狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

創価学会の女性について

女性部とかいう組織が発足するらしい。敗北や衰退を正面から受け入れられない組織。創価学会少子化はとんでもない速度だから、もうどうあがこうと、未来なんてないのだ。

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それはそれとして、創価学会の女性について、独断と偏見で書かせてもらう。過去に何度か記事にしているが、私は女性と個人的に親しくなった経験がない。その辺を考慮して記事を読んでもらいたい。またそもそも論で恐縮だが、性別を限定しない創価学会員の評価になるような気もする。

 

私は八王子で生活していた頃、多くの創価学会員と触れ合う機会があった。学生部の同期はもちろんだが、先輩、後輩、四者組織(八王子創価学会)も含めればそれなりの数の学会員と接してきたと思う。もちろん、女性会員も含めだ。

 

彼女達を一言で表すのは困難だ。当たり前だが、特定の集団に所属しているからと、その構成員のパーソナリティー、メンタリティーなり特質なりを、一括りで話すことなどできない。敢えて一言で表現するならば、優しい人が多かった。女性に限らないが、八王子は創価大学で出会った人達は、親切で優しい人が多かった。私が同じ学会員だから、閉鎖コミュニティー特有の同族へのシンパシーがあったのかもしれない。あるいは、同じ学会員ということで信頼してくれたのかもしれない。それはわからない。

 

いずれにせよ、優しい女性が多かったというのが私の印象だ。社会に出て、世間の女性を(職場において)知ったが、八王子でみた創価の女性達に比べればドライな印象だ。もっとも、それが職場と大学の違いなのかもしれないし、職場での私の振る舞いが原因なのかもしれない。

 

かつてに比べ、私が居た当時であっても、「創価大学生は垢抜けた」と評価され続けた。今なら尚更だろう。「俗っぽくなった」とも言えるだろう。当時、私もそう感じていた。私は、「俗」と「下衆」は別だと思っている。俗っぽいを悪い意味で捉えていない。世間の女性と創価の女性、そこに大きな違いは無いと思う。普通とか標準からブレまっくた私が言っても説得力がないかもしれないが、創価の女性は普通だと思う。少なくとも私には、「平均より親切な人が多い」以外に、世間の女性と創価の女性との差異を見出すことは出来なかった。ただ創大生が優しかっただけかもしれないが。

 

上記の文章は、人によっては違和感を感じるかもしれない。朝晩の勤行、池田名誉会長への忠誠、組織活動への参加、選挙支援等、世間の女性には当てはまらない、「普通じゃない」要素が多くあると。

 

世間からも創価の世界からも落ちこぼれた私が見たところでは、そうではない。彼女達は普通の範疇だ。ただ世襲した宗教が創価学会だったというだけだ。本質的な部分で、標準値を飛び出しているというわけではない。多くの人は、まともな家庭で一定以上の情操教育を享受でき、喜怒哀楽と無私の愛を知っている。一部の毒親育ちは別だが、頭のイカレタ両親と言うのは信仰の有無に関係なく存在する。宗教はそれを悪化させますが。

 

創価の女性が、日蓮遺文の研究に注力したり、政治学習会を本気で開催していれば、世間の女性との差異とも考えられるが、多くの方はそこまでしない。集団の中で自分の主張を発信し続けたり、打ち出しに反旗を翻したりする人も少ない。男性会員もやらないが。世間の女性も同じだろう。家の宗教の教義を学ぶ人は少数派だろうし、政治集会に参加する人も少ない。偏見で言わせてもらうと、文献を基にした教義研鑽への執着は男の方が強いと思うが、総数として男女に有意差は無いと思う(どちらも極少数だから)。

 

世間体や付き合いから、乗り気でない飲み会や町内会のイベントに参加する。それを面白いと思うこともあるだろう。有意義と感じる場合もあるだろう。女性部員が会合に参加するのと変わらない。会社で応援する候補がいれば、演説への動員くらいには参加するだろうし、知人にも頼んでほしいと通達されれば頼むだろう。明文化されているわけでもないのに昼になればお茶を用意するし、毎日ゴミ出しもする。生活上の慣習として信仰が必要な環境に生まれれば、個人差はあるだろうが、適当に折り合いつけてやっていくだろう。男もそうだ。

 

信仰の有無が時に人付き合いのハードルになり、差異として認識されがちだが、人付き合いに条件が付くのは何も信仰に限った話ではない。趣味に熱中すぎる人は、男女共に相手を選ぶことになるだろう。

 

婦人の一部は嫁姑問題を抱えるだろうし、子育てに失敗する人も居るだろう。世間の空気や時代の潮流に自分の思想を染められもすれば、旧来の価値観-例えば女性は子供を産んで当然というような-に縛られたり、それを人に強要する人もいるだろう(もちろん男にもいるぞ)。創価の家に生まれれば、それが信心で解釈されるだけだ。極端な差はない。教条的な人、盲目的に何かを信じてしまう人、所属組織に染まってしまう人、パワハラ体質の人。それが引き継いだ信仰なのか、地域の旧習なのか、日本国の空気なのか、会社の風土なのかは、個々の環境に起因することだろう。

 

敢えて例外を挙げるならば、一部の極端な婦人部活動家は世間の女性とは違うと思う。会社でも、家庭でも、町内会でもない場所で、熱意をもって活動する女性と言うのはそう多くない。慣習として、そこまで必要とされていない行為だ。ギャンブルやレジャーにのめりこむのが近いと言えば近いかもしれないが、毎日やる人は極少数だろう。もちろん、壮年男子の活動家にも当てはまる。ただ、平日昼間の活動主体は婦人部なわけで、婦人部活動家の存在と言うのは、創価学会の特異性に寄与していると思う。

 

ツラツラと書いたが、特に性別に関係なく、創価学会員への評価になったような気がする。要は、生まれ育った環境や周囲の慣習から飛び出て、自己主張始める人は少数派だよって話です。また、そこに性別は関係ないかなって。