狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

嫌われているのは創価学会か

 好きか嫌いかを問われれば嫌いだと答える人間の方が多いだろう。創価学会に限らず、日本の宗教団体、取り分け新興宗教団体を好きと答える人物は少ないと思う。数字をもって示したいところであるが、信用に足るだけの好き嫌いのアンケート結果を見つけることができなかったので、それに代わる数字は何かないかと探していたら、以下の情報を見つけることが出来た。

 

https://www.totetu.org/assets/media/paper/t165_254.pdf

https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/news/34925/

 

 國學院大學の石井研士教授を中心に、日本人の宗教意識を定期的に調査しているとのことだ(庭野平和財団(立正佼成会)が母体となって行っている調査)。最初のリンクは東洋哲学研究所の定期刊行物である「東洋学術研究」の第 49 巻第2号。2番目のリンクは佼成新聞(立正佼成会のメディア)の記事となる。東哲の刊行物に立正佼成会系の支援を受けた人物の研究成果が記載されることに違和感を感じる人もいるかもしれない。しかしながら、研究の世界とはパトロンの名札で内容の優劣が決まるわけではない。誰に援助を受けようと、所属団体がどこであろうと、客観的に論証され筋が通っていると判断される研究であれば有益なのだ。

 

 色眼鏡で見る人もいるかもしれないので補足する。石井教授は定期的に科研費を取得し、学術雑誌への論文掲載も重ねてきた人物である(最近は書籍の執筆活動や紀要の投稿が中心となっているようだ)。石井教授の人となりは全く存じ上げていないけれども、実績を見るに信頼に足る研究者だと私は思う(専門家が見れば査読論文の投稿数や雑誌のインパクトファクターからまた違った評価をするかもしれないがそこまでは私には分からない)。日本宗教学会では常務理事を務めている。研究のサポート団体から研究内容を評価するべきではない。繰り返しになるが、人となりについては全く知らない。

 

KAKEN — 研究課題をさがす | 石井研士

https://cir.nii.ac.jp/articles?q=%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%A0%94%E5%A3%AB&page=1

役員名簿 – 日本宗教学会

 

 さて、石井教授の調査結果を見てみる。東洋学術研究に記載されている内容は2009年の、佼成新聞の記事は2019年の調査結果となっているようだ(東洋学術研究に掲載されている内容は他の調査結果も含まれている)。5年ごとに調査をしているらしいので、2019年が最新版ということだろう。佼成新聞の記事によれば、2019年調査は20歳以上の男女4000人を対象に、1203人(30.1%)から有効回答を得たとのこと。以下、佼成新聞の記事から宗教団体への信頼度について引用する。

 

「宗教団体への信頼度では、「非常に信頼できる」「まあまあ信頼できる」の合計が、神道は42.2%から65.1%に、仏教は60.9%から71.3%に、キリスト教は29.7%から38.6%に上昇した。「新しい宗教団体」は同2.8%から4.1%と、大きな変化がなかった。」

 

どうだろうか。新しい宗教団体が全く信頼されていないことが分かる(その他団体の信頼度上昇は興味深い話である)。引用記事内のグラフを読み取ると、新しい宗教団体に対する「あまり信頼できない」「まったく信頼できない」の合計は67%。残りの方は「わからない」と回答している。4.1%VS67%だ。新しい宗教団体はとにかく信頼されていない。4.1%の方は何らかの「新しい宗教団体」に所属しているのではないかと推測したくなる。

 

 東洋学術研究に記載されている論文も見てみる。こちらでは、庭野平和財団以外が母体となった調査結果も紹介されている。まず日本における宗教団体の認知度。伊勢神宮(96%)と明治神宮(94.6%)に続いて認知度が高い創価学会(89.9%)。次点は天理教(84.9%)。前述した数字は2009年の調査結果である。おそらく今も似たような数字が出るだろう。創価学会は新しい宗教団体の代表と言える。信頼できない団体の代表格、象徴と評することもできるかもしれない。しかしながらそう単純な話でもないらしい。

 

 石井教授の論文では宗教団体そのものがどの程度信頼されているか、複数の調査結果が紹介されている。それによると、日本における宗教団体への信頼度自体が非常に低いことが分かる。石井教授の論文では、2006年のある調査を引用し、病院(88.5%)、新聞(88.3)、テレビ(76.2)、学者・研究者(66.4)、大手企業、(58.2)、中央官庁(41.1)、国会議員(34.8)と様々な制度・組織の信頼度が紹介されている。宗教団体は驚異の14.5%。ぶっちぎりで信頼されていない(他の調査では36.5%)。少し古いデータとなるけれども、宗教団体の信頼度の国際比較も紹介されている。日本は断トツで低い。

 

 創価学会批判に拘るのならば、「創価学会を象徴とする新しい宗教団体のせいで宗教団体全体の信頼度が下がっている。あるいは、宗教団体を信頼していないのではなく、信頼できない宗教団体として創価学会を代表とする新しい宗教団体が存在する」と主張することも出来るかもしれない。石井教授は以下の様に論文を展開している。

 

「先に述べたように、「宗教団体」に対する信頼度はきわめて低いが、その場合の「宗教団体」が「新しい宗教団体」を意味しているとすれば、今ここで示した認知度の高い新しい宗教団体によってそうした評価が作られていると考えられるかもしれない。」

 

 しかしそれも違うようだ。石井教授によれば、新しい宗教団体への認知度と新しい宗教団体への信頼度に有意な関係性は無かったというのだ。要は、「認知度の高い新しい宗教団体を知っているが故に新しい宗教団体を信頼できない」という論法は成り立たない。石井教授の論文から以下引用する。

 

「宗教団体の評価が低く、その場合の宗教団体が新しい宗教団体であり、しかも認知度の高い新しい宗教団体によるものではないとしたら、理由は宗教団体そのものよりも他に求められなければならない。」

 

論文は更に以下の様に続く。

 

「加えて宗教団体への低い帰属率や認知度を考慮すると、原因の主たる理由は、我々の新しい宗教団体に関する情報の入手の経路とその質的問題にあるように思える」

 

 最近話題の統一教会や、いつでも話題の創価学会(私の周りだけか)に信頼度を下げるだけの行為は十分にあると思う。私自身、創価学会への信頼度は最底辺である。同時に、他の宗教団体も一様に信頼していない。神社も、寺も、教会も。自身の信頼度の低さは体験に由来するかなと思いつつ、私の場合は宗教団体に限らず多くのことを信頼していないような気もする。

 

 石井教授は、一部の宗教団体への評価が向上している一方で本来の宗教文化は衰退していると指摘している。それは実感としてもわかる。2世3世の創価学会(新しい宗教団体)への拒否感が、必ずしも教義的な問題から来ているとは限らないからだ。本来の宗教文化自体が衰退している。

 

 石井教授の論文には、宗教団体の社会貢献活動についても言及がある。論文によると、期待する宗教団体の行う社会貢献活動において「政治への積極的発言や参加を期待する」とした回答は4.3%だったとのこと。「期待する活動はない」が33%。この辺りに、どうすれば嫌われないかのヒントがありそうだ。社会貢献活動を効率よく行う手段の一つが政治参加だったとしてもだ。

 

 何もしない。宗教要素が少ない。政治参加はしない。こういった団体が大きく嫌われないのだろう。神社や寺のイメージが向上しているらしいが、地方の神社寺院は衰退の一途をたどっている。参拝客が増加している場所もあるだろうけれど、宗教行事の本義や教義に対する拘りや研鑽が進んでいるとは思えない。創価学会に限らない話だ。

 

 創価学会が嫌われているのは事実だと思う。派手に活動する。何より政治活動に積極的に参加している。では日本に好かれている宗教はあるのか?あるとすればどういった宗教か? おそらく、猛烈に好かれている宗教は無いだろう。繰り返しになるが、仏教や神道に対する教義研鑽や歴史の探求が深まっているとは思えない。活動が能動的でない間、宗教的でない間(変な話だ)、政治参加しない間は存在を認めてもらえるのだろうか。まるでSNS上の猫だ。

 

 何もしない宗教団体に価値はあるのだろうか。公共サービスと宗教以外の私的な共同体だけで全員が救われるシステムが、理論上は可能だということになれば宗教団体は役割を終えると思う。しかしながら今はまだ無理である。

 

 それとは別に、自身の生活を豊かにするため、教義や政治政策に執着せず、体験や生活上の理由をもって特定の教団から距離を置くことを、私は大いに是としている。自己の生存権に勝るものはない。大義の為に、生活を捨てて社会貢献や政治参加を求めるというのならば、それはもう宗教だからだ。

 

 最後に余談だが、安保法案が可決される前後、いくつかの宗教団体やその連合体は抗議声明や撤廃要求、関連する談話や決議を表明したのだが、これと言って影響力を示せなかった。嫌われないというのは影響力を持たない、持っているように思われないということなのかもしれない。あるいは、都合よく解釈される存在であり続けるということなのでしょうかね。何も言わない団体の方が多かったでしょうし、いざという時に何も言わなかったからこそ嫌われた団体もありそうですが。