狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

統一地方選挙を前に地方の話

 統一地方選挙の動きが活発になっている。創価学会公明党に限らない話である。市町村の合併等で選挙時期が重なっていない場所を除いて、日本中の地方議員にとっては4年に1度の就活の儀式とも言える。大して豊かでない市町村であれば、議員の給料は高くない。自営業で別に収入があるとか、資産持ちの引退世代でもない限り、地方議員の生活は楽ではない。私は祖父が市町村レベルで議員をやっていたのでよくわかる。我が家は選挙に出るために土地を売り、車は常に中古車だった。もっと厳しい家庭もあるだろう。それでいて4年に1回失職の可能性があるのだから、とても安定した職業とは言えない。

 

 さて今回記事にするのは、統一地方選挙の動向ではなく、創価学会の選挙支援の話でもなく、地方についてである。少し調べればわかる内容であるが、毎度毎度政局ばかりが注目されて、本来議論されるべきテーマが放置されているように感じるので、記事にする。

 

 前回、社会保障関係の話を記事にした。

 

社会保障とか税金の使い道について - 狂気従容

 

 そこでも言及したが、日本の国家予算は社会保障費と国債償還と地方交付税で歳出の3/4程度を占める状態だ。借金の返済である国債償還を別にすると、社会保障費の次に高くついているのが地方交付税である。地方交付税は、地方自治体の大きな財源である。交付税が減らされれば、成り立たなくる自治体もあるだろうと思う。財政健全化を目的とした歳出抑制、次のターゲットは地方交付税に、つまり、地方自治体の生産性を問うてくるのではと考えている。と言いますか、既に地方間競争を煽るような言論が跳梁している様に思う(ふるさと納税ぇ)。

 

 地方間の格差は、個人間の格差と同じくらい複雑で解決し辛いものがある。人口、経済規模、面積、各都道府県には明らかな差がある。市町村レベルでもそうだ。経済的に強い場所があれば、交通の要所と言えるような場所もあり、農業・漁業に代表される1次産業によって、額面上の経済規模以上にこの国を支えている場所もあるだろう。

 

 海や河川、山を抱えていればインフラ整備にかかるコストが上がるだろうし、都市化が進んでいれば、環境権や地価の問題があるだろう。多様な地方を抱える日本にあってー東京だって地方の一つだーある程度平等なサービスを提供する、つまり、日本中どこで生活しても格差や不便さを感じないシチュエーションというのは、並大抵の努力で維持できるものではない。

 

 国という単位と比較すれば東京もいち地方である。その一方で、経済の中心が東京であることも事実だ。分かりやすいので数字を用いると、東京都の経済規模は日本のGDPの約20%にあたる。令和元年度の県内総生産のデータを以下に引用する。

https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/main_2019.html

 

 全国合計約580兆円に対して、東京都は約115兆7千億円。2位の大阪府が約42兆円であることを考えれば圧倒的と言える。東京、大阪、愛知、神奈川の4都府県の合計が約233兆円で全体の4割を占める。経済規模が一番小さいのは鳥取県で県内総生産が約1.9兆円。

 

 人口においては(令和3年データ)、4都府県の合計が約3960万人で日本人口約1億2500万人のうち、32%程度を占める。東京だけで日本人口の約11.2%。最も人口が少ないのは鳥取県で、55万3千人。日本人口の0.4%だ。大体人口と経済規模が相関している。

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2021np/index.html#a05k01-a

 

 地方交付税は、こうした地域間の格差を是正するために分配されている。同じ都道府県内においても格差が存在し、国と地方の関係、地方の中の関係、それぞれに格差がある状態だ。札幌市なんかがいい例だと思う。

 

 さてこの格差、いつ爆発するかという問題である。都道府県レベルにおいても、市町村の話においても、歳入が多い場所が経済規模の小さい地域を支えている状態である。地方交付税が主たるシステムであるが、与える側には不満もあるだろう。

 

 人口の少ない田舎の生活が、都市部に比べ劣っているかと言えばそうでもない。実家が持っている資産を継承しやすいからだ。それは土地や家屋と言った数字にしやすいものから、父母や地域住民のサポートという無形の文化教育資産まで様々である。年収が生活レベルと必ずしも一致しないというのは実感しやすいと思う。東京で1人暮らし年収600万円と地方で実家住まい年収400万円。どちらに余裕があるか、簡単には判断できないだろう。

 

 地域間の格差は簡単に判断できない部分がある。例えば、病院の数。病院が多いほど医療が充実しているように思うだろう。しかしながら、病院が多ければ地域の医療負担が増えることもある。だいたい市立病院は赤字だ。病院目当てに高齢者が引っ越してくるかもしれない(税収的には美味くない)。養護学校の類にも同じことが言える。ではそういう施設を排除したらどうなるか。公共の福祉を維持できなくなる。どこかに絶対必要な施設である。

 

 ゴミ処理場や火葬場のような不人気施設を呼び込みたい自治体はそうないだろう。下水処理場でも水道施設でも同じだ。維持管理に金のかかる施設を(しかも場合によっては他の自治体の分までサービスを提供する必要が出てくる)、負担金をもらえるにしても、保有したいとは中々考えないだろう。原発や軍事基地となれば尚更だ。原発や軍事基地の存在に価値を見出す地域は広域にまたがるが、リスクを負うのは該当自治体だ。

 

 ハード面の話だけではない。社会保障や福祉を手厚くすれば、それを目的に低所得者が移住してくるかもしれない。負担増につながるリスクがある。基本的人権の尊重を掲げている以上、切り捨てることは出来ない。それをやれば、全ての規範が滅茶苦茶になる。保有しているリソースと必要とされるサービスと、ジレンマは永遠に続くだろう。

 

 本来地方統一選挙は、そう言った地方および地方間の課題を議論する場である。場合によっては、近隣市町村とバチバチ喧々諤々やりあうこともあるだろう。しかしながら、それが正常な議論だと思う。命のやり取りになるよりかは数万倍マシである。受益者と負担をする者と、それが生活格差につながらないよう調整するのが政治の場だ。政局ありきではない。

 

 ともかくである。統一地方選挙というのは、国政選挙のサブイベントではなく、独立した議会を持つ-そして個々に課題を抱える-各地方の方針を考える選挙である。これから選挙当日に向け、SNSでも様々な議論が交わされると思うけれど、肝を外さない意見交換となればと思う次第である。