狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

おすすめ軍事書籍ー日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦

 反省を求められて気分の悪い思いをすることがあると思う。咎無きを責めたてられた時、組織の都合でスケープゴートにされた時、万人が働いたにもかかわらず象徴として自分だけが吊るされた時。当初より壊れた人生を歩んでいる私の場合、反省することがあるとすればこの世に生を受けたこと、存在したこと自体が誤りだったことになるだろうか。己の裁量努力でどうにもならいことを罪として認めろと言うならば、はっきりと、「お前は生まれてこなければよかった」と言ってほしいものである。それで何か改善するわけでも、次に生かせるわけでもないのだけれど。

 

 さて、今回紹介する書籍は巨大組織の反省にまつわる書籍である。正確に言えば、巨大組織に属した構成員達が反省”した”内容を追った書籍である。タイトルは「日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦」。2009年にNHKスペシャルで放送された内容と番組作成過程をまとめたものである。私が所持しているのは2011年に出版されたハードカバー版であるが、2014年に文庫版も出版されている(お買い得です)。

 

 海軍反省会。旧大日本帝国海軍のOB、それも佐官や将官のエリート、戦争指導者層ともいえる旧海軍軍人達が戦後密かに開催していた反省会。2009年、その証言テープをもとにNHKスペシャルの番組が放送された。以前にも少し紹介したが、海軍反省会オリジナルの証言集(各会議の発言を文字おこししたもの)は全11巻構成で出版されている([証言録]海軍反省会)。元の証言が気になる方はそちらを読んでみるとよいと思う(私は値段と文量により未読……いつか読みたい)。

 

 本書籍の構成は、番組制作における取材部分等を除くと大きく分けて3つである。

 

1.開戦

2.特攻

3.東京裁判

 

 いつもながらの構成と言える。オリジナルの証言集を読んでいないので断言するのは気が引けるのだが、400時間分の証言の中から、視聴者に受けやすい(反省しやすい)内容をピックアップしたようにも思えてしまう。番組制作チームや取材班のことを悪く言うつもりはない。ただ、海軍軍人の証言と同じくらい、どの証言を採用したか、どういう構成で番組を作成したかに、戦後日本人の反省観が見て取れるのは興味深い。

 

 はっきり言うと、予備知識の無い人間が読めば(あるいは番組を視聴すれば)、編集者が意図したように反省することになるだろうと思う。いずれ取り上げたい「失敗の本質」にも同じことが言えるのだが、第二次世界大戦に興味のない人物にとっては、組織論やリーダーの指針、現代社会を揶揄する(敢えてこう記す)ための薄っぺらい教訓でしかないのかもしれない。旧海軍の当事者達がどう反省したか、何を話したかは彼等の自由なのだけれど、それを咀嚼して飲み込む戦後生まれの我々の方にはフィルターなりバイアスなり、無意識化に刻まれた反省の指針の様なものが海軍OB達よりも遥かに強大に存在すると思われる。勿論私にもあるだろう。どの書籍を読むにせよ、その点には注意したい。

 

 正確を期すならばオリジナルの証言集を読むしかない。それと防衛研究所等の信頼できる資料を照らし合わせる。しかしその作業は一般人には難しいだろう。論文のレビューでもWEBコラムでもいいのだけれど、多くの情報から要所を切り抜いて紹介するのは重要な仕事だと思う。私はそういう職業についている人を応援したい気持である。その一方で、その作業には偏向というリスクが付き物であることを忘れてはならないとも考えている。特に、戦争の様な複雑怪奇で巨大極まる事象を対象とするならば。

 

 それでもこの書籍をおすすめする理由は何かというと、切り抜きとは言え貴重な証言に効率よく触れることができる点、そして上記したように我々が反省したがっている内容を再認識できる点にある。

 

 例えば、開戦の経緯についての章では皇族(伏見宮博恭)の影響力に対する意見が出てくる。海軍軍令部長(後の軍令部総長)を長く務めた伏見宮氏の影響力について発言するのは勇気がいたことだろう。開戦に至るまでの陸軍組織とのブラックコメディとも表現できるような折衝はこれまで何度も語られてきたことであるが、

 

「東條さんがね、最後に開戦の決を決める時に、”海軍が反対すりゃできません”と言った。戦争はね、そういうことは、海軍が反対すれば戦争、要するに陸軍もどうにもしようがないということなんだね。(略)海軍が戦わなきゃ、アメリカと戦争できないでしょう。だからその辺はどうもおかしいんだよね。軍令部は内乱が起こると言う。内乱が起こったってね、海軍が反対すれば結局戦争にならない(略)」

 

という保科元中将の指摘は組織内の事情や他組織との軋轢を言い訳に大事を決める愚かさを具体例をもって表現していると思う。海軍は陸軍の内乱を恐れたというが、海軍抜きでアメリカとは戦えない。陸軍が対米強硬論を主張した理由は、中国大陸での戦争にアメリカが干渉してきたからであって、対米戦そのものが目的ではなく、その準備もなかった(当時の日本陸軍の主要仮想敵国はソビエトである)。当然、当時の海軍はそれを理解していた。国防方針の決定や陸海軍の協調性の無さ、外交と内政と軍備防衛力の関係とか、反省しなければならない話は多々あると思うが、本書籍は海軍の話なのでここでは控えさせてもらう。

 

 特攻に関する話では、ミリオタ界隈では常識となっている「航空特攻作戦のだいぶ前から特攻専用兵器の開発が始まっていたこと」が語られている。特攻作戦は上層部によって組織的に計画されたものであることがあらためて認識できる。また、それを指導したと思わしき人物の名前も記されている。本書の特攻に関する資料としての面白さはこの部分に集約できるかもしれない。

 

 本書籍には「特攻作戦を考え、推進した人間のことを知りたい」というのが番組の出発点であると記されている。そしてすぐ次のパラグラフでは、知覧特攻平和館を見学したエピソードが紹介され、特攻隊員の遺書に人垣できていたとある。「特攻隊員の「悲劇」とそれにまつわる「涙」は、戦後も多くの人々によって共有されている」という記述はその通りなのだろうけれども、私個人にはあまり共有されていない話である。

 

 私のような人生お先真っ暗な人間からすると、過労自殺孤独死よりも特攻の方が”悲惨”なのかは分からない。誰かの命令で死ぬのは御免だが、死ぬことが必定ならばなるべく苦しまずに死にたいと思う。特攻隊員の全てに恋人や友人が、愛する家族がいたわけでもないだろうなと、こういう題材では定番である「別れの演出」も私にはよく分からない。制作陣を批判したいわけではない。ただ、何をテーマに”反省”するか決める時、あるいはその内容を表現する時、それ自体にバイアスや組織の理論が、時流の影響がないか、考えてみるのも大事なことだと私は言いたいのである。

 

 東京裁判における海軍の組織ぐるみでの裁判対策に関しては、知らないことが多かった。本書一番の内容だと思う。書籍でも紹介されているが、「海軍善玉、陸軍悪玉」のイメージが浸透した理由の一つに海軍からはA級戦犯がでなかったことがあげられる。先に実施されていたニュルンベルク裁判を研究し、GHQの目を掻い潜って裁判対策を行った海軍。通常の戦争犯罪BC級戦犯を巡る裁判では、戦死者や現地責任者が泥をかぶる、あるいは被されたケースが紹介されている。組織の上層部が責任を逃れるとはどういうことか。あるいは、それをするために必要な工作は何か。本書を読めば理解できるのではないだろうか。

 

 裁判工作の内情とは別にして、東京裁判対策の中心者であった豊田元大佐の、

 

「陸軍は暴力犯。海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた。敗戦の責任は五分五分である」

 

という発言は、あらゆる敗戦組織の指導者層の弁として利用出来そうであると感じた。それが会社なのか国家なのか、自分が属しているローカルな団体なのかは問わず、きっと負けた後に同じことを言えるだろう。敗戦後に話した内容を交戦中に議論できたならば。そう悔やんで亡くなっていった方は世界中に居るのではないだろうか。まだ負けていないと思うのであれば発言のチャンスはあるだろう。あるいは、負けてほしくないと思っているのであれば口にしなければならないタイミングがある。

 

 どうだろうか。私の感想を大いに含みながらも、皆さんが反省したい内容を十分網羅できたのではないだろうか。全3回放送された番組タイトルの一つは「やましき沈黙」だった。旧海軍を評するに「良心は疚しき沈黙を守っていた」という言葉に解答を得た、反省会出席者の言葉に由来する。

 

 前述したように、見どころは証言そのものだけでなく、番組や書籍の構成、その制作指針および過程にもあるように思える本書籍。年に1回、思い出した時に第二次世界大戦(太平洋戦争とは第二次世界大戦の一戦域に過ぎない)を”反省”するのであれば、今年は本書籍を選んでみてはいかがだろうか。出来れば他の書籍で背景知識を得た後、もう一度読み返してほしい本である。