狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

社会保障とか税金の使い道について

 「高齢者の集団自決」という発言が尾を引いている。正直、こんなにも騒ぎになるとは思っていなかった。発言した本人も、きっとそう思っていることだろう。成田氏のことについてほとんど何も知らないので、彼の為人や業績について今回話すことは無い。私が記事にしたいのは、財政・社会保障費の話である。

 

 Twitterでも少しつぶやいたが、日本の国家予算は社会保障費と国債償還と地方交付税で歳出の3/4程度を占める。以下財務省のHPより引用する。

 

https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/index.html

 

 補正後の令和4年度の一般会計歳出は、110.3兆円。その内、年金、医療、介護などの社会保障関係が36.3兆円で全体の32.9%を占めている。財務省のHPを引用すると政府の回し者のように感じる人もいるかもしれないけれど、予算全体に占める割合から考えて社会保障費をどうするか?というのは誰もが真面目に考えるべき課題である。よく話題にあがる防衛費は全体の5%に満たない。

 

 歳入の方はというと、所得税法人税と消費税で全体の約50%、公債金(つまり借金)が全体の35.9%を占めている。それ以外の部分はその他税収やその他収入だ。つまり、税収では、歳出の2/3しか補えていない。残りは借金で回している。自転車操業状態である。ちなみに一番の税収は消費税で歳入の19.6%を占める。消費税は地方交付税の財源でもあるので、消費税が減ると地方に金がいかなくなる。

 

 借金が増える問題点は色々あると思うが、一つ大きなことは、借金の返済が為に他の歳出を増やせないという財政上の不自由をもたらすことだ。つまり、公共の福祉というものを向上させる為に打てる手段が減るということ。

 

 公債の発行は昭和40年頃からはじまり、昭和50年頃から規模が大きくなる。

 

https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/situation-dependent.html

 

 多くの場合、不景気による税収の伸び悩みを補うために行われてきた。これは今も続いている。昭和50年当時に納税の義務や選挙権を保有していた人達は、借金を始めた世代と言っていいだろう。上記のグラフを見て分かるように、極端にひどくなったのは近年であるけれども、借金体質自体は今に始まったことではない。癪に障る方もいるかもしれないが、今の老人世代が始めた問題でもある。

 

 いずれ人口が減少することは判りきっていたことだし、景気が悪くなるかもしれないことは想定しておくべきシチュエーションだった。日本も無策だったわけではない。国鉄等の民営化を始め、財政の健全化に向けた施策はあった。しかしながら、要求に対し金が足りないという状態を改善することは出来なかった。この問題を1発で解決する妙案はないだろう。

 

 戦後日本は、インフラ投資に税金を投入してきた(土建国家という表現すらあった)。採算の取れない道路が批判の対象となることもあったが、これは経済の中心は東京で会っても、首相は地方出身者が勤めるという戦後日本政治の表現型の一つのようにも思える。国鉄が民営化されJRに代わる時、北海道のローカル線が生き残れるのか取り上げられることもあった。実際、今JR北海道の経営は苦しい(国有化が継続されていれば問題なかったわけではない)。

 

 採算が取れない地域にサービスを提供するには、徴収された税金を再分配する必要がある。サービスというのは-インフラも-維持管理していく必要があるので、継続的にリソースを必要とする。身の丈を超えてサービスを提供し続ければいずれ破綻する。分かり切ったことである。対象が地域全体でなく、特定の階層や年齢層であっても同じことが言える。

 

 社会保障の話に戻すと、結局のところ、どこかで手元のリソース(将来の期待値を含めて)とサービスのバランスを見直すべきだったのだろう。それは、年金を下げるとか、高齢者の医療負担を増加させるという短絡的な話でなく、他の公共投資(上記したインフラ整備等)を含めた税金の使い方としての話だ。

 

 道路や河川は整備すれば維持管理しなければならない。教員は採用したら時勢にあった指導内容方法のアップデートが必要になる。住宅が不足すれば公営住宅(日本は少ない)が求められるが、いずれは老朽化する。将来にわたって必要とされる経費と維持できそうな収入を鑑みながら、税金の投入先を決定していかなければならない。そういう点で、日本は失敗した。

 

 防衛費にしても、冷戦中からもう少し積み上げていれば楽が出来ただろう。日本は諸外国に比べかなり早い時期に徴兵制を撤廃し、防衛費も抑制するという経済発展に注力できる優位な立場にあったが、それは日本海という天然の防壁と在日米軍という強力な同盟国に支えられ成立していた。東西冷戦の最前線にあってかなり不安定な政策は結果的に実戦を経験せずに済んだが、ここに来てボディブローのように体力を削いでいる。

 

 「高齢者の集団自決」にも言及すると、共働き夫婦の子育てサポーターとして(特に地方においては)祖父母世代の存在は欠かせないと思う。田舎で共働きが可能な理由の一つだ。単身者にしても、地域の活動(例えば登下校の見守り活動とか地域清掃とか)に参加している。それらを全部、税金で賄おうとすれば莫大な費用が掛かるだろう。更に言うと、社会保障費の中で大きな割合を占める医療において、日本の製薬会社が新薬の開発でイニシアチブを取れていない現状、高齢者が居なくなっても税金が海外企業に流れるシチュエーションを改善できないだろう。

 

 生産性で命に序列を作るなという意見に関しては-あまり倫理観とか道義的話題には言及しない方針だが-ぐぅの音も出ない正論であると思う。憲法基本的人権の尊重を掲げている以上、命に序列を作る方針を採用することは出来ない。

 

 私個人の立場としては、高齢者になれる確率が50%なので、自決する前に死んでいるだろう期待値が50%。年金も碌に貰えない立場だ。日本全国に同じ境遇の人物が15%程度いて、その内の半分、日本国民の7%は年金をもらう前に死ぬのである。追加で言えば、男性の30%、女性の20%程度が父にも母にもなることは無い。自分が得られないサービスに金を支払いたいとは中々思えないだろう。

 

 社会というのは、私・共・公で成り立っている。私人と、私人の集まりである共同体と、公共である。私人がもろく、公共で補えない部分がる。とすればそれを支える意味で宗教団体のような共同体に活動の意義があるのだけれど、うちの国はその部分においても失敗した。これは余談。

 

 何が言いたいかというと、発言の問題性(あるいは話題性)を取り上げるだけでなく、実際何が課題になっているかを広く議論する必要があるだろうということ。