかどうかはともかく、また何らかの大義を抱いていたかは別にして、暴力によって社会に影響を与えた、中々注目されることのないテーマに興味を惹かせたのは事実だ。注意すべきことは、テロは時に社会を動かすが必ずしもテロリストが望んだ方に動くとは限らないということだ。トレンドを利用する輩は必ずいる。

 

 世間は今回の事件について、統一教会と政治家の接点及び安倍晋三氏の国葬という2点を中心に物語を構築しているように思う。宗教2世の話題も多少あるか。最近の事件報道では類似犯を誘発しないため、また犯人を英雄にしないため、「加害者をクローズアップしない」という方針が海外を中心に用いられている。確かに、テロや無差別殺人に関しては合理的な方法に思う。どの程度効果的かは不明であるし証明も困難だろうけれど。いずれにせよ、世間の気にしていることは私の琴線にほとんど触れていない。

 

 このひと月は本当に心が搔きむしられるような日々だった。会社の飲み会で話が合わない。地域の生活感から外れる苦しみ。いつも以上に酷かった。