狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

創価学会とインターネット

今回記事にしたいのは創価学会とインターネットの関係です。SNSの発達により、創価学会のことを自由に発言出来る場所が増えましたが、それは何を意味するのか。創価学会とインターネットの関係を、ネットの普及と共に歩んだ世代の視点から、話したいと思います。

 

まず2003年が大きなポイントですね。イラク戦争です。自公、自自公の連立もかなりの分岐点だったと思いますが、イラク戦争問題は大きな禍根を残しました。浜四津代表の扱いも大きな影響を与えと思います。

 

イラク戦争に対する公明党の態度に反発した一部の会員が信濃町周辺及び学会本部内(非会員)で署名活動を行ったことがあります。確か朝日テレビだったと思いますが、署名の様子を全国ネットで報道しましたね。その時のVTRが2010年位まではYouTubeにアップロードされていたと記憶しています(今は探した限り発見できず)。

 

現在の反公明・反信濃町行動の原型ともいえる様な出来事です。署名活動を行っていた方々がその後どうなったのか把握していませんが、見えないところでかなりの影響を与えたのではないかと推測しています。

 

イラク戦争の頃は丁度ADSL接続が一般化してきた時代でネットによる情報拡散の黎明期ともいえますが、当時は宗門系の偏ったサイトが乱立していたのと、名誉会長が文字通り表に出ていたこととあって、「ネットは見るな」の号令でケリがつきました。

 

山崎正友氏と週刊誌のコンビが学会と裁判していたこともあって、「反学会情報は皆デマ」という意識を根付かせることも簡単だったと思います。

 

この時期、自公連立の最初期は、共産党の対創価学会ハード路線の最終期でもありました。今でも当時の赤旗web版が少し読めますが、あらゆる角度から、創価学会公明党を強く非難していたのが確認できます。今のソフト路線(票の流出を期待しての)とは違いますね。創価学会にとっては、それら情報に触れるのも防ぎたかったでしょうね。

 

男子部長だったY氏がスキャンダルで表舞台を去ったのが2005年。この辺の情報も、ネットでないと触れることが難しかったと思います。矢野元公明党委員長が、創価学会と本格的なバトルを始めるのもこの時期。インターネットで情報収集していた人以外は、創価学会オフィシャルの情報を鵜吞みにしていたでしょう(私もですが)。

 

スマホSNSがない時代、インターネットが創価学会に与える影響はまだ限定的でした。2チャンネルの創価公明板なんかは、会員がもっと興味を持っていれば、それなりに影響を与えれたんじゃないかなって思います。

 

 

SNSと違い、ブログ・ホームページは比較的一方通行なツールですから、情報拡散及び議論の下地となる情報の共有には有用ですが、議論そのものには向いていません。その点、地域を超えて自由論争が可能になったSNSは大きなツールですね。

 

2005年頃からは民主党主体の反学会キャンペーンが開始され、ネット上にもそれらしき情報が転がり始めました。ニコニコ動画創価ネタが流行ったのが2007年位からですか。頭がバーンとか。日護会信濃町周辺でデモ行動に出て動画にして……それが2009年位かな。

 

ブログサービスが一般化した頃、教義問題とか公明関係とか難しい話だけでなく、一会員の立場から日々の活動の素朴な疑問を綴る方が現れ始め、SNS前哨戦ともいえる時代をつくりました。この辺りから信濃町主体のネット監視は強化されていますね。

 

同じ頃ですかね、日蓮系YouTuberのT氏が動画をアップロードし始めたのは。動画のインパクトは強力でして、それなりに信濃町本部の頭を悩ませたことでしょう。

 

日本産SNSmixiが流行ったのもブログサービスが広く普及した時期と被りますかね。mixiでは結構な情報が流出したらしいですが、詳しくは知りません。一部のブログが本部界隈の話をお外に出し始めたのも同時期ですか。

 

素朴なブログとインパクト大の動画投稿。一部情報漏洩を含むブログ(及びmixi)。SNS(Twitter & Facebook)が普及する前に創価学会を悩ませたのはこの辺でしょうか。

 

影響は無視できない程に大きくなりましたが、一方通行なツールだったので会員相手には「見るな」でまだ済みました。名誉会長も文字通り健在でした。従順な会員には「見るな」で対処できた時代です(非会員への対応はまた別です)。

 

ところが2010年、池田名誉会長は表に出なくなり、そのタイミングでTwitterFacebookの様なSNSサービスが発達していきます(Facebookの前にmixi)。自由論争の基盤が整う訳です。

 

2013年、信濃町周辺の派閥争い、その内情がネットに漏れ始めます。私は、ネットではなくリアルで耳にし始めます。

 

自公連立政権が復活したからでしょうか、この頃から、一部保守系論者および野党陣営からの反創価学会的な発言が減ったように思います。それに影響されてか、WEB上における、非学会員の反創価学会的な発言も減少したように思います。単に無関心が加速しただけかもしれませんが。

 

そして、2014年と2015年、創価学会はそれぞれの年で大きな動きを見せます。2014年の教義解釈変更、2015年の安全保障関連法案への賛成です。

 

この、教義解釈の変更と安保法案への賛成は、池田名誉会長不在化に激化した信濃町内部の派閥闘争と相まってそれなりの数の会員を離反させました。また一部の会員に、創価学会の教義や歴史、公明党の方針について、再考するだけの契機を与えました。そして、そのうちの何人かは、SNSを利用しながら、自由に自分の意見を主張するようになりました。

 

2015年、それは創価学会の終わりの始まりと言われるようになるかもしれません。2015年を境に、信濃町に意見する学会員が増えました。会員全体から見れば微々たる人数かもしれませんが、それまでに比べれば無視できない増加です。

 

話を2003年のイラク戦争の頃に戻しますが、イラク戦争前後で創価学会が直面した諸問題、インターネットというツール、会員の反応、情報拡散、会員間の連携……今起きている問題の基本は当時すでにあったと思います。

 

ツールとしてSNSが大きなカギとなったのは事実ですが、原型は2003年にはあったと思います。当時積み込んだ因が今の果だと思いますね。昨今の安保法案・教義論争に関連する会員間の分離分断は、SNSイラク戦争問題と言えるでしょう。

 

最後に、最近の動向で気になるのは、創価学会著作権を盾に、反学会的な人物に訴訟を起こしていることですね。いわゆるスラップ訴訟です。

 

エアコーストなんて、覚えている人いますかね。頭がバーン系の動画投稿者が一斉に情報開示請求を受けたあれです。最近は、反執行部・反信濃町的な創価学会員に対しても、聖教新聞の切り抜きの投稿等を理由に、訴訟を起こしています。

 

それに関連しているかどうかはわかりませんが、反創価学会・反信濃町として有名な論者、そのサイトが突然消えたり、掲載休止したりなんてことが起きています。

 

同じように聖教新聞の切り抜きを投稿しても、従順な会員、創価学会を肯定的に扱っている会員は訴えられたりしません。狙い撃ちしているんです。エアコーストとか、web検閲のための実績つくり、地均しだったんじゃないかなって思います。

 

後、SEOの強さ。昔、YouTubeGoogleで「創価学会」って検索すると、様々な検索結果になったんですが、今はオフィシャルばかり引っかかる。反創価的な情報の露出が減りましたね。Twitterは例外。

 

創価学会SNSを警戒するのはよくわかります。学会員・非学会員問わず、活発な自由論争は創価学会解体のリスクを含んでいるからです。かつてと同じく、不都合な情報に触れてほしくないという部分もあるでしょうが、それ以上に危険なのが、学会員・非学会員問わず、自由論争が活発になることです。

 

宗教団体というのは、後継者問題と教義解釈で分裂するものです。自由論争、特に教義解釈に関する論争は、統率という点でリスクしかありません。

 

創価学会オフィシャルのインターネット活動について言及すると、保守的で前時代的、ネットが一方通行時代だった頃のままという印象です。オフィシャルを前に出すだけ。

 

それなりの仕込みはあるかもしれませんが、成果を上げているとは言い難いですね。マイナスをいかにゼロに近づけるか。そういう戦い方をしているように感じます。

 

もっとも、自由論争がリスクになる上、会員も非会員も、創価学会の教義や公明党の政策に強い関心を持っていない現状では、SNSを有効活用すること自体困難だろうとも思います。

 

まぁ、興味関心を持たれたが最期、収拾不能な自由論争が、既存の創価学会を解体するでしょう。そこから新しいものを築けるならばたいしたものですが。