狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

創価学会の教義問題(適当な本尊選び・宗創問題の不毛さ)

創価大学の宮田幸一教授のHPには、興味深いことが結構書いてあります。内容としては、第二次宗創問題の裏話です。昔ながらのHPの構成なので、少し読み辛いですが、読んでいただきだいです。似たような話を、別人から伺ったこともありますが。以下リンク先です。

 

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper20-1.html


要点をまとめますと、

 

当初、創価学会日蓮曼荼羅を欲しがっていた
・次善の策として日興筆の本尊を探した
今学会員が拝んでいる日寛本尊は、本尊として3番手だった
創価学会日蓮正宗の全面戦争に、両陣営の教学関係者は否定的だった

 

もしどこかで少し順序が違えば、日寛本尊ではない別の本尊を授与することになっていたかもしれないってことです。創価学会中枢にとって、本尊・教義の扱いはその程度だったということですかね。

 

第二次宗創問題後、「仏法の本義にかなう 学会の御本尊授与」なるパンフレットをもって、日寛本尊授与の意義を創価学会は主張してきましたが、これがもし、日蓮本尊の授与になっていたら、全く別のパンフレットを作って上手いこと解釈と意義を作成したことでしょう。

 

また、末端信徒が非難の応酬をしている中で、教義的な問題の中心人物の何人かは紛争そのものを望んでいなかったというのも・・・・・・まぁわかる話です。お互いに無傷では済みませんし、旨味がない。

 

教義論争の危うさから、紛争が両団体を疲弊させることは容易に想像できたでしょう。何度か記事にしましたが、創価学会日蓮正宗も、教義的な一貫性なんて持っていませんから。

 

現在の創価学会では、日蓮正宗との闘いは、池田名誉会長を中心に皆が望んだこととされています。しかし実態は違うのです。それぞれの立場で思うところはあったが、ボスの意思と末端会員の熱気に押され、日蓮正宗の方も、日顕氏はともかく、創価学会との紛争を望まぬ者もいた。

 

現在でも、創価学会活動家と日蓮正宗法華講員は様々な場所でバトルを繰り広げていますが、両団体のブレインの何人かはそもそも紛争に否定的だったことを記憶しておくべきでしょう。

 

まぁ、日顕氏は亡くなり、池田氏も表に姿を出さない今となっては、昔話もいいところなのかもしれませんが。

 

しかし、創価学会日蓮正宗の末端信徒同士の血みどろの紛争を考えると、余りにも空しい。末端信徒が非難の応酬をしている中で、教義的な問題の中心人物の何人かは紛争そのものを望んでいなかった。

 

宗創問題で何人の人生が滅茶苦茶になっただろうか。