狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

安倍元総理の国葬について

 あまり個々の話題には触れない本ブログではあるが、大変に気になっているので安倍元総理の国葬について記事にする。Twitterで何度か呟いたけれども、安倍元総理の国葬について私個人の感想は以下のとおりである。

 

・税金を使って国葬にするかは国会で決まることになるかもしれないけれど、誰が死んだときに弔いたいか決めるのは私の自由。

・会ったことも話したことも無い人物の死に特段の感情を抱かないので弔意を強要され  るとしたら本当に嫌。

安倍晋三という男に特別な感情は抱いていないけれど、弔意を強要されることが嫌。3.11とか8月15日の黙祷も嫌。

悲しい人だけで勝手にやってくれ。

国葬に法的根拠を求める人、故人の政治的評価から疑問を呈する人、各国要人の参加を考えるに国葬以外に選択肢がないと言う人。色々な意見切り口があるのだなと思う。それを表明できるだけ我が国の民主主義はまだ完全には終わっていないという事だろうか。

 

個人として弔意を強要されるとしたら嫌。国会で議論されるなり国民の支持(出来れば圧倒的支持)により適切と判断されるならば、国葬の執行自体は認める。そんなところだ。要は私の感想はあるけれど、プロセスが適正ならば他の国政イベント同様(選挙とか)受け入れるということ。

 

国葬が既定路線となる中、まともな議論の中心は国葬の法的根拠(国葬令は廃止されている)、閣議決定ーつまり行政の決定ーだけを根拠に正当化できるかに集約しつつあると思う。私にはそれを論じるだけでの知識はない。国葬が行政権の範疇なのか、現行の法律だけでそれを妥当だと判断できるのか、私は断言できない。禁止を明言されていないことを議論するのは難しいと考えている。また、建設的な議論を得た後、国民の圧倒的な支持があるならば、明確な法的根拠が無くとも緊急事態的に実施しなければならないこともあるように思う(今回の国葬が該当するかは疑問ではある)。

 

まともな議論と書いたのは、道徳とかマナーに属するであろう内容、あるいは各々の感情のぶつけ合いは、その発露は自由だと思うけれど、国政イベントの是非を問うに建設的とは思っていないからだ。

 

 本記事で記しておきたいのは、そもそも安倍元総理は国葬に相応しい人物か、その議論はなされたかということ。安倍元総理の政治家としての功績が国葬に相応しいかどうかは話し合われたか。法的根拠は対象が誰であれ求められるものだが、対象者足り得るかはそれ以前の話だと思う。

 

最初に書いたように、私は安倍元総理に特別な感情を持ち合わせていない。また彼の個人的な為人を知らないし、正直特に興味もない。彼に限らず、私は特定の個人に思い入れを抱き辛い性格だ。いいかどうかは知らんが。

 

 さて、安倍元総理の功績である。岸田首相は記者会(8月31日)で以下の様に答えている。9月8日の閉会中審査においても同様の発言をしている。リンク先、首相官邸HPより以下引用する。

 

「選挙遊説中の安倍元総理に対する凶行を受けて、私は国葬儀を実施するとの決断をいたしました。民主主義の根幹たる国政選挙を6回にわたり勝ち抜き、国民の信任を得て、憲政史上最長の8年8か月にわたり重責を務められたこと。第2に、東日本大震災からの復興や、日本経済の再生、日米関係を基軸とした戦略的な外交を主導し、平和秩序に貢献するなど、様々な分野で歴史に残る業績を残されたこと。第3に、諸外国における議会の追悼決議や服喪の決定、公共施設のライトアップを始め、各国で様々な形で国全体を巻き込んでの敬意と弔意が示されていること。第4に、民主主義の根幹である選挙活動中の非業の死であり、こうした暴力には屈しないという国としての毅然(きぜん)たる姿勢を示すこと。国葬儀を執り行うとの判断に至った理由をこのように説明してきました。
 諸外国からは、各国王族、大統領など、国家元首・首脳レベルを含め、多数の参列希望が寄せられております。こうした各国からの敬意と弔意に対し、日本国として礼節を持ってお応えすることが必要だとの思いを強くしております。」

 

まとめると以下5点が功績であるとしている。

 

・選挙で何度も勝利した

・憲政史上最長の8年8か月にわたり重責を務めた

東日本大震災からの復興

・日本経済の再生

・日米関係を基軸とした戦略的な外交の主導による平和秩序への貢献

 

また功績ではないけれども動機として以下2点があげられている。

 

・各国からの敬意と弔意に対し、日本国として礼節を持ってお応えすることが必要

・暴力には屈しないという国としての毅然たる姿勢を示す

 

その功績は妥当な評価だろうか。本来、それをこそ議論すべきではないかと思う。もはや既成事実となった国葬までにその結論は出ないだろうと思う部分もあるけれど、国葬の法的根拠が曖昧であるのは現行法の限界だとしても(禁止もされていない)、国葬に相応しい人物かどうかの議論は行える。

 

例えばである。選挙の勝利と長期政権に関しては、投票率内閣支持率を過去の政権と比較して、本当に支持されていたかどうか批評できるだろう。東日本大震災からの復興に関しては震災地の現状等を調べればわかるだろうし、経済に関しては失業率でも相対的貧困でもGDPでも指標はある。年収の推移でもいい。外交面においても北方領土問題や尖閣諸島周辺の情勢変化、安全保障関係の協定等、評価の基準はある。

 

 先行事例としての吉田茂に比肩する政治家だったかどうか。池田勇人田中角栄と比べてどうか。中曾根康弘でもいい。過去の首相経験者と比べて傑出していたのかどうか。政治家ならば功罪が問われるだろうから、満点でなくていい。何故、安倍元総理は国葬にするのに他の方はしないのか。明日、岸田首相が暗殺されたら国葬にするのか。功績による根拠付けは後からの補強に過ぎないのではないか。暗殺されなかったら安倍元総理は国葬になったのか。疑問である。ちなみに、佐藤栄作国葬が検討されたけれども取りやめになっている。

 

動機として岸田首相が表明している「日本国として礼節を持ってお応えする」「国としての毅然たる姿勢を示す」。この部分が先行していたのではないか。引用した会見内容からは「総合的判断」という言葉が聞こえてきそうである。しかし判断材料としての比重はあろう。

 

先に引用した記者会見において岸田首相は、

 

「もとより、今回の国葬儀の開催は、国民に弔意を強制するものではありません」

 

と言っている。時の首相にー行政の長にー担保付けされなくとも、弔意を強制されないなんて当たり前のことと思うが、はっきりと明言しているのは評価する。

 

 おそらく、安倍元総理の政治成果に関し議論が展開されることはなく、国葬は実施されるだろう。有意義な議論無く、既成事実と化した目標に進むことを危惧している。それが常態化すればいずれ破滅する。それを表明したいが故に記事にした。