狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

ブログを始めて1年が経ちました

タイトルにありますように、早いものでブログを始めて1年が経ちました。 まずは本ブログを閲覧してくださっている方に感謝の言葉を述べたいと思います。この様な辺境の地を覗きに来てくださり、ありがとうございます。 

 

最初の紹介文にありますように、本ブログは頭に貯めておくと駄目になりそうなことを文字にして吐き出す場所となっております。文章にすると心が楽になります。危険で不穏なページが連なったとしても、頭の中に留めておいて不言実行になるよりかは良いだろうと思います。社会への不平不満あるいは憎しみに関しては、有言不実行が一番健康的でしょう。 

  

この1年間で何か変わったかと言えば、社会からの疎外感と地域における脱落感が、通帳残高の少しばかりの向上とバーターで大幅に増加したことでしょうか。夢破れ暗澹たる無職生活の末、一応の生活基盤を構築することには成功しましたが、まったく楽しくない、夢も希望もない、ただただ生きるだけの日々。普通の生活能わず、私は世間に順応できない人間なのだということを教えられる日々を送っています。良くて孤独死、悪くて自殺。もっと悪けりゃテロリスト。もう少しだけまともな家族の下に生まれていれば、ほんの少しだけマシな人生があっただろうなと思います。何度言っても詮無きことですが、言わずにいられないのです。

 

次の1年、生きれるだろうか。生きているだろうか。生命活動は維持しているかもしれない。しかしながら、沈黙、労働、服従の三重奏の中、空いた時間で酒に沈みタバコを飲む。それを生きていると言えるだろうか。

 

暗い話ばかりでは気が滅入るでしょう。将来の方向性はともかく、無職生活で深淵の”すぐそこ”まで行っていた頃に比べれば、幾分マシになったのも事実。当時は物理的に未来が無かった。死ぬ以外の選択肢が無かった。あるいは新聞の見出しを変えてやるか。ほんの少しだけ何かが違えば、セーラムは人間を辞めていたと思います。 

 

30も後半戦となると、1年が本当に早いです。結婚、出産、子育てという基本的なレールから外れた身に置いてきぼり感が染みるのか、世界があっという間に一周しています。私は動いていません。周りの変化から相対的に時の速さを計っております。選挙の結果がどうなろうと、コロナ禍がどう推移しようが、台湾海峡で戦争が始まろうとも、おそらく私が人生の大勢に影響はないです。感染症も戦争も政治混乱も、あっても無くても我が壊れた人生は変わらないのです。 

 

1周年ということで、いつもより少しだけ、私事に踏み込んで話をします。私は現在、サービス産業で比較的接客の多い会社に務めております。社会階級的に実に多様なお客さを相手にします。また外回りの機会もそれなりにあるため、その気が無くとも格差というものを-そして時に差別というものを-感じる機会に巡りあいます。経済的な高低だけを意味しないタイプの格差を知る機会があります。彼我の差を知る機会に恵まれていると言えるでしょう。まぁ基本的にはセーラムの方がお客様よりも低い場所にいることを知ります。そのためでしょうね、自分が勤めている会社のサービスを、セーラム自身が有意に利用出来る機会はないだろうなって感じながら生きております。自分が作っている物を私人として購入できない。それは多分、セーラムは奴隷なんだろうなって思います。 

 

東京あるいは都会と違い、地方には逃げ場所がありません。格差にしても差別にしても、都市部と地方、地方も本当の田舎街と発展し損ねた中小都市では意味するところが違うのでしょう。セーラムは地元に帰って転職するまで、都市部でしか働いたことがありませんでした。肌身手足で格差や差別を学ぶ機会はありませんでした。セーラムが東京に居た頃、ある会合に出席したおり壮年部の方から「セーラム君、東京都の最低賃金を知っているかい?」と言われたことがあります。さる大企業から早期退職を余儀なくされた壮年の方でした(本人はとても元気でピンピンしていました)。「今の君は興味もわかないだろう。セーラム君、そういうことも知っていかないと駄目だぞ」とも言われました。あの人の言いたかったこと、少しだけ理解したように思います。 

 

話が大分脱線しました。とにかく、ブログを書きながら1年間生きることが出来ました。これも皆様のおかげです。ありがとうございます。これからも地下活動的に続けて行ければと思いますので、よろしくお願いいたします。