狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

公明党の安全保障政策、支持者への故意犯的裏切り(1977~78年の外交公電より)

前回、1977年の時点で公明党の表向きの安全保障政策は看板広告に過ぎないこと、当時から二枚舌だったことを記事にしました。 

 

今回は、矢野書記長(当時)訪米後の公明党の動向に関する主要公電2報を軸に話を展開していきます。機密区分は全てConfidentialです。両公電共、アメリカ公文書館のHPから誰でも閲覧できます。 

  

①MODERATE PARTIES PLEDGE SUPPORT OF US-JAPAN RELATIONS 

(穏和政党日米関係の支持を保証-1977年12月13~15日作成) 

https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=294207&dt=2532&dl=1629 

 

②CGP MOVES TOWARD REALISM 

(公明党現実主義へ動く-1978年1月20日作成) 

https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=16414&dt=2694&dl=2009 

  

それぞれの公電に濃い内容がギッシリ詰まっていますが、今回は安全保障関連に関連する部分で私が興味深いと思った部分を抜粋して紹介します。 

 

①の外交公電では、日本の穏和政党(公明党民社党)が、自民党過半数を失い、連立政権が樹立した場合においても、安全保障条約を含め、現行日本政府の対米方針を大きく変更しないことをアメリカ側に保証していたことが記録されています。 

  

At luncheon hosted by CGP chairman Takeiri Dec. 13, he and SECGEN Yano stressed that even if LDP lost its majority and coalition government were formed, prospects were that security treaty would be tetained(恐らくretainedの誤植) intact.  

(12月13日の竹入公明党委員長主催の昼食会において、竹入委員長と矢野書記長は、自民党過半数を失い連立政権が樹立した場合においても、安全保障条約には手をつけず保持することを強調した) 

  

Takeiri said that CGP regards relationship with US as heart of Japanese foreign policy, and Yano noted he had made CGP's policy clear during his recent Washington visit. 

(竹入委員長は、公明は米国との関係を日本における外交政策の中核であると考えていると話し、また矢野書記長は、公明党の政策を先日の訪米(ワシントンDC)中に明確なものにしたと言及した) 

   

竹入委員長と矢野書記長は、自民党過半数を失い連立政権が樹立した時、つまり公明党の政策を実現するチャンスが近づいた時においても、安全保障条約には手をつけず保持することをアメリカ側に保証していた。完全なる二枚舌です。 

  

②の外交公電は年が明けて1978年、公明党第15回党大会における竹入委員長の発言にフォーカスして作成されたものです。 

  

1978年の第15回党大会において、竹入委員長はそれまでの見解を変え、自衛隊日米安全保障条約を容認する見解を示しました。一方で、党基本方針の変更は行いませんでした(その理由も記載されています)。 

  

まずは②の公電のSummary、まとめ部分からの抜粋です。 

  

At clean government party (KOMEITO-CGP) convention Jan 11-13, chairman Takeiri attracted wide publicity by favoring acceptance of minimum self-defense forces necessary to insure territorial integrity and by suggesting caution in abrogating US-Japan mutual defense treaty. 

(1月11-13日に開催された公明党党大会において、竹入委員長は、領土の保全を保証するために必要な最小限度の自衛隊の容認に賛成し、また日米安全保障条約の破棄に警戒を示し、幅広い注目を引き付けた) 

   

次に、党基本方針の変更が行われなかった理由が記載されている部分を紹介します。 

  

Explaining background to EMBOFF, CGP international bureau chief Kuroyanagi stated that top party leaders were all agreed on need to move in more realistic direction, but had failed to persuade majority of CGP central executive council.  

(大使館側にことの背景を説明する時、公明党国際部事務局長の黒柳は「党の上位指導層は全員より現実路線へ動く必要があることに同意したが、党中央執行委員会の大部分の説得に失敗した」と述べた) 

  

Opponents on council were mainly concerned about perceived election risks of new posture on self-defense forces and MST.  

(中央執行委員会の反対者達は、自衛隊と日米安全保障に関する新しい立ち位置という選挙リスクを主に気に掛けた) 

  

Having failed to achieve approval necessary to change party policy, formally, Kuroyanagi continued, leadership decided to put new policy positions into chairman's speech and focus media attention on them. 

(「公式に、党の政策変更承認を得ることには失敗したが、上位指導者層は新しい政策方針を竹入委員長のスピーチに組み込み、スピーチに対するメディアの動向を注視することに決定した」と黒柳は続けて語った) 

   

②の公電内でアメリカ側は、竹入委員長の見解変更は矢野書記長の訪米に大きく影響を受けた結果であると判断しています。 

  

CGP leadership's willingness to take new policy steps, despite substantial intra-party opposition, was doubtless influenced by successful visit of Yano mission to Washington (and CINCPAC) last October. 

(公明党指導者の新しい政策方針への前進意欲(相当な党内の反対をよそにした)は、昨年10月に行われた矢野委員長のワシントンと太平洋軍最高司令官への訪問に恐らく影響されている)……10月でなく11月の訪米です。恐らく文章のミスです。 

 

In present situation where opposition parties are vying for uncommitted vote and casting voice in diet, sensitivity to one another's policy shifts is also likely to result in CGP policy trends having subtle impact across political spectrum. 

(野党が浮動票と国会における決選投票を争いあっている現在の状況において、他政党の政策転換に対する反応は、政治的領域において微妙な影響を持つ公明党の政策動向につながりそうだ)  

 

上記部分は公明党の安全保障政策の変更を考える上で非常に興味深い内容です。まず、1977年前後、公明党の上位指導層と中央執行委員会のメンバーは、安全保障政策に関してコンセンサスを形成出来ていませんでした。自衛隊と日米安全保障容認に反対する理由が選挙リスクというのも酷い話です 

 

創共協定に関する内容にも言えることですが、当時から、創価学会公明党周辺には軸となるストラテジーが無かった。誰にでもいい顔したい創価学会、選挙で勝ちたい公明党中央、原理主義的な末端会員と地方議員。まとまらないのも当然かと思います。ここに日蓮正宗の影響まで考慮するとなると、本当の意味での団結などできなかったのでしょう。 

 

現在、様々な場所で学会員の分離、分裂が見られますが、そもそも論として当時から駄目だったんでしょうね。日本社会が上向きだったことと、池田会長のカリスマが健在だったことで、気にせずに済んだのでしょう。 

 

それにしても、安全保障政策への賛否が選挙の戦いやすさで決定されるという不毛極まりないシチュエーションが、40年以上変わらないのか。全く馬鹿げている。自民党過半数を失い連立政権が樹立した時、覚悟さえあれば政策を実現できるチャンスであっても、安全保障条約には手をつけず保持することをアメリカ側に保証していた。これはもう本当に二枚舌という以外にない。末端会員の多くは本気だったことだろう(私の恩師も、日米安保は当初段階的に解消する主張だったということを話してくれた)。 

 

80年以降の公明党の平和主義というのは、創価学会の教義問題同様、いずれ落ち着かせるゴールに向け、選挙や日蓮正宗との関係、末端会員の反発を意識しながら漸次変動させていくという、何の実現性もない故意犯的広報活動だったといわれても仕方がない。