狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

恩師の墓参り

 赴いても何も変わるはずはない。失った夢や時間が帰ってくるわけでもない。それは分かっていたのだが、行かざるをえなかった。自分の意思で創価学会の墓苑に行くのはそうないことだ。

 

 電車を乗り継ぎタクシーに乗り込んで数時間。恐らくは都心部の学会員の多くが人生の終着点とするであろう墓苑を目指した。途中、車窓から見える景色が東京を離れるにつれ少しずつ田舎になっていった。移動する方角が違くなると(私は基本的に東西にしか移動しない)日本の見え方も変わるものだと感じた。師の出身地域に入ってからは明らかに灰色が減った。豊かな自然と集落の調和から、寂れているのとは違うのどかな雰囲気が伝わってきた。恩師は30歳近くまで彼の地で生活していた。おおらかなあの人が生まれ育った風景に違いなかった。

 

 駅からタクシーで30分。バスは1時間に1本あるかないか。アクセスはお世辞にもよくない。多分にマイカーで来訪することが前提になっている立地条件だ。学会の墓苑全般に言えることだが、とにかくアクセスが悪い。現役世代の層が厚い間はそれでも良かったのだろうが、高齢者だけでお参りするのは困難を伴うだろう。その内地域の学会員で墓苑バスツアーが始まるかもしれないと思ってしまった。

 

 生前、恩師の母親が亡くなった際にどこにお墓があるかは伺っていたので行くべき場所は把握していた。しかしながら、墓苑内のどこに納骨されているかは知らなかった。創価学会の墓苑では受付施設内で墓の検索ができる。検索機械で手間取っていると受付の青年が丁寧に教えてくれた。何となくだが、創大生のような気がした。

 

 墓石に水を掛け、無くした信仰心で7文字を唱えた。その日は良く晴れていて暑かった。墓石にもう一度たっぷりと水を流した。本当はウイスキー黒ラベルでも供えたいところだったが、学会の墓苑はお供え物禁止である。墓に飲ませるのは品がない。匂いにつられて野生動物がやってくるかもしれないとも思った。だから水を流すだけにした。

 

 取り敢えず生きています。それ以外に特に報告することも無かった。いや、言いたいことはあるにはあったけれど、今更言っても仕方がないことだった。生きていることに感謝出来るような日が私に来たならば、もう少し報告することもあるだろう。

 

 お盆も過ぎていたので墓苑は閑散としていた。いや、墓地が満員御礼と言うのもいただけないだろう。私が訪れた墓苑は街中から離れた小高い場所にあった。奇麗に整備されていた。見た範囲では管理が行き届いていた。緑豊かな風景によく溶け込んでいた。

 

 行きのタクシー代が4000円弱かかったので帰りは途中まで足に頼った。街を知るには歩くのが一番だと思う。丘の上のニュータウン、古い砂防施設、B級感を纏う県道沿いの店舗、雑踏としていない駅前。ドラマの出張回にでも使われそうな雰囲気だった。刺激的な展開は期待できないだろう。しかしながら各々に物語がある。そういう街なのだろう。

 

 発展し損ねた中小都市の我が故郷(そして今は私の生活基盤地域)で生きるために働いている日々が、何てことのない田舎街を青い芝生に仕立てたのかもしれない。それとも、久しぶりの遠出が私のハードルを下げたのだろうか。

 

 帰りの新幹線で寝過ごさない程度に黒ラベルを味わっていると、家族連れが多いことに気が付いた。帰省かあるいは旅行か。彼等には看取ってくれる人物がいるのだろうと独り言が漏れそうになった。シラフだったら耐えられなかったかもしれない。その日は寄り道することなくクソみたいな地元に戻った。