狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

改革・変革を望むのなら

Twitterでも少しつぶやいたが、政治であれ、他の分野であれ、改革・変革を望むのならば、現状がいかに酷いかを周知すること以上に、いかに関心を持ってもらうかに労力を注いだ方が効果的ではないか。そんなことを考えています。

 

Twitterに限らず、ネット上における現体制批判、改革・変革を訴える主張は大きなインパクトを持っているようで、現実世界への影響という点で、成果を上げているとは言い難い。

 

かつてに比べれば、ハラスメントや差別に対し、機敏に対応する社会に変化したのかなと思う場面もありますが、根っこの部分や、大きな社会変革は達成できていない。ネットにおける反響や賛同者の数に比べ、現実社会における共感者は非常に少ないように思います。

 

それは政権批判など特定の分野に限定することなく、あてはまるように思います。ネットでの盛り上がりに比べ、現実社会では反応が薄い。完全に私の感覚によるものだが、どうもアンバランスではないか。

 

政治に関して言えば、同じメンツが似たような角度で政権批判を繰り返すだけでは、変革は厳しいでしょう。途中抜けているとはいえ、自公連立誕生から20年がたっているわけで、理由はどうあれ、多くの人は今の日本を受け入れてしまったということですよ。

 

当面の生活は確保できているし、現状に大きな不満はない。格差や矛盾、数百万人程度の不幸には興味がない。
 
はっきり言えば、そういうスタンスの方が過半数を占めているのが現在の日本なわけです。それを本気でひっくり返すというのならば、革命に近いハードルを必要とするでしょう。

 

選挙に行かない人物含め、格差や矛盾ありきで現状維持に満足している人物が数千万人いる。今がいかに酷いか、それをある程度把握した上で現状を肯定している人物を、数千万人味方にする必要がある。今、改革・変革を望む方はそこを意識すべきでしょう。

 

社会の価値観を根底から変える必要があるのだと。 

 

あるいは他の可能性として、大多数が無視できないくらいに状況が悪化すれば、つまり、国民の半分以上が不幸を感じるレベルまで悪化すれば、通り一遍の政権批判に耳を傾けてくれるかもしれないが、それは3.11を超えるレベルの災害、コロナ禍の悪化、大規模戦争、1000人単位で犠牲になるテロ等、大惨劇の発生を意味すると。

 

次の国政選挙、ある意味で楽しみです。次の選挙で、投票率50~55%以下、現連立政権存続となるならば、日本は選挙による変革、あるいは変革そのものを諦めたってことになるのではないですかね。コロナにオリンピックに政治の不祥事に、グズグズなのは誰もが承知の助。それを変える気がないというのならば……行くとこまで行くしかないのかな。

 

狂気従容。壊れてしまった私には、それでも大して困らいなが、そうでない人は、どうでしょうか。