狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

池田大作逝去

 池田大作逝去。95歳だった。氏の訃報に触れて、私個人は悲しみも喜びも無い。池田大作が生きていようが死んでいようが、私の壊れた人生は変わらないからだ。創価学会3世として生まれた私は、あの男がいなければこの世に存在することも無かっただろう。存在するお陰で随分と苦しい人生を歩んでいる。未来も明るくない。とはいえ、氏に個人的な恨みはない。大学の創立者としての池田大作は嫌いじゃなかった。学内で特に悪いことをされた記憶はない。

 

 何度か記したと思うけれど、創価学会は戦後日本社会を批評する上で外せないテーマだと私は考えている。それは公明党という政治勢力の変遷という意味だけでなく、復興-成長-停滞-衰退という軌跡を描いてきた日本社会の縮図、そのサンプルとして示唆深いものがあると思う。地方と都市部の対立だったり、世代間の格差だったり、学術的な切り口は色々あるだろう。

 

 昭和を駆け抜け、平成に奮闘し、先の見えない令和に突入する群像劇の舞台。池田大作は劇中、一大俳優だった。創価学会が自らのナラティブとして宣揚している貧困や傷病からの復帰、地域の連帯、「一家和楽」の物語は多くの日本人が肯定してきたそれである。今現在、その物語は社会情勢の変化によりかつてほど受けが良くない訳だが、それもまた創価学会の中に、個々の創価学会員の人生にヒントがあるように思う。

 

 惜しむべきは、創価学会もそして池田大作も、あまりまともな研究の対象とされてこなかったことだろう。3流の宗教ネタとして、あるいは選挙の票を上げ下げする為のツールとして、創価学会は“内外”に利用されてきたと思う。教義問題を正面から扱うよりも、公明党の施策を統計や公文書から批評するよりも、奇異な宗教団体として湿った好奇心を満足させる方が、反日・反社会団体としてとして吊るし上げた方が、日蓮直系と自尊心を満たす方が、庶民の味方として売り物にした方が、より簡単に低コスト低リスクで目的を果たせてしまった。平成の前半、遅くとも自公連立10年の節目くらいには、もう少し客観的な調査批評対象とすべきだったと私は思う。それをしなかったのは日本人、そして創価学会員自身の選択である。

 

 徐々に衰退していくことが予測されている創価学会が今後まともな研究対象になる確率は低いだろう。山上徹也の銃弾が跳弾して宗教2世が注目されても、あまり状況は変わらなかった。創価学会に限らず、宗教団体全般をもう少し客観的に論証しようという試みがあるのは知っている。その運動が陽の目を見るまで、日本の宗教団体が勢力を維持しているか疑わしい。必要なタイミングで必要な成果を出すのは難しいだろう。念のため付け加えると、そういうムーブメントを牽引している人達を無力だと揶揄したいわけでは無い。大勢は決しているだろうとの私の推測である。もしまた宗教団体が注目される日が来るとすれば、本当に大きな社会変動ないし事件でも発生した時だ。

 

 これまでも本ブログで何度か紹介してきたように、創価学会、そして時には池田大作本人が米国大使館と政治的なコミュニケーションを交わしてきた歴史がある。これは並大抵の宗教団体あるいは普通の名士には出来ないことだ。創価学会は権力の一部を構成している。池田大作はその組織において、俳優兼監督として多くの人生に影響を与えた。それぞれの地において主演俳優を務める創価学会員にとって、池田大作は監督であり演技の見本だった。作品や俳優の好き嫌いとその出来栄えは違うものである。好みでないけれど、パフォーマンスを評価できる作品ないし役者というのも存在するだろう。逆もしかりである。

 

 ともあれ、池田大作はもういない。表舞台から姿を消して久しかったので、実際はとうに居なくなっていたと評価することもできる。しかし今は本当にいなくなった。私が気にすることがあるとすれば、創価大学生の行く末である。学内では、なにかと創立者池田大作を意識する機会が多い(好むと好まざると)。今の現役学生は表舞台にいた池田大作をほぼ見たこと無いだろうから、私が在学していた頃に亡くなるよりかは影響控えめだろう(私が在学時に亡くなっていたら周囲の空気を掴めなくて私は困っただろうな)。とはいえ、無視できるものでは決してない。

 

 創大生には池田大作創価学会固執することなく、自由にものを考えて頂きたいと思う。思慕と客観的な批評を並立させることはできる。昭和3年生まれの人間の、それも他人に切り取られた言葉に執着する必要はない。21世紀なりの評価を下し、それとは別に好きなように想えばいい。