狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

宗教から離れたいときー宗教2世3世へのTips

前回宗教2世・3世について記事にしたが、あらためてTwitterを眺めてみると、以前に比べ宗教2世・3世のリアルな呟きが多いことに気付かされる。宗派を超え、多くの方が自身の生まれ育ち、親族の信仰に悩まされている現実。創価学会3世として、イカレタ宗教家族のもと気分の悪い人生を歩んできた私としては、所属は違えど、彼等が見たあるいは見ている光景と言うものがどの様であるか想像に難くない。 

 

参考になるかどうかわからないが、自分が選んだわけでもない宗教に悩んだ時に考えてほしいことを、自身の体験を基に書き示す。私自身、完全に逃げ切ったわけでもないし、多くの過去を引きずっているわけだが、考えること自体に苦しむことは以前に比べて減ったと思う。何かの役に立つならば幸いである。 

 

 

1.教義について-気にしても気にしなくとも良い 

所属団体の教義について、こだわりを持って研鑽するのも研鑽しないのも自由です。宗教2世が所属団体や信仰に疑問を感じたとき(疑問を感じるきっかけは様々だろうが)、離れたいと感じたとき、教義の否定、理論による教団への反論は必ずしも必要ない。もちろん、こだわりを持って研鑽するのも自由だ。一点重要なのは、教団や信仰から離れるのに理屈は必ずしも必要ではないということ。勉強するのが好きで理をもって決別したいと思うならば良いのだが、考えること自体が苦痛になったり自分の時間を奪うようならば「嫌なんで辞めました」「馬鹿らしいので離れます」で十分。納得させるべきは周りの信者でなくあなた自身の人生です。1000の理論よりあなたの1の人生を大切にしてください。仏典でも聖書でも指導者の言葉でも、それを否定することは宗教から離れる手段ではあっても目的ではないのです。 

 

 

2.体験について-今の感性を大事に 

2世3世の多くが、宗教から離れた体験(信仰的意味を持たせる必要のない体験)を持っていないので(私もそうでした)、所属団体信者の体験談に縛られることが多いのではないかと思います。必要なのは今のあなたが満足感を感じているかどうかです。自身の生き死にを受け入れることが出来そうか。今の人生の延長に幸がありそうか。私はもうどうにもならないくらい失敗したのですが、所属団体の理想とする体験談(プロット)に縛られて、その時々の自分の感情・気持ちを大事にすることを辞めてしまいました。それはかなりの損失として自分の人生に影を落としています。他人の体験談や教団が求めるシナリオでなく、あなたの今の感性を大事にしましょう。その上で、自分の体験談や他者の体験談を肯定するも否定するも、それは自由です。全てを肯定する必要も否定する必要もありません。私はどうにもならないくらい駄目になりましたが、その時々の感性を発露できるならば、自然と分別をもって個々の体験を否定も肯定もできるようになるでしょう。 

 

 

3.親族との関係について-経済的な自立 

おそらく、宗教2世が最も悩む案件の一つが家族との関係です。私みたいに、家族への愛情がほぼゼロの人間はある意味では葛藤せずに済むと思う(恨みは残るけど)。家族は愛しているけれど、信仰にはNoを示したい。しかしそれは喧騒の原因にってしまう……というケースは厄介だ。正直なところ、これに関して正解は無いと思う。家族愛は家族愛。信仰は信仰と。分離出来てうまくやっていける場合もあれば、どちらかが破綻してしまう場合もあるだろう。私の考えとしては、信仰を条件とした家族愛というのは無私の愛ではないと思うのだが、まともに人を愛する感覚がないので、私には分からない。ポイントは、経済的に自立すること。取り敢えず家族との距離を保たなければならないケース、今すぐ離れたい場合、それぞれあるだろうけれど、経済的に自立していればどうにかなる。難しいのは未成年の場合で、これが一番深刻なテーマとなるだろう。世知辛い話で申し訳ないが、現状この国では宗教2世が物心両面で逃げ込めるセーフティエリアは存在しないと思う。何とか上手くやり過ごして、いざと言う時に備えるしかない。自身の健康は前提条件にして、あなたが生きるために必要なのは、神でも仏でもなく資産です。卑下た話に聞こえるかもしれないが、明日を物理的に生き延びるためには祈りではなく福沢諭吉1枚で足りるのです。 

 

 

4.交友関係について-人はいる 

家族の次は友人関係。恋人は出来たことが無いので、結婚恋愛について体験談をもとにしたアドバイスはできないが。宗教2世の苦しみの一つに、ありのままの自分を表現し辛いこと、宗教への葛藤を相談できる相手が居ないこと、気兼ねなく付き合える友人を作り辛いこと、交友関係の悩みがあると思います。私の場合、布教活動と選挙活動でかなりの友人を失いました。また、感情表現の方法を学べなかったが故か、そもそも他人との付き合いに魅力を感じ辛くなってしまいました。しかし人はおります。日本に限定しても1億2千万人は人間がおります。あなたのことを受け入れてくれる人もどこかに居ると思います。無責任な発言の様に感じるかもしれませんが、私が申し上げたいのは以下一点「友人が欲しいという思いがあるのならば、友人が出来るまで人に会い続けるべし」です。合わない人、拒絶される人も出てくると思いますが、そうでない人にも出会えることでしょう。「友人が欲しい」という素直な感情がある時点で、あなたは比較的軽症です。自信を持ってください。そうでない場合、交友関係を持つこと自体に葛藤がある場合は、気長にやるしかありませんね。私もそちら側ですが、いつか変化があるかもしれませんし、そうでないなら孤独を住処にしましょう。どちらを選ぶも自由かと思います。 

  

 

5.健康第一 

何をするにも健康が第一です。人生に悩みは尽きないかもしれませんが、悩むことは目的ではないと思います。そういう職業(哲学者とか)を選択しているならば、多少は仕方ないと思いますが。信仰自体があるいは宗教団体に所属していることそのものが悩みであるならば、それはあなたの健康を害していると言えます。私もそうでしたが、信仰に執着したが故に心を壊してしまうことがあります。そうなる前に離脱しましょう。 

 

 

6.後悔について-短気を起こさない 

希死念慮に苛まれている私が言ってもあまり説得力はないかもしれないが、短気をおこさないこと。後悔は消えないかもしれない。もし宗教なんかに触れることが無ければ、もう少しまともな家族だったら……後悔は消えないかもしれない。振り切れる人もそうでない人も居るでしょう。だとしても、短気を起こさないこと。折り合いをつけて、残りの人生を生きる。私の場合、普通にはなれないことを従容として受け入れてしまったように思います。諦めたといいますか、自然現象を否定できないように、太陽や月の存在を認めるように自分の生い立ちを認めつつあります。 

 

 

どうにもならないこともあると思います。私自身、どうにもならない影を背負って歩いております。心が揺れ動くこと、不安定になることもあるでしょう。必要ならば医療機関に行くのも良いでしょう。私は認知療法に半年ほどお世話になりました。ただ短気を起こさず、まずは今日明日を生き抜いていくしかないのかと思います。どうかご無事で。