狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

恩師逝く

恩師が亡くなった。正直、突然の訃報で実感がない。もっと長生きして、自分の人生を謳歌すると思っていた。周りの人を振りまわすのが得意で、癖がありつつも、みなに愛される人物だった。90歳くらいまで、好き勝手やりながら生きるものだと思っていた。孫の成長を見ながらダラダラ生きてくものだと思っていた。 

 

以前記事にしたが、恩師には愛憎こもごも、アンビバレンツな思いがある。 

 

 

大学恩師からの便り - 狂気従容

 

そうであっても、二度と話せないと思うと感慨深い。あの男も死ぬのだ。人間、誰しも死ぬのだということを知った。あの人が居なければ、私は22歳で自殺していたと思う。あるいは生きる場所を失って、公共の敵(Public Enemy)になっていたかもしれない。 

 

創価学会に、創価大学に人生を賭けた男だった。それは間違いない。1950年、戦後まもない世界に生を受け、草創の時代を生き抜いてきた。学生運動華やかなりしころ、その正面に立って時代の本流に身を置いてきた人。左翼も右翼も命を懸けていた頃、創価の看板を背負って、時代を作ってきた人。あの人が影響を与えた人は、1000人単位だと思う。 

 

私が知っている創価の裏話の大半はあの人に伺ったものだ。私の生まれ育ちがもう少しだけまともなら、自分の力である程度普通の人生を築けただろう。それは仮定の話だが、あの人に創価の真相を聞かされることが無ければ、one of them 、自他の分離もままならない無価値な俗物として生を終えただろう。30年前ならばそれでも幸せだったかもしれないが、2021年はそれを許さないのだ。 

 

あなたには恩がある。それは事実だ。あなたが居なければ、私は多分死んでいた。あるいはテロリストになっていた。八王子中野町で死んでいたと思う。分かっている。だが、あなたの振る舞いの全てを肯定することは出来ない。晩年、あなたがもう少し進取に富む人物だったら、私もあるいは他の何人かも、もう少しマシな人生を歩めたことだろう。だが今更それを言っても詮無きこと。私にとっても、あなたにとっても、意味のないことでしょう。 

 

壊れた創価家族に生まれ、何が悪いと言えば生まれ育ちが悪い以外の答えがない人生でしたが、貴方に会えたことの意味を、未だ見出せずにいます。 

 

世話になった。助けられた。色々教えて貰った。それは事実。振り回された。手助けをした。 肩代わりをした。それも事実。上手くいかないことがあった。最後は喧嘩別れに近かった。次会うことは無いと思った。死別するとは思わなかった。好きなように余生を歩むと思っていた。 長生きするだろうと。 

 

職員に睨まれ、学長に睨まれ、本部に睨まれ。反抗したのではない。ナチュラルな振る舞いがお気に召さず、ド天然で人を巻き込むのが得意でしたね。付いていった私は馬鹿だったかもしれないですが、あなたに表裏がないことは確信をもって断言できます。 

 

多くの話を聞かせてくださいました。きっと、墓まで持っていった話もあるでしょう。話す気が無いエピソードもあったでしょう。あなたから聞いておきたかった話もありますが、ねだっても披露してはくれなかったでしょう。肝心なこと、私のことをどう思っていたかを直接正面から聞きそびれたのは少し残念です。 

 

晩年、私生活で様々あったのは承知しております。私としても思うところはありますが、ただただ、悔の無い満ち足りた晩年であったことを願うばかりです。最後に会ったのは、2019年でしたか。八王子での、甘酸っぱい記憶を思い起こさせてくれましたね。 

 

あなたのことをどう評価するか、それは人に因るでしょう。好きにさせるがいいと思います。私自身、どう表現していいか分からない部分があります。 

 

しかしながら、あなたの最期をして「仏法の因果は厳しい」などと放言する輩が居たならば、私はそいつを八つ裂きにするでしょう。お約束できます。どうか苦しまず、後悔の無い臨終であったことを願います。