狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

宗教2世・3世の問題について

宗教2世・3世の話題が、主要メディアにおいてもチラホラ取り上げられるようになってきた。もう何年も前から、SNS上では宗教2世・3世同士のゆるーいネットワークが形成されてきたが、社会問題としての認知度が向上しているのだろうと思う。差別に甘いと言われる本邦だが、それでもかつてに比べ、LGBTQへの配慮の向上、性差別と思わせる発言へ適切な批判がされるなど、ここ数年で弱者やマイノリティーへの対応は改善された部分もある。宗教2世・3世の問題が注目されはじめたのも、そういう流れの一貫だろうか。あるいは、将来の宗教勢力の凋落に向けた布石だろうか。 

 

私は創価学会の3世会員である。ブログで何度も記してきたが、イカレタ宗教家族のおかげで碌でもない人生を歩んできた。宗教2世・3世が感じる苦しみと言うのは、分かっているつもりである。創価学会の場合、会員数が多いのでそれに比例して被害者も多く、似たような経験をしてきた人物が集まりやすい。宗教2世・3世のフィールドにおいては最大手だろう。創価学会の場合、政治力がチラつくからか、主要メディアが取り上げないという他団体との決定的な違いがあるが、人数でいけば一番多いのは間違いないだろう。境遇の共有・ネットワークの形成と言う点においては、まだマシな方かもしれない。 

 

令和2年度の宗教年間によれば、日本の宗教法人数は18万件。もちろんその中には、同一宗派にカウントされるものもあるから、18万団体すべてが独立しているわけではない。ただ、聞いたことも無いような宗教団体が多数存在するということを忘れるべきではない。宗教2世・3世の話題で名前が挙がる団体と言うのは、割とメジャーな団体なのだ。創価はもちろんだが、エホバとか幸福の科学とか統一教会系。GLAとか真如苑なんかも見かける口だ。宗教法人ではないが、ヤマギシ会なんかも話題に上るように思う。 

  

宗教2世・3世の全員が不幸になるわけではないし、社会への疎外感を感じるような生活を送るわけでもない。現に最大手の創価学会にあっては、俗を謳歌する俗集団を幾らでも見出すことが出来る。宗教2世・3世が苦しむ原因は様々あるだろうけど、簡潔に言えば適切なリソース不足で説明が足りると思う。教団へのお布施や宗教活動における散在が子供への投資を損なう。教団の教義によって子供への教育が歪んだり不足する。金銭の様な目に見える形での資産、教育という目に見えない資産。その片方あるいは両方が不足することによって、成長を抑制されてしまう。もちろん、本人が生まれ持ったスペックや環境(同じ信仰を持っていても年収や学歴による格差は当然生まれる)も影響を与えるが、人生全体へのデバフに変わりはない。 

 

人間をモノの様に評価することに違和感や嫌悪感を感じる人も居るだろうが、私が創価の世界で見てきた経験知からすると、大体上記内容で説明がつく。親が活動家だったり、地元組織の幹部だったり、活動の拠点を提供していたりすると不幸になりやすい。本部職員の子供は、人によるところが大きくて、要領の良い両親に恵まれると割と普通に育つ。野良の地方幹部の家族とかが一番厳しい。公明党地方議員の子供とか、かなりリスクが高い。 

 

本人の能力でカバーできる部分もあるが、後天的な努力では覆し辛い部分(情操教育とかコミュニケーション能力)は如何ともし難い。イケ面とか美人みたいな、どこでも通用するカードを持っていれば、デバフの軽減に役立つだろう。創価大学で見た範囲で話すと、今の創価学会で幸せになれる人は、創価をやっていなくともある程度報われる要素を持ちあわせている。格差社会の上側に立つ人物だった。おそらく他の宗教団体においても同様のことが指摘できるのではないか。 

 

多くの先進国で信仰離れが起きている一方で、キリスト教原理主義の様な極端な信仰に勢いがあったりもする。世界的に見れば、人口増加地域の大半が信仰を持っているが故、信仰者の数は増え続けている。また、いずれはイスラム教がキリスト教にとって代わって、世界一信者の多い宗教になるだろうと推測されている。 

 

https://www.pewforum.org/2015/04/02/religious-projections-2010-2050/ 

 

個々の人生における意味合いは別にして、しばらくは、宗教というコンテンツとの付き合いは続くだろう。日本に限定することなく、宗教2世・3世の話題は今後ますます活発になると思われる。日本に限定するならば、道徳と言うこの国の宗教教育から外れた時点で異端者扱いを受けるので、特定の宗教団体の家に生を受けた時点で、ハンデを負いやすいと言える。かつての創価学会には、セーフティネットの提供・共同体への参加という役割(メリット)があったが、今は難しいだろう。他団体も同様だ。 

 

宗教2世・3世の問題も、結局は格差の問題だと思う。それは計測しやすい「経済資産」というパラメータだけでなく、「文化教育」という一見わかり辛い部分における格差を含んでいる。特に、人付き合いの基本みたいな部分を削がれること。これは経験者にしか分からない辛さだと思う。私は子供時代、友達と一緒に神社のお祭りに行けなかったことを、今でも辛いと感じる。選挙や折伏で素直な人付き合いのチャンスが消えたこと。公明党を支援するために休日を潰したこと。創価を意識して素直な自己表現が出来なかったこと(小学校くらいからかな)。大きなハンデになったと感じている。 

 

経験者から言わせてもらうと、パッと解決できるような妙案はおそらく存在しない。認知療法を半年間くらい試してだいぶ楽にはなったが、根本的なハンデが解消されるわけではない。苦しいままの人生が続いていく。稼げるようになるまで生き延びれれば、まだチャンスがあるかなって思う。経済的に独立できれば、不要と思うモノを切り捨てることも可能だ。それにしても生き辛さは消えないし、奪われた可能性も帰ってこないのだが。 

 

建設的な話をすれば、宗派を超えて宗教2世・3世で苦しんでいる者がたむろできる場所を幾つも構築していくことが、まず一つのステップになるだろう。リアルでもいいし、オンラインでもいいし、その両方でもいい。ゆるくてもいいから居場所を作ることだ。その点、SNSは便利なツールだと思う。冒頭で述べたように、既にそれは形成されつつあるが、今後もドシドシやるべきだ。ゆるく沢山。逃げ場を幾つも形成することが重要だと思う。生き延びないことには、未来は無いのだから。