狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

社会保障とか税金の使い道について

 「高齢者の集団自決」という発言が尾を引いている。正直、こんなにも騒ぎになるとは思っていなかった。発言した本人も、きっとそう思っていることだろう。成田氏のことについてほとんど何も知らないので、彼の為人や業績について今回話すことは無い。私が記事にしたいのは、財政・社会保障費の話である。

 

 Twitterでも少しつぶやいたが、日本の国家予算は社会保障費と国債償還と地方交付税で歳出の3/4程度を占める。以下財務省のHPより引用する。

 

https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/index.html

 

 補正後の令和4年度の一般会計歳出は、110.3兆円。その内、年金、医療、介護などの社会保障関係が36.3兆円で全体の32.9%を占めている。財務省のHPを引用すると政府の回し者のように感じる人もいるかもしれないけれど、予算全体に占める割合から考えて社会保障費をどうするか?というのは誰もが真面目に考えるべき課題である。よく話題にあがる防衛費は全体の5%に満たない。

 

 歳入の方はというと、所得税法人税と消費税で全体の約50%、公債金(つまり借金)が全体の35.9%を占めている。それ以外の部分はその他税収やその他収入だ。つまり、税収では、歳出の2/3しか補えていない。残りは借金で回している。自転車操業状態である。ちなみに一番の税収は消費税で歳入の19.6%を占める。消費税は地方交付税の財源でもあるので、消費税が減ると地方に金がいかなくなる。

 

 借金が増える問題点は色々あると思うが、一つ大きなことは、借金の返済が為に他の歳出を増やせないという財政上の不自由をもたらすことだ。つまり、公共の福祉というものを向上させる為に打てる手段が減るということ。

 

 公債の発行は昭和40年頃からはじまり、昭和50年頃から規模が大きくなる。

 

https://www.mof.go.jp/zaisei/current-situation/situation-dependent.html

 

 多くの場合、不景気による税収の伸び悩みを補うために行われてきた。これは今も続いている。昭和50年当時に納税の義務や選挙権を保有していた人達は、借金を始めた世代と言っていいだろう。上記のグラフを見て分かるように、極端にひどくなったのは近年であるけれども、借金体質自体は今に始まったことではない。癪に障る方もいるかもしれないが、今の老人世代が始めた問題でもある。

 

 いずれ人口が減少することは判りきっていたことだし、景気が悪くなるかもしれないことは想定しておくべきシチュエーションだった。日本も無策だったわけではない。国鉄等の民営化を始め、財政の健全化に向けた施策はあった。しかしながら、要求に対し金が足りないという状態を改善することは出来なかった。この問題を1発で解決する妙案はないだろう。

 

 戦後日本は、インフラ投資に税金を投入してきた(土建国家という表現すらあった)。採算の取れない道路が批判の対象となることもあったが、これは経済の中心は東京で会っても、首相は地方出身者が勤めるという戦後日本政治の表現型の一つのようにも思える。国鉄が民営化されJRに代わる時、北海道のローカル線が生き残れるのか取り上げられることもあった。実際、今JR北海道の経営は苦しい(国有化が継続されていれば問題なかったわけではない)。

 

 採算が取れない地域にサービスを提供するには、徴収された税金を再分配する必要がある。サービスというのは-インフラも-維持管理していく必要があるので、継続的にリソースを必要とする。身の丈を超えてサービスを提供し続ければいずれ破綻する。分かり切ったことである。対象が地域全体でなく、特定の階層や年齢層であっても同じことが言える。

 

 社会保障の話に戻すと、結局のところ、どこかで手元のリソース(将来の期待値を含めて)とサービスのバランスを見直すべきだったのだろう。それは、年金を下げるとか、高齢者の医療負担を増加させるという短絡的な話でなく、他の公共投資(上記したインフラ整備等)を含めた税金の使い方としての話だ。

 

 道路や河川は整備すれば維持管理しなければならない。教員は採用したら時勢にあった指導内容方法のアップデートが必要になる。住宅が不足すれば公営住宅(日本は少ない)が求められるが、いずれは老朽化する。将来にわたって必要とされる経費と維持できそうな収入を鑑みながら、税金の投入先を決定していかなければならない。そういう点で、日本は失敗した。

 

 防衛費にしても、冷戦中からもう少し積み上げていれば楽が出来ただろう。日本は諸外国に比べかなり早い時期に徴兵制を撤廃し、防衛費も抑制するという経済発展に注力できる優位な立場にあったが、それは日本海という天然の防壁と在日米軍という強力な同盟国に支えられ成立していた。東西冷戦の最前線にあってかなり不安定な政策は結果的に実戦を経験せずに済んだが、ここに来てボディブローのように体力を削いでいる。

 

 「高齢者の集団自決」にも言及すると、共働き夫婦の子育てサポーターとして(特に地方においては)祖父母世代の存在は欠かせないと思う。田舎で共働きが可能な理由の一つだ。単身者にしても、地域の活動(例えば登下校の見守り活動とか地域清掃とか)に参加している。それらを全部、税金で賄おうとすれば莫大な費用が掛かるだろう。更に言うと、社会保障費の中で大きな割合を占める医療において、日本の製薬会社が新薬の開発でイニシアチブを取れていない現状、高齢者が居なくなっても税金が海外企業に流れるシチュエーションを改善できないだろう。

 

 生産性で命に序列を作るなという意見に関しては-あまり倫理観とか道義的話題には言及しない方針だが-ぐぅの音も出ない正論であると思う。憲法基本的人権の尊重を掲げている以上、命に序列を作る方針を採用することは出来ない。

 

 私個人の立場としては、高齢者になれる確率が50%なので、自決する前に死んでいるだろう期待値が50%。年金も碌に貰えない立場だ。日本全国に同じ境遇の人物が15%程度いて、その内の半分、日本国民の7%は年金をもらう前に死ぬのである。追加で言えば、男性の30%、女性の20%程度が父にも母にもなることは無い。自分が得られないサービスに金を支払いたいとは中々思えないだろう。

 

 社会というのは、私・共・公で成り立っている。私人と、私人の集まりである共同体と、公共である。私人がもろく、公共で補えない部分がる。とすればそれを支える意味で宗教団体のような共同体に活動の意義があるのだけれど、うちの国はその部分においても失敗した。これは余談。

 

 何が言いたいかというと、発言の問題性(あるいは話題性)を取り上げるだけでなく、実際何が課題になっているかを広く議論する必要があるだろうということ。

長井秀和氏の西東京市議会議員選挙当選について

 長井秀和氏が西東京市議会議員選挙において当選した。3,482票獲得でトップ当選の結果だった。2位当選との差は500票近い。ダントツの1位当選と言っていいだろう。長井氏は西東京市において、1年以上も辻立ちを継続していたらしい。元々の知名度と相まって、票を積み上げる原動力となったのだろう。

 

 先に断っておくと、私は長井氏を特に支持しているわけではない。長井氏の舞い方は、データ重視の私とは肌が合わないだろうなとは思うものの、肯定も否定も特にない。ただ、氏が創価学会にどの様な影響を与えるか興味がある。

 

 長井氏の当選について、様々なコメント・指摘がされているー選挙期間中の創価学会からの提訴は斬新ではあったー。氏の今後の活動や影響力について、いくつか記述してみたいと思う。

 

1. 市議会議員の影響力・活動範囲は市内に留まらない

 市議会議員の影響力は市内に限定されない。特に、長井氏のような著名人であれば、SNSでの情報発信含め、市町村の境を跨いで波紋は広まるだろう。

 

 市会議員の仕事として市外に視察に行くこともあれば、都道県議会議員(長井氏の場合は主に都議会議員)と協議をする機会もあるだろう(防災関係がわかりやすい例)。他市町村区の議員と広域的に連携することも可能だ。宗教問題をテーマに掲げ、自治体を横断しての連携も視野に入れているかもしれない。まずは西東京市の内側で活動していくだろうけれども、長井氏にはー氏の知名度を抜きにしてもー市外に干渉する能力機会がある。

 

2.市議会のテーマは市政に限定されない

 原子力平和の街とか平和宣言の街とか、見かけたことはないだろうか。最近では、防衛関係で地方議会レベルでの反意がニュースになっている。市議会だからと言って、テーマが市内に限定されるわけではない。基本は市内の話が中心にはなるものの、宗教問題が議題になる可能性はある(議会での質疑にテーマ上の制約は無いと思うが……どうだろう)。

 

3.議員の活動は議会に限定されない

 おそらく、多くの方が誤認識していると思う。市議会議員の仕事場は、議場に限定されているわけではない。行政組織(市役所)に直接赴いて、協議調整することが可能だ。どの程度まで可能かは各自治体の条例や慣例に依存するだろうけれど、市議会議員が市役所の窓口に出向くことはそれなりにある。小さな要望程度ならば、担当者に直接話をするかもしれない。

 

 公明党共産党所属の地方議員の方は、フットワーク軽く細かい課題までよく対応することで有名だが(もちろん他党議員や無所属の方にもそういう方はいるでしょう)、いちいち議会の採決で結果を出しているわけではない。自分から行政組織に出かけて、協議や意見交換を重ねて動かしている。

 

 そもそも、地方議会も国会と同じく会期が存在する。年がら年中、議会がオープンになっているわけではない。議場で鋭い質問をするよりも、議会が閉会している時にどれだけ地域を巡るかが、その人の地道な評価につながるだろう。

 

 議会で多数派に成れないから影響力は限定的という認識は誤りである。条例制定や予算案の採決において数を行使できないとしても、政治家としてのポテンシャルは戦い方次第で変化する。

 

4.組織が無くとも声は響く

 力強い後援組織が無くとも、トップ当選した議員の存在感は大きい。議会の議長となる議員も行政長(長井氏の場合は市長)も、その後ろにいる有権者を見ている。長井氏の場合は発信力もある。ぞんざいな扱いをすれば、思わぬ反撃を喰らうかもしれない。特に、行政長の場合は選挙となれば長井氏を支持した人物も潜在的な得票源だ。真っ向勝負で対決姿勢を示すのでなければ、協議や融和の余地を残すだろう。 

 

 西東京市長の政策も為人も存じていないけれども、無難な戦術をとるならば公明党にも配慮しつつ、長井氏とも付き合っていく必要がある。前述したように、市長が長井氏との対決姿勢を明確にするならば別であるが、それは長井氏に「行政組織との対決」を促すだろう。

 

 例えばシチュエーションはこうだ。宗教2世3世として育ったが故に苦しんでいる西東京市民がいたとする。市長が長井氏との対話を拒否すれば、長井氏はそういう人物をつれて直接市役所を訪れ、担当課を問いただすかもしれない。生活苦ならば社会福祉関係、対象が子供ならば教育委員会。その様子を動画なりSNSで発信していけば、行政サイドも対応を迫られるだろう。お互いに計算ができる人物ならばいきなりそういう行動には移らないと思うが、いざとなれば苛烈な戦い方も選択できるということだ。長井氏の後ろに強力な支援団体はいないかもしれないが、3,482人の市民からの投票と数万人のフォロワーがいる。

 

 思いついたことを、一般論として指摘できることを中心に書かせてもらった。

 

創価学会はどう反応するか

 以下は、創価学会サイドの反応についての感想等である。完全に私見であることを了承して、読んで頂きたい。

 

 長井氏に対して、創価学会は提訴というカードを切った。創価学会的には、話題にならないことが一番被害を少なくするだろうからー裁判で長井氏や週刊誌に勝訴しても一般人の創価学会評は高くならないー、話題が冷めるまで放置する可能性もあると私は見ていた。実際に警察が捜査に動いているのか現時点(R4年12月28日)では不明であるが(私は知らない)、創価学会は対決姿勢を示した。長井氏の影響力を無視できないと思ったのか、梁島全国男子部長自ら、創価学会が長井氏を提訴したことをTwitterに投稿している。

 

 来年には統一地方選挙があるので、問題が尾を引くのを嫌ったのかもしれない。上記提訴の前に、週刊誌記事に対する抗議も行っていた。

 

 私は、長井氏になびくようなタイプは元々創価学会のリソースとして期待値が低いと推測しているので、長井氏による内部票の低下を創価学会はそこまで恐れてはいないと思う。気にするとすれば、外への影響だ。ただ地方選は全体的に投票率が低く、無党派層への長井氏の影響力がそこまで選挙に影響するかと言われれば、創価学会の見積もりは高くないだろう。衆議院が解散すれば別の話である。内部票と活動家への影響という点では、立場的にも主張的にも、正木伸城氏の方がポテンシャルがありそうである。

 

★おまけ

 もし私が何らかのシチュエーションにおいて、発信力のある街頭で魅せるタイプの分かりやすい敵対者と、地味な発言ながらも時間をかけて同調者を呼び込みそうな改革派の運動家と、その両方を相手にしなければならいとしたら、まず両名を”同様の行動をとる同様の敵”と周囲が認識するようレッテルを張る。かつての紛争をナラティブとして利用できるなら利用する。「私の敵はいつも同じパターンである云々」と物語の形成に努めるだろう。

 

 前者には外からも認識しやすいパフォーマンス染みた対応をしつつ、後者には行間や比喩で牽制しつつ閉じた場所でジメジメとした合意形成を図り、親縁者や友人を用いたからめ手をひっそりと講じ対処するだろう。外から攻めてくる人物と内側から削り取ってきそうな人物と、両者の行動が相乗効果となって現れないよう注意しつつ、外には分かりやすい手立てを、内には見えざる防壁を築くように努める。どの道損切の戦いになるだろうから、主眼はマイナス分の減少におく。必要ならば、本来的には敵対しそうな人物の論評を切り貼りして引用するだろう。些末な相違を指摘することで潜在的な敵対者達の分離分断を狙えるかもしれない。

 

 泥仕合をけしかけて消耗戦に持ち込めば、私の方が体力があるならば有利にことを運べるだろう。破壊ではなく改革を掲げる者には、クリーンなイメージを損なうようなレッテル張りがより有効打になるだろう。決まったタイミングで一斉に黙ったり、合図と共に一斉に吠えてくれるような子飼いの犬達、何らかの指摘に対して「自己紹介ですか?」と煽れるような尖兵がいればなお好都合だ。まぁそれは組織にしかできない戦い方だ。独り身のSalemには不可能である。

創価学会の年間収入および資産について(シンガポール創価学会の会計報告からの推定)

 防衛費増額のニュースが大きく取り上げられ、旧統一教会関係の話題が減っていくことが予測される。防衛費を拡大することは、どの政党であっても選挙的にはマイナスにしかならない。これまで平和主義を掲げてきた公明党は、与党という立場もあって、大きなハンデになるだろう。

 

 さて、タイトルにあるように創価学会の資産について、出来る限りの推測をしてみよう。前回も引用したが、自公政権の間は情報開示が機能することはなさそうなので、

 

文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 | 宗教を問う | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 

自分で何か探すしかない。大手メディアも切り込まないとなれば、創価学会の財務や保有資産を客観的に検証することは困難であるかもしれない。しかしながら、何もしないよりかはいいだろう。ちなみにであるが、最近メディアに露出している数字としては以下のものがある。

 

創価学会マネーがコロナで縮小、「財務=お布施が激減」も?【危機(2)縮む経済力】 | 創価学会 90年目の9大危機 | ダイヤモンド・オンライン

 

 ダイアモンドの記事で引用されている、「自民党熊代昭彦衆議院議員(当時)が、「創価学会さんは10兆円の資産と毎年2000億円ないし3000億円の特別財務、それが全て無税扱いである」と指摘している。」の部分については、以下リンク先議事録で確認できる。

 

国会会議録検索システム

 

熊代氏の発言に対し国税庁は「個別の事柄に当たる」ことを理由に数字に関して何も答弁していない(これは創価学会に限らない話である)。また、秋谷元会長が国会で財務の金額を聞かれた際も、金額に関して否定も肯定もしていない(そもそも創価学会オフィシャルの発言では無い旨を述べている)。

 

国会会議録検索システム

 

創価学会のカネに関して、信頼できる数字を公的情報に求める困難さが示されていると思う。

 

 それでも何かないかと足りないお頭を捻らせたところ、海外組織ならば情報があるのではないかと思いついた。調べたところ、とりあえずシンガポール創価学会が会計報告を公開していた。以下、該当ページである。

 

SGS Annual Report 2021 (include Financial Statements) - Soka Gakkai Singapore

 

PDFには2021年のIncome(収入)が記載されている。年間の全収入が11,599,868シンガポールドル(S$)、その内Members' contributions(会員からの寄付=財務)が6,990,389S$となっている。日本円に換算すると(1S$は大体100円)、年間収入が約11億6千万円、その内財務が約7億円。現金及び銀行預金残高(cash and bank balance)が32,007,199S$で32億円。定期預金(fixed deposit with financial institutions)が55,273,152S$で55億円。資産合計(Total assets)が122,789,686S$で約123億円。内訳は、固定資産(Non-current assets)が34,825,142S$で約35億円、流動資産(Current assets)が87,964,544S$で約88億円となっている。

 

 SGIのHPによると、シンガポール創価学会の会員数は3万5千人とのことだ。

Singapore Soka Association—Promoting Harmonious Coexistence in the Lion City | Soka Gakkai (global)

 

日本の創価学会員の人数を350万人と想定するとシンガポール創価学会の会員数の丁度100倍となる。

 

創価学会の会員数について(圧倒的な少子化) - 狂気従容

創価学会の会員数について(統計データによる) - 狂気従容

 

単純に会員数=資産力と仮定して100倍すると、日本の創価学会の年間収入および資産は、以下のように推計できる。

 

年間収入:1100億円(その内財務が700億円)

現金および銀行預金残高:3200億円

定期預金:5500億円

資産合計:1兆2300億円(固定資産3500億円、流動資産8800億円)

 

 実際には、日本とシンガポールそれぞれの会員がどれだけ財務に熱心であるか、両国の経済レベルおよび物価(地価)、税制の違い等(日本とシンガポールで資産の定義が違うかもしれない)、考慮すべき項目が幾つもあると思う。しかしながら、それなりの金額が算出されたと思う。

 

 会館施設の規模および数から考えて、日本創価学会の固定資産は、シンガポールの100倍では済まないのではないかと思う。路線価から試算してみると、広宣流布大誓堂の土地だけで、40億円となる(820,000円/m2✖4,900m2)。

 

令和4年分 財産評価基準書 21032 - 路線価図|国税庁

 

太閤園の購入に300億円という報道が一部であったが、固定資産3500億円という推定は大分下方に外れている気がする。

 

 財務金額に関してはどうだろうか。日本の学会員の方が海外メンバーよりも財務に熱心だろうと私は考えている。シンガポール創価学会からの推定値では年間700億円であるが、1000億円を超えるのではないかと推測する。書籍や聖教新聞の売上があるので、収入に関しても100倍より多くなると予測する。全体的に上記推定値はかなり低い見積もりかもしれない。冒頭で触れた熊代氏は、

 

「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、創価学会さんは不動産資産九兆円、流動資産一兆円というような堂々たるお力を持っておられるというようなことでございます」

 

と発言している。単純な計算であるが、流動資産8800億円という推定値は悪くないようにも思う(実際にはより複雑な要素が絡むだろう)。他地域の創価学会が会計報告書を公表しているならば、比較検討できるかもしれない。

 

 いずれにせよ、年間財務1000億円以上という数字は、まんざら過大な数字というわけでも無さそうである。

GutsProject有限会社の謎(公明党の報告書より)

 旧統一教会関係の話題が創価学会に若干飛び火している感がある。創価学会に限らず、多くの宗教団体が収支計算書を公開していない以上、公的情報から客観的な分析批評を行うのは困難である。文化庁が宗教団体の情報開示を拒否することについて、以下の証言がある。

 

文化庁が宗教法人と交わした「裏約束」の正体 | 宗教を問う | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 

 自公連立に配慮して情報開示をしないという、当時の担当官僚(宗務課長)だった元文部科学事務次官 前川喜平氏の発言は大きな意味を持つだろう。前川氏は、旧統一教会関係の資料が出てこない理由を、安易な情報公開は”他の宗教団体”の反発を招くのでそれを恐れてのことではないかと推測している。上記記事から以下引用する。

 

「情報公開法以外でも宗教関係者に根回しする一環として、信濃町創価学会本部に何度か足を運んで説明した。創価学会秋谷栄之助前会長とも1回か2回、赤坂の料亭で与謝野さんと一緒に食事をしたことがある。」

「与謝野さんからの秘密指令を受けて、とにかく仲よくした。「雨が降ろうと槍が降ろうと、自民党の大物政治家が文句を言ってきても、提出された書類は絶対に出しません」と。そうやって創価学会公明党から信用してもらった。」

 

デマや脚色の類ならば、創価学会的には看過してはいけないと思うがどうだろうか。

 

 さて、公開情報が碌にないのでまともな議論を展開し難いのは事実だが、出来るだけ公開情報にあたることを信条にしている私としては、思いつく限りの努力をしなければならない。思案した後に考えついたのは、創価学会の収支計算は把握できなくても、公明党の収支報告書は調べられるだろうということだった。政党であるならば、収支報告書を公表しなければならないので、誰もが閲覧できる状態になっている。そこで、とりあえず公明党の収支報告書を調べることにした。

 

 政党の収支報告書は、総務省がHPで公表している。リンク先は以下の通りである。

 

総務省|政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書

 

 政党交付金は税金である。各党が独自に得た収益による支出とは別に、政党交付金使途等報告書として公表されている。基本的に、ここにヤバイモノは乗っからない。突っつかれて面倒なものを税金で支払う程、国政政党は間抜けではない……と思いたい。政治資金収支報告書には、パーティーや刊行物、寄付金等の税金以外の金銭の使い道も記載されている。

 

総務省|政党交付金使途等報告書|令和4年9月30日公表(令和3年分 定期公表)|政党本部|公明党

総務省|政治資金収支報告書|令和4年11月25日公表(令和3年分 定期公表)|政党本部|公明党

 

 上記リンク先は、公明党(令和3年分)の報告書記載ページである。見比べてみると、中々に興味深いことが分かる。先に断っておくと、スキャンダラスな内容ではない。支払先が純粋に面白いということだ。

 

1. 税金を外郭団体には使わない

 政党交付金の報告書には見当たらないけれども(令和3年分 定期公表)、政治資金収支報告書には、創価学会の外郭団体企業の名前を見つけることが出来る。わかりやすいのが日本図書輸送株式会社だ。宣伝カー運行諸経費という内訳もある。日本図書輸送は「何でも屋」というイメージが私の中にある。学会とのつながりの深い企業の方が、何かと便利なこともあるのだろう。さくらサービスや東弘、日光警備保障も確認できる(政党交付金の報告書には見当たらない)。交付金を使わないのは、「税金が学会に投入されている」という批判を避けるためだろうか。

 

2.大手広告通信社

 公明党のPR業務を引き受けている企業の中で、一番目立つのが大手広告通信社だ。ラジオ・ネット広告、調査・研究費など、公明党のイメージ戦略を委託されている。大手広告のHPを見てみると、主な取引先に創価学会聖教新聞社の名前が確認できる。

 

企業案内 | 大手広告

 

 外郭団体以外で、取引先名に創価学会を明示するのは珍しいと思う。ちなみにであるが、聖教新聞社は社とついているが、独立した会社ではない。

 

3.印刷は株式会社ホクトエンジニアリング

 パンフレット等を印刷している主要企業は、株式会社ホクトエンジニアリングという会社らしい。令和3年度の支払額を見てみると、額の大きいものを合計して2億3千万円程度になる。令和3年度の公明党政党交付金が約30億ということを考えれば、1社でかなりの部分を占めている。

 

 調べてみたけれども、会社のHPが見当たらない。国政政党の印刷物を委託されているのだから、信用されている会社だとは思うけれど、あまりオープンにはされていないようだ。知る人ぞ知るタイプの企業なのかもしれない。あるいは、完全に身内企業なのかもしれない。斜に構えて否定的な見解を探せば、OBの天下り先という仮説を立てることも可能かもしれないが、情報が要となる世界なのだから信頼できる身内企業に委託しているという見解の方が理に適っているのではないかと思う。

 

4.株式会社ホットリンク

 政治資金収支報告書には株式会社ホットリンクへの定期的な支払が記載されている。ホットリンクは、SNSコンサルティングを主軸に事業展開している企業だ。SNSの運用委託でも依頼しているのかもしれない。創価学会が同様の委託をしているかは気になるところである。

 

5.公明新聞は全国の新聞社で印刷している

 公明新聞の印刷が全国各地の新聞社に委託されていることが分かる。創価学会のマスメディアへの影響力として引き合いに出される話である(学会の場合は聖教新聞)。しかしながら、金額から考えるに、企業からすればそこまでウェイトを占める仕事なのだろうかという感想を抱く。例えば、株式会社 新潟日報社には毎月200万弱が支払われているけれども、株式会社 新潟日報社の年商は150億2,591万円(2020年12月期)とのことだ(新潟日報社HPより)。

 

6.GutsProject有限会社の謎

 タイトルの回収である。公明党の報告書を読んで異彩を放っていると感じたのが、GutsProject有限会社である。所在地は大分県という表記だ。会社HPは無い。会社住所付近をグーグルストリートビューで調べてみると、住宅地に所在があるらしい。「マニフェスト制作代」としての支出が政党交付金使途等報告書に、「ネット活動費」という目的での支払いが政治資金収支報告書にそれぞれ記載されている。ネット活動費は定期的に支払われているようだ。額はそこまで多くない。

 

 わざわざ大分の企業を用いるというのが不思議である。何かと東京の企業の方が便利だろう。何らかの事情があって(情報保全に信頼のおける身内企業だと思うが)依頼しているのだろうが謎である。その道のベテランが大分県の住宅街で仙人のように事務所を構えているのか、大手代理店から独立したプロでもいるのか、とにかく謎である。

 

以上、特にオチは無い。

CIAによる自公連立の蓋然性分析ー防衛問題を添えて(1986年の公文書より)

 タイトルにあるように、1986年に作成されたCIA公文書より、彼等が自公連立の蓋然性をどう分析していたか紹介する。くどいかもしれないが、CIAはインテリジェンスー情報収集、分析、評価、政策決定のサポートーを担う組織である。世界を裏で操る秘密結社ではない。該当文書はCIAのHPから誰でも確認できる。

 

THE FUTURE OF COALITION GOVERNMENTS IN JAPAN | CIA FOIA (foia.cia.gov)

 

 上記ページ内に、PDFファイルへのリンクが存在する。内容としては、衆議院議員選挙を前に、次期連立政権の可能性、自民党が連立政権を樹立しそうな相手(民社党公明党)を評価分析している。文書全体に占める公明党関係の記述はそこまで多くないけれども、その後の歴史を知っている身としては非常に感慨深い。以下、本文書のサマリー部分を全文紹介する。

 

If Japan's Liberal Democratic Party (LDP) does well in the general election on 6 July, it will be able to end its three-year coalition with the tiny centrist New Liberal Club (NLC). The coalition, the first at a national level since the LDP was formed in 1955, has not led to any alteration in the pro-US or pro-business thrust of Japanese policies during the postwar era. Although the very junior status of the NLC is one factor in the limited impact it has had on Japanese Government policies, the fact that the two parties essentially share political values is the primary reason the coalition has not affected policy continuity. A community of views on domestic and foreign issues also is evident between the LDP and the other small centrist parties that have become more popular with Japanese voters during the last decade. The pattern suggests that even if the LDP fares poorly in this or subsequent elections--as seems likely given long-term trends--and once again enters into a coalition, there is little likelihood of significant shifts on policies important to the United States.

7月6日の総選挙で自民党が良い結果を残せば、小さな中道政党の新自由クラブ(NLC)との3年間の連立を解消することができるだろう。1955年の自民党結党以来、国政レベルで初の連立政権であったが、親米ないし親ビジネスという戦後日本における主要政策方針に何の変化ももたらさなかった。NLCの立場が非常に低いことが、日本政府の政策に与える影響が限定的であることの一因ではあるが、両党が本質的に政治的価値を共有していることが、(連立政権が戦後日本の)政策方針の継続性に影響を与えなかった第一の理由である。自民党と、過去10年間に支持率を伸ばした他の小さな中道政党との間にも、国内外の問題に対する見方において共通性が見られる。この図式は、自民党が今回の選挙やその後の選挙で芳しくない結果に終わった時でさへ(長期的な傾向からするとあり得る)、そして再び連立を樹立するとしても、米国にとって重要な政策に顕著な変化が生じる可能性がほとんどないことを示唆している。 

 

 

 連立政権が樹立されても、日本の対米政策に大きな変化は無いだろうという予測がされている。本文書で連立の可能性がある政党として特に注目されているのは、公明党民社党である。実際、自民党を中心とした連立政権で最も長期に渡ることとなった自公連立政権は、対米政策で大きな変化をもたらさなかった(どちらかというと親米が加速した)。妥当な分析と言えるだろう。

 

 一方で、この後に起こる日本の政治的な混乱ー細川内閣の成立や新進党の結党、自社さ連立政権などーをCIAはどう分析していたのか、あるいはどこかの時点で予見していたのか、その辺りを確認しないことには、彼等の眼差しを適切に評価することは難しいとも感じている。

 

 以下、本文の中から公明党関係で興味深いあるいは面白いと思った部分を切り抜いて紹介していく。

 

Komeito has decided it wants to be a governing party at the national level as it has been at the prefectural and city levels for years. At the party convention in December 1985, the party's chairman called upon the LDP to form a policy coalition with the Komeito that would involve close consultations on key issues and thus pave the way for an eventual parliamentary coalition.

公明党は、都道府県及び市町村レベルで数年間続いているのと同様に、国政においても政権政党となることを望んでいる。1985年12月の党大会において、公明党委員長は政策協定を自民党と形成することを申し出たが、それは重要課題における協議を含み得るもので、それゆえ、最終的な議会上の連立(連立政権)への道を開くだろう。

 

The policy congruence between the Komeito and LDP is certainly less close than that between the LDP and DSP,   making   Komeito   a   less   attractive   coalition   partner.   Although Komeito's   security   and   foreign   policies   have   been   moving   toward   the   positions   held   by   the   LDP,   there   are   still   major   differences.   For   example,   the   Komeito   publicly   insists   the   Self-Defense   Forces   should   have   no   overseas   role   in   sealane defense   and   opposes   big   increases   in   defense   spending.   Komeito leaders   argue   the   party's   domestic   policy   stands   are   almost   identical   to   those   of   the   LDP,   but   many   in   Japan   perceive   that   the   Komeito   wants   more   sweeping   reforms   of   basic   institutions--such   as   the   education   system--than   does   the   LDP.   

公明党自民党間の政策の一致度は、民社党自民党のそれより明らかに少ないので、公明党民社党よりも魅力的でない連立相手にしている。公明党の安全保障、外交政策方針は、自民党の立ち位置に向かって動いているものの、未だに大きな隔たりがある。例えば、公明党シーレーン防衛において自衛隊が海外において任務を持つべきでないと主張しているし、防衛費の大規模な増加にも反対している。公明党の指導層は、公明党の国内政策に関する方向性は自民党のそれとおおよそ一致していると主張するけれども、日本人の多くが、公明党は基本的な制度の全面的な改革ー例え教育制度-を自民党以上に望んでいると感じている。

 

(本文枠外の注釈)

The   unpopularity   of   the   Soka   Gakkai,   a   lay   organization   associated   with   a   Buddhist   sect   and   the   Komeito,   is   another   factor   arguing   against   a   future   LDP-Komeito   coalition   government.   The   Soka   Gakkai   receives   bad   press   for   the   aggressive recruitment   tactics   and   because   of   its   founder's   involvement   in numerous scandals.  

創価学会-仏教宗派と公明党と関係のある-の評判の悪さは、将来の自公連立に反対する主張の一要素である。創価学会は、強引な布教活動と創立者が多数のスキャンダルに巻き込まれていることから、否定的な報道を受けている。

 

In a meeting with US officials in April 1986, Komeito Chairman Takeiri explained that he supports unrestricted participation in SDI research by Japan's private sector but opposes official government participation.

1986年4月の米国高官との会談において、公明党の竹入委員長は、SDI研究への日本民間企業の制限の無い参画を支持することを表明したが、公式に政権として参加することには反対している。

 

Personal ties would also be considered in such a decision. In Japan, perhaps more than in other Westernized democracies, friendships count in politics. Thus, the coalition partner selected by the LDP will be influenced heavily by who is Prime Minister when the need to form a coalition develops.  

個人的なつながりもその様な決定には考慮されうる。日本においては、多分に他の西洋化した民主主義よりも、交友関係が政治の場において重要である。それゆえ、自民党によって選ばれる連立相手は、連立政権樹立が必要になった時の総理大臣が誰であるかということに大きく左右されるだろう。

 

Less probable as long as Nakasone remains Prime Minister is a coalition with Komeito, because many Dietmen from this party consider Nakasone's defense and foreign policies hawkish.

公明党議員の多くは、中曽根首相の安全保障、外交政策タカ派であると見なしているので、中曽根が首相である限り、公明との連立は可能性が低い。

 

On the other hand, if a Tanaka faction prime minister is chosen by the LDP, the likelihood of a coalition with the Komeito would increase given the personal ties between the two groups. Fukuda faction leaders would tend to prefer working with the DSP for similar reasons. 

一方、もし自民党によって田中派閥から首相が選出されれば、公明党田中派の個人的なつながりによって、自公連立の可能性は増加するだろう。同様の理由により、福田派のリーダーは民社党との連立を好み得る。

 

(本文枠外の注釈)

On a personal basis, however, ties between Nakasone and the Komeito leadership appear relatively good. Nakasone's good offices were reportedly used to get a job for the son of Komeito Secretary General Yano, and Komeito is supporting the upper house candidacy of Hirofuni Nakasone, the Prime Minister's son 

しかしながら、個人的な関係で言えば、中曽根と公明党指導者の関係は比較的良好である。中曽根は矢野書記長の息子の仕事を斡旋したと言われているし、公明党参議院議員候補である中曽根弘文(中曽根首相の息子)を支援している。

 

 

 1986年のCIA(正確にはCIA東アジア支局かな)が公明党を中道政党として認識していたという事実は重要だ。前回紹介した、1963年のBUDDHIST MILITANTS IN JAPANESE POLITICS(日本政治における仏教過激派)という彼等の評価から考えれば、創価学会公明党の穏健化が認められたことを意味する。70年代末からの、安全保障政策の現実路線への転換が評価されたのかもしれないし、支持母体創価学会折伏活動がかつてに比べれば過激ではなくなったことを把握していたのかもしれない。

 

 公明党が80年代から政権与党入りを望んでいたというのは-これまでも何となく推測できる話ではあったが-確かだろう。本文書作成の約10年後には、四月会を始めとした自民党創価学会パッシングが発生する。自民党公明党は連立相手どころではなくなるのだが(新進党時代)、その後数年して自公連立政権が樹立する。政界とは何が起こるか分からない場所である。歴史を知っている身としては、さっさと自公連立となった方が(どうせ他に選択肢がないだろうから)、無駄に時間とリソースを消耗せずに済んでよかったのではないかと思う部分もあるが、後知恵もいいところだろうか。

 

 CIAの枠外注釈にあるように、創価学会の悪評が自公連立の妨げになったのは、一部的には当たっていると思うけれど、細川内閣の成立や新進党結党等が要因となって、自民党の側から創価学会批判が展開され、それが多くの影響を与えたことを後に彼等はどう評価しただろうか。親米国的な長期政権の成立が遠のいたことを面倒に感じただろうか。内紛に明け暮れる日本政治を愚かだと評価しただろうか。

 

 公明党創価学会)が何を目指していたのか、その大義は何であったのか、あらためて疑問に感じるのが、SDIに関する証言だ。SDIとは、かつて冷戦時代に米国が構想した、旧ソ連ICBM(核ミサイル)を主な迎撃目標にした戦略防衛構想である。当時の技術においては困難な部分が多かったため、SDI自体は実用化されなかったが、構想や技術的な成果はMD(ミサイル防衛)に引き継がれた部分もある。

 

 公明党は1985年の国会において、以下のように自民党に質問している。国会議事録から引用する。

国会会議録検索システム

 

神崎武法

「同じく憲法上の要請であります集団的自衛権の行使の禁止とSDIとの関係の問題でございますけれども、先ほど山田委員の方から質問がございました。日本、NATO、米国、この三国以上の国でSDIを研究、開発、配備するということは集団的自衛権の行使につながるのではないか、このように考えますが、いかがでしょうか。

 

 公明党議員がSDIへの参加は条件次第で憲法違反になるだろう旨を問いただしているにもかかわらず、民間企業の研究参加を竹入委員長は容認していた。実際、日本の民間企業はSDIの研究に参加するわけだが、1年の間に態度を変えるだけの何かがあったのか、それともただの2枚舌か。あるいは民間企業の参加ならば問題ないという解釈が成立するのか。

 

 安保法案もミサイル防衛も、自公連立政権が長期的に続いたからこそ成立した部分が大きいと思うがいかがだろう。質問をしているのが、自衛隊イラク派遣を認めた時の公明党代表だった神崎氏というのも皮肉なものだ(答弁者の1人が安倍晋太郎氏なのも何とも……)。ちなみに、神崎氏の質問の後には、同じ公明党の渡辺一郎氏が防衛費について質問をしている。渡辺氏の発言は以下の様に終わる。

 

「私は最後に申し上げますけれども、この一%問題を議論するに当たって、量的な一%の問題だけでなく、大綱の中に規定されているのだからというので、殊さらに中古兵器とか、現状からいって役に立たない装備群一式をそろえることは慎んでいただくように、それはなるべく後にすればいいじゃありませんか。むしろそんなものは捨ててしまう方が私は賢明であると思います、そういう配慮がないで一%をいきなり議論すれば、我が国の防衛にとって多大の禍根を残すだけになるのではないか、これを最後に特につけ加えまして、一%堅持のために今後とも汗をかいて努力していただくようにお願いしたいと思います。

 

 当時は三木内閣が防衛費は国民総生産(GNP)の1%を越えない旨を閣議決定していたので、それを越えそうな(実際、中曽根内閣は三木内閣の決定を撤廃した)当時の情勢について、様々な観点から問いている。質問内容を見ると、どうにも為にする批判のように思えるが、自民党とのすり合わせ後の質疑かもしれないので、どの程度公明党が本気で攻めていたかは不明だ。

 

 1つ言えるのは、現在の自公連立政権においては、ミサイル防衛にしても防衛費の増額にしても、1985年当時と比較するとあまりにもダイナミックに変化しているということだ。公明党の変節と批評しても妥当だろう。公明党を擁護するわけではないけれど、補足すると、当時の日本人の約半数がSDIへの参加に反対だったらしいので(本文中CIAが紹介している)、変ったのは公明党創価学会員だけではないとも言えるだろう。

 

 渡辺氏の質疑に応じている主要人物は、後に創価学会批判を繰り広げる加藤紘一氏である。十数年後の自公連立政権を知る由もなかっただろうが、何とも無駄な議論を重ねたという感想を拭えない。しかしながら先ほども述べたように、それは後知恵的かもしれない。

 

 本文枠外の注釈に記されている、「中曽根は矢野書記長の息子の仕事を斡旋したと言われている」という点に関して、私は完全に初見である。それが事実だとしたら、創価学会と中曽根氏の関係も気になるところである。CIAに、「個人的なつながりもその様な決定には考慮されうる。日本においては、多分に他の西洋化した民主主義よりも、交友関係が政治の場において重要である。」と評されているのはまことに遺憾であるが、日本人の幾人かも同様の感想を抱いていることだろう。自公連立、自民党創価学会の共同歩調にも「個人的な友好関係」が関与している点については既に多くの方が指摘している。

 

 池田大作を支持する方は、竹入氏ー矢野氏のラインが勝手にやったことと判断するかもしれないけれど、公明党支援を継続してきたのは創価学会であり、名誉会長となって会則上大きな決裁権を持っていなかったとしても、実質的なリーダーとして池田大作が無関係というのは中々難しいだろう。池田氏が表舞台から姿を消して、自公連立政権による防衛政策の転換が加速したのはそれなりに事実だと主張できようが、1970年代後半から公明党は変わりつつあった。

 

 本文書が作成された1986年、創価学会は第一次と第二次宗創問題の狭間にあり、月間ペン事件の裁判が終わって間もなく、山崎正友の離反による内紛、正信会、顕正会日蓮正宗との仮面夫婦生活と問題が山積していた。歴史にIfは無いけれど、もし宗創問題が無かったら、第一次宗創問題の段階で創価学会日蓮正宗から離反していたら、あるいは池田氏が1980年に没していたら、日本の歴史はどう変化しただろうか。創価学会の存在が、とりわけ公明党支援を通して、戦後日本政治に深く影響を与えてきたことを実感する次第である。

 

 ここ最近、日本の防衛方針は大きく変化している。散々反対してきた巡航ミサイル保有公明党は賛成した。防衛費の増額にも賛成した。彼等が唱えてきたところの平和政策の是非は別にして、創価学会員が支援する公明党の判断が、日本政治そして国際社会に大きく影響を与えているのは事実。その存在意義は、将来より多くの資料が公開された時点でさらに明確に下されると思うけれども、今を生きる有権者としては現時点で確認できる資料から判断していくしかない。

 

 以下、完全に余談である。旧統一教会関係の問題で自民党創価学会に切り込まないのは、単に選挙運動上の障害になるからではなく、創価学会との紛争が長期政権の維持を困難にし、防衛政策等に多大な影響を与え得るからではないかという比較的前向きな判断も可能なような気もする。あくまで気がする。自民党は、議員の移籍による一時的なものを例外とすると、89年以来、参議院における単独過半数を達成していない。戦乱が近づいているタイミングで、国内政治を混乱させたくないという自民党の意思決定が(米国の台湾情勢に関する”正確な”情報提供を元に)働いているのかもしれない。それが4月会による創価学会パッシングからの教訓ということならば、90年代の紛争も無意味ではなかったのかもしれない……

CIAによる創価学会の分析(1963年の公文書より)

 タイトルにあるように、1963年に作成されたCIA公文書より、彼等が創価学会をどう分析していたか、紹介する。何度か書いたかもしれないけれど、CIAは陰謀論のマスターピースでも007のパートナーでもなく、インテリジェンスー情報収集、分析、評価、政策決定のサポートーを担う組織である。秘密工作の類も行ってはいるが、それとは別に、公開情報(書籍や新聞等)を収集分析し評価することで、政治判断が適切に行われるよう活動している。該当文書はCIAのHPから誰でも確認できる。

 

BUDDHIST MILITANTS IN JAPANESE POLITICS | CIA FOIA (foia.cia.gov)

 

上記ページ内に、PDFファイルへのリンクが存在する。おそらく、インターネット上で確認できる創価学会関連の米国公文書としては、最も古いものの一つだ。機密解除された公文書の中で、Web閲覧できるものとしては一番古い部類に属するという意味である。これより古いのは、アーリントンなりメリーランドに行かないと確認できない(あるいはコピーの郵送)。

 

 さて、該当文書のタイトルおよびその翻訳は以下の通り。

BUDDHIST MILITANTS IN JAPANESE POLITICS(日本政治における仏教過激派)

 

何ともストレートな物言いである。1963年の学会評ということで、現在におけるCIAの認識とは異なるであろうことに注意していただきたい。昔の書籍を読むと明らかであるが(池田大作の軌跡でも微妙に触れられていた)、創価学会は当初、「極右」「ファッショ」という批判を受けていた。いまでこそ、「左翼的」という批判の方が多いと思うが、創価学会が最初に受けた評価は「ナショナリスト」であった。以下、本文書のサマリー部分を全文紹介する。

 

Militant members of a nationalistic Buddhist sect, Soka Gakkai, have forged a powerful, highly disciplined organization of growing importance to Japanese politics. Riding high on the revival of religion and nationalism in Japan, the Soka Gakkai now claims over nine million members, or 10 percent of the population. It has recently strengthened its position in local government, has the third largest representation in the Upper House of the Diet, and may enter the lists for the Lower House in the next general election. Its orientation is ambiguous, and it might throw a decisive weight in the political scales either to the right or the left.  

好戦的で民族主義的な仏教宗派である創価学会は、日本の政治にとってますます重要な存在となる、力強く高度に統制のとれた組織を作り上げた。日本における宗教とナショナリズムの復興に乗じて、今や創価学会は900万人以上の、ないしは日本人口の10%にあたる会員を擁していると主張する。創価学会は最近、地方自治体における地位を強化し、参議院では第3位の勢力を持ち、次の総選挙では衆議院にも進出する可能性がある。その方向性は不明瞭で、政治的なバランスの中で右にも左にも決定打を投じうる。 

 

Militant members of a nationalistic Buddhist sect(好戦的で民族主義的な仏教宗派)という凄まじいパワーワードで始まる。この当時の創価学会ー部隊旗やら軍歌調の学会歌ーを見れば、確かに上記評価は適当であると評せれるだろう。サマリーの後半部分には、米国が創価学会の何に注目していたかがはっきりと読み取れる。創価学会の政治力であり、それが左右どちらに振れるかという点だ。

 

 次に、本文の中から興味深いあるいは面白いと思った部分を紹介していく。紹介する文書の基本構成は以下のようになっている。

 

1. 戦前の創価学会とその起源

2. 戦後の拡大

3. リーダー池田大作

4. 海外での成長

5. 最近の政治的成功

6. 政治的方向性

7. 今後の展望

 

1. Prewar Origin (戦前の創価学会とその起源)

 

The Soki Gakkai -- literally the Value Creation Academic Society--began as an obscure secular group some 30 year ago. Its members now regard its founder, Jozaburo Makiguchi, as a reincarnation of the 13th century Buddhist reformer Nichiren.  

創価学会-価値創造の学会-は、30年ほど前に無名の世俗団体として始まった。現在では創価学会のメンバーは、創価学会創立者牧口常三郎は13世紀の仏教改革者である日蓮の生まれ変わりであると考えている。  

 

He organized his "value-creating education society" to publicize and promote his highly pragmatic theory, and linked it with religious faith by adhering to the Shoshu sect of Nichiren Buddhism. 

彼は、この実用性の高い理論(「美」「善」「利」の価値論)を公表し世に広めるため「創価教育学会」を組織し、その理論を日蓮正宗の信仰に結び付けた。 

  

His fanatical support of the sect's deification of Nichiren appeared to Japan's military rulers in 1943 as a threat to the Shinto-supported Emperor, and Makiguchi and his principal followers were jailed. He died in prison in 1944.  

1943年、日蓮を神格化する日蓮正宗への熱狂的な支持は、天皇に支持された神道への脅威であるという科で、牧口とその主要な信者は投獄された。1944年、牧口は獄死した。  

 

 牧口常三郎と学会の起源について、簡単にまとめられている。牧口常三郎を”Jozaburo Makiguchi”と間違った綴りで紹介しているが、学会内では牧口先生、牧口会長、初代会長そういう言い方が一般的だったと思われるので、英語文献もほぼ存在しなかったであろう当時、常三郎を”Jozaburo”と発音するものと勘違いしたのだろう。

 

 当時の会員が牧口を日蓮の生まれ変わりと考えていたかどうかは不明瞭だ。そういう考え方を持つ会員が居ても不思議ではないが、創価学会の指導として文字化されたものを確認したことは無い。

 

2.Postwar Expansion (戦後の拡大)

 

Makiguchi's favorite disciple, Josei Toda, was largely responsible for reviving the movement after the war. He combined evangelism and a shrewd business sense.  

牧口の愛弟子である戸田城聖は、戦後、この運動を復活させるのに大きな役割を果たした。牧口の愛弟子であった戸田は、布教とビジネスセンスを兼ね備えていた。 

 

Toda's genius produced funds, publicity, and above all dynamic young leadership. His personal knowledge of the yearnings of insecure youth and his organizational flair set the Gakkai on a continuously successful course, in contrast to the languishings of most other "new religions."  

戸田の天賦の才は、資金、宣伝、そして何よりもダイナミックな若いリーダーを生み出した。戸田の不安定な若者の熱望するところに対する見識、組織化の才能は、他の多くの「新宗教」が低迷しているのと対照的に、学会を継続的な成功へと導いた。  

  

Gakkai's claims to represent the orthodox line of Nichiren Buddhism have been hotly but ineffectively disputed.  

日蓮仏法の正統後継者であるという学会の主張は、激しくはあるが、無益に係争されている。 

 

It has continually denounced and violently attacked its rivals, asserting that the Gakkai represents the one true religion which is destined to become Japan's national faith.  

学会が日本の国教となるべき唯一無二の正当な宗教であるという強烈な主張により、学会は常に対立する宗教団体を糾弾し、激しく攻撃してきた。 

 

After becoming president of the society in 1951, Toda launched a membership drive featuring forcible conversion or shakubuku--literally "beat down and subdue." The society gained great numbers of new recruits and much notoriety. 

戸田は1951年に会長に就任すると、会員を強制改宗、折伏-文字通り叩き潰し制圧すること-運動を展開した。学会は、多数の新会員と多くの悪評を獲得した。 

  

Success has given the Gakkai greater confidence and patience and now it is using somewhat subtler methods of coercion.  

この折伏運動の成功は、学会により大きな自信と根気強さ与えており、また、現在では幾分控えめな改宗方法を用いている。 

 

Although such an approach to religious conversations may be a poor guarantee of permanence and depth of faith, the elan of the youth, the impact of refurbished superstitions, and the disciplined surveillance of potential deserters--who are threatened with the direst sanctions--have reduced or obscured the dropout rate. 

宗教対話に対するこのようなアプローチは、信仰の永遠性とその深さに対する貧弱な保証かもしれないが、若者の活力、一新された迷信の衝撃、潜在的脱落者への統制された監視-彼らは最も厳しい制裁で脅かされる-は、 脱会率を削減ないし人目のつかないものにしている。 

  

A youth corps Toda formed spearheaded the aggressive conversion campaign couched in terms of a crusade or "holy war."  

戸田が結成した積極的な改宗運動(折伏)の先兵である青年部は、十字軍または「聖戦」という言葉で言い表された。 

 

The corps is organized and rigidly disciplined on military lines.  

青年部は軍隊調に組織され、厳格に規律づけられている。 

 

Uniforms, unit colors and martial music are reminiscent of both prewar Japan and the Hitler Youth. At Toda's death in 1958 the corps had over 200,000 members; it now has over 800,000.  

制服、部隊の色、軍楽的な歌は、戦前の日本やヒトラーユーゲントを彷彿とさせる。戸田が亡くなった1958年時点で、青年部は20万人を超える部員を有していた、現在は80万人以上である。  

  

The most significant development during Toda's incumbency was the society's decision in 1955 to enter politics, initially at the local level.  

戸田時代の最も顕著な進展は、1955年に学会が政治活動への進出を決めたことで、最初は地方政治であった。 

 

Political action may have been developer as one more technique for demonstrating how the saint Nichiren, working through the Gakkai, could help his followers.  

政治活動は、日蓮聖人が学会を通じてどのように信徒を助けることができるかを示すためのもう一つの手法として開発されたのだろう。 

 

The decision was apparently prompted by a struggle with the trade union and socialist leadership in Hokkaido for the allegiance of local coal miners.  

この決断は、北海道の炭鉱労働者の忠誠心をめぐって、労働組合社会主義者の指導者と争ったことがきっかけとなったようである。  

 

 

 戦後間もない頃の創価学会が、アメリカの目からどう評価されていたかが良くわかる。赤字で強調したが、青年部を「戦前の日本やヒトラーユーゲントを彷彿とさせる」と表現している。学会の折伏運動の激しさもしっかり理解されていたようで、折伏を”beat down and subdue”と言い表しているのは、直訳とはいえ強烈である。

 

 戸田会長の政治進出を、日蓮が学会を通じてどのように信徒を助けるかを示す手段の一つとして編み出されたと分析している。当時のカオスな状況、限られた資料の中から推測したにもかかわらず、流石は情報機関ということか。夕張炭労事件にも簡単に触れており、米国が当時の社会情勢を淡々と調べていたことがわかる。

 

 個人的に面白いと思ったのは、CIAが戸田城聖の組織化能力、ビジネスセンスを高く評価していることだ。戸田城聖のパフォーマンスに関して、学会内部の持ち上げ記事ではなく、米国公文書で”genius”という表現が用いられている。

 

3. Leader Daisaku Ikeda (リーダー池田大作)

 

In the two years following Toda's death, Daisaku Ikeda, a favored youth corps leader and deputy director of the society, gradually consolidated his control, and although only in his  thirties, was installed as president in 1960. He is the paragon of postwar leaders who are making the Gakkai so successful.

戸田の死後2年間は、親しみ深い青年部リーダーで学会理事の池田大作が、徐々に支配力を強めていったが、1960年、若干30代にして会長になった。池田は学会の大繁栄を生み出している戦後リーダー達の鑑である。

 

Of humble origins and no kin to Japan's prime minister, Ikeda as a teenager was handicapped by Japan's postwar malaise. He was unable to complete his education and had an illness which he claims was cured by association with Toda and the Gakkai.  

池田は地味な出自で、また日本国首相である池田勇人とは血縁関係はなく、10代の頃、戦後の日本の沈滞によってハンデを負わされた。 池田は学業を終えることができず、また病気を患っていた-戸田や学会と縁したことで救われたと池田は主張する。 

 

He worked in Toda's publishing house and in a related firm while being tutored in the ways of the society.  After 1951 he rose rapidly to a top position in the youth corps and then moved on to Gakkai headquarters.  He was instrumental in stalemating leftist and labor union resistance in Hokkaido.  

池田は戸田の出版社や関連会社で働きながら学会の中で指導を受けた。 1951年以降、青年団の幹部に急浮上し、学会本部に移った。彼は北海道において、左翼や労働組合の抵抗を沈静化するのに貢献した。 

 

Ikeda's ability to attract votes away from the left has contributed much to Gakkai electoral successes While Ikeda is not known as an orator he is a successful evangelist who has personal magnetism and stage presence.  

池田の持つ左翼から票を集める能力は、学会の選挙における成功に大いに貢献した。池田は演説者としては知られていないが、人間的な魅力と舞台での存在感を持つ布教者として成功している。  

 

 

 池田大作について簡潔にまとめられている。池田勇人との血縁関係は無いとわざわざ注釈されているのが時代を反映している。演説者としては知られていないが、人間的な魅力と舞台での存在感で成功したという評価は適切だろう。戸田の死後、池田が徐々に学会をコントロールするようになったというのも妥当な判断だと思う(いきなり全権を把握したわけではないということ)。

 

 池田大作が左翼から票を集める能力を評価されているのは興味深い。1963年の文書なので、池田に関する資料はまだそこまで整っていなかっただろうから、CIAとしても池田を見定めている最中だったと思われる。ここでも夕張炭労事件が少し出てくる。やはり米国(CIA)としては、創価学会が左右どちらに振れるかを気にしていたのだろうか。

 

4. Growth Abroad (海外での成長) 

 

Under Ikeda Gakkai membership has proliferated abroad and among aliens, as well as among native-born Japanese.  The sect had spread to the Ryukyus before he became president, and he quickly initiated action to extend the organization around the globe.  

池田学会の会員数は、日本人だけでなく、海外や外国人の間でも急増している。池田が会長になる前に、学会は琉球に広がっていたが、彼はすぐに学会を世界に広げるための行動を開始した。 

 

An "Orient Academic Research Institute" was founded to provide material for a Far and Middle East mission, at pretent mostly in Okinawa. The Gakkai claims to have 7,000 households in the Ryukyus now.  

「東洋学術研究所」が、極東、中近東、現在は特に沖縄への布教のための資料提供を目的に設立された。 現在、琉球に7,000世帯があるという。 

 

The society is apparently growing in the US, attracting principally Americans of Japanese descent. It had about 7,500 members here in 1962.  Ikeda made his first trip to set up branches in the US in 1960 and has returned on several occasions.  

学会はアメリカにおいて、主に日系アメリカ人を中心に伸びているようだ。1962年当時は7,500人の会員がいた。 池田は、アメリ支部の準備のため1960年に初めてアメリカへ行き、その後何度か訪れている。 

 

He had hoped to meet President Kennedy this spring to represent the wishes of "one million Japanese youth" that nuclear testing be ended, but canceled his trip, apparently out of pique over a casual reference to his society as "heretical" on the part of a spokesman for the governing Liberal Democratic Party.  

池田はこの春、核実験の停止を願う「100万人の日本人青年」を代表して、ケネディ大統領に会うことを望んでいたが、政権与党側自民党の広報担当官が学会のことを「異端」と軽々しく発言したことに腹を立てて、中止したらしい。 

 

The Gakkai has also attracted American servicemen stationed in or returned from Japan through their Japanese girl friends or wives. US Forces Japan reports members at practically all bases, numbering at least 450 men, and another 1,500 previously assigned to Japan may have joined. The Society had begun publishing some of its propaganda in English.  

学会はまた、日本人の恋人や妻を通して、在日アメリカ軍人や帰国したアメリカ軍人をも布教した。在日米軍によると、ほぼすべての基地に学会員がおり、その数は少なくとも450人、さらに日本に駐留していた1500人が入会した可能性がある。また学会は、英語での宣伝も始めていた。  

 

 米国における布教にCIAが興味を持つのは当然だろう。特に、在日米軍における創価学会の浸透は、状況次第では彼等の安全保障に影響を与えることになる。創価学会が左派的な団体に変貌した場合は特に憂慮する事態であったろう。そもそも、他国由来の宗教が軍隊内に蔓延するのは嬉しい事態ではあるまい。在日米軍が、どうやって軍隊内の会員数を把握したのは不明であるが、米軍にはドッグタグに宗教の記入があるので、何となく把握できたのかもしれない。当時の米軍の規定を把握していないので何とも言えないが、何らかの形で信仰する宗教の申告が必要だったのかもしれない(正規の規定だと難しい様にも思うが……どうだろう)。非キリスト教徒の時点で目立つ存在になるから、自然と収集できたのかもしれない。内偵の線も無くはない。

 

 ケネディ大統領と池田大作が会談予定だったのは有名な話であるが、それがポシャった理由は不明瞭である。学会オフィシャルの言うところは自民党の横やりということになっている。CIAの公文書によれば、池田大作自体が会談を望んでいたらしい。どちらが先に声を掛けたのかは不明。

 

5. Recent Political Success (最近の政治的成功)

 

Under Ikeda, Soka Gakkai has steadily improved its extraordinary record for winning in local and Upper House elections, as political action assumed an important place in the society's program.  

池田会長のもと、創価学会は着実に地方選挙や参議院選挙での当選実績を伸ばし、政治活動が学会の活動の重要な位置を占めるようになった。 

 

In the local elections of 1959 the Gakkai elected all of its 76 candidates to the Tokyo ward assemblies and over 90 percent of its contestants to other municipal assemblies. When in 1962 it elected all nine of its candidates to the Upper House, it became the third largest party there. 

1959年の統一地方選挙では、東京都区議会で76名の候補者全員を当選させ、その他の市町村議会でも90%以上の候補者を当選させた。1962年の参議院選挙では、9人の候補者全員を当選させ、参議院第3党となった。 

 

Increasing political activity led Soka Gakkai to create a separate organization to conduct its campaigns. In 1962 this "Fair Politics League" took over political action responsibilities from an informal staff in Ikeda's headquarters, enabling the parent organization to maintain a primarily religious image. 

政治活動の活発化は、創価学会に選挙運動を行うための別組織の設立をもたらした。1962年、「公明政治連盟」は池田大作周辺の非公式スタッフから政治活動を引き継ぎ、親組織である創価学会が宗教的なイメージを維持することを可能にした。 

 

Provisions for Upper House elections enable the League to muster its tightly knit organization for the greatest national impact. Elections for the politically more potent Lower House are run on a basis that would impede similar reflection of highly disciplined but localized strength.  

参議院選挙の規定は、連盟がその緊密な組織を、最大級の国家的影響が為に結集することを可能にする。政治的により強力な衆議院の選挙は、高度に組織化されながら地域に根差した強さの反映を邪魔するように運営されるだろう。 

 

Although it has not yet felt the time ripe to enter general elections for the Lower House, the League is steadily developing potentialities to exploit in that key contest when it wishes.  

まだ衆議院に進出する期は熟していないと感じているが、公明政治連盟は望む時に衆議院選挙に打って出れるよう、潜在的な力を着実に発展させている。  

 

 

 公明党衆議院に進出するかどうかを、CIAも注目していたのが分かる。また、地方選挙における創価学会の強さ、公明政治連盟の生い立ちも紹介されている。米国にしてみれば、創価学会の何を気にかけるかと言えば、その政治力である。

 

6. Political Orientation (政治的方向性)

 

Through all these successes, the society's political orientation has remained ambiguous. At the outset, the Gakkai denounced both major parties and called for a general clean up of politics.  

このような(選挙戦の)成功の中で、学会の政治的方向性はあいまいなままであった。当初、学会は2大政党(自民党社会党)を糾合し、公正公明な政治を訴えた。 

 

Since then it has increasingly espoused widely popular demands such as opposition to nuclear testing and rearmament, return of both the Ryukyu and Kuril islands, closer ties, especially economic, with mainland China, and sweeping social welfare measures.  

その後は、核実験および再軍備への反対、琉球そして千島列島の返還、中国大陸との、特に経済的な交流の強化、社会福祉の拡充の様な、広く需要のある政策を次第に主張している。 

 

The organization has indicated it opposes any revision of the constitution to modify Article 9 which formally renounces war and war-making potential.  Municipal assemblymen belonging to the sect have participated in recent efforts to block visits of US nuclear-propelled submarines.  

同団体は、戦争と戦争遂行能力を正式に放棄した憲法9条を修正する憲法改正に反対する意向を示している。創価学会に属する地方議員は、最近、米国の原子力潜水艦の訪問を阻止する活動に参加している。 

 

The amorphous character of the Gakkai's political stand suggests that it could go either to right or left.  

学会の政治的立場が不定形であることは、それが右にも左にも行く可能性があることを示唆している。 

 

Japanese intellectuals tend to relegate the Gakkal to the "lunatic fringe" on the far right because of its military style organization and espousal of nationalist aims.  At the same time its self-styled "new socialism" includes emphasis on social welfare and on major foreign policy goals which coincide with those of the left. 

日本の識者は、学会の軍隊式の組織と民族主義的な目的の信奉であるという理由から、 学会を極右の「過激派」に分類する傾向がある。同時に、創価学会が自称する「新しい社会主義」は社会福祉を強調し、主要な外交政策目標は左派のそれと一致している。 

  

Ikeda calls for a synthesis incorporating the "good points" of both dialectical materialism and "Christian" capitalism to provide Japan with a fundamental philosophy under which it can prosper in peace.  

池田は、日本が平和裏に繁栄するための基本的な哲学を提供するために、弁証法唯物論キリスト教的資本主義の良い点の統合を呼びかけている

 

In any event, nationalism, long anathema in postwar Japan, is making a comeback, and the Gakkai is in the vanguard with its symbols and slogans, its flags and its loyalties, and its general encouragement of traditional Japanese arts. 

いずれにせよ、戦後長らく忌み嫌われてきたナショナリズムが復活しつつあり、学会はそのシンボルとスローガン、旗と忠誠心、そして日本の伝統芸術の全般的奨励によってその先駆者となっている。

  

Moreover, its missionary effort accords with Nichiren's belief that it would be Japan's role to carry "the light of Asia" back to Buddhism's original home in South Asia and hence throughout the world.  

さらに、創価学会の布教上の使命は日蓮が信じるところの「アジアの光」を仏教の本家である南アジアに持ち帰り(仏教西還)、ゆくゆくは世界中に広めるのは日本の役割であるという考えと一致している。  

 

 

 60年近く前の文書を読むのは感慨深いものがある。今の私は、世界広布とかいうワードに創価学会がどれだけ本気なのか疑問に感じている。それはさておき、当時の創価学会(と公明党)への政治的評価が端的にまとめられている。運動形態は極右と評価されがちでありながら、主張する内容は左翼のそれと一致しているという矛盾。そして、右にも左にも転がり得るという不確かさ。創価学会トリックスターに見えたとしても無理はない。実際のところは、池田大作の勘所みたいな部分と社会変革の試行錯誤、臨機応変な対応の積み重ねが何ともキメラな組織を作り上げていった様に私は考えている。

 

 CIAが日本のナショナリズム復興の先駆者に創価学会を当てはめているのはーその適切さは議論が必要だろうがー大変興味深い。確かに、創価学会というのはどこまで行っても日本の宗教であり、この国の土壌に根を張りながら、戦後の精神的なトレンドを渡り歩いたが故に繫栄したと評することも可能かもしれない。ただ、文書を読む限り、CIAは創価学会の言うところの仏教西還にナショナリズムを彷彿させるような意義を見出しているようだが(当時はそれなりに学会内でも主張されたのだろう)、実態としてのその後の歴史を知っているので過大評価かつ読み違いな部分も含まれているように感じる。好戦的なナショナリズムに満ちた集団が武力による他国侵略を標榜するわけではないその一例として、創価学会は面白い存在”だった”のかもしれない。

 

 以下まったくの余談である。東哲の中の人から伺った話であるが、仏教西還の成果を再確認するため(学会は仏教西還の象徴として、ブッダガヤ近郊に日蓮遺文や記念碑を収めた金属ケースを埋設した……三大秘法抄に真筆はないけれど)、ケースが現存しているか金属探知機で探しに行ったとのことだ。80年代後半から90年代の話だったと思う。行った先のインドで金属探知機が故障してしまい、どうしたものかと慌てたが、町工場のインド人が修理してくれたそうだ。機械の正常作動を確かめた後、ケースを埋蔵したと思わしき場所で金属反応を確認できたと言っていた。インド人恐るべし。

 

7. Prospects (今後の展望)

 

Some Japanese political observers hold that the Gakkai is at last approaching a political zenith, having attracted the maximum following from depressed elements of society. The Gakkai will probably continue to profit some from trends toward urbanization.  

日本の政治観測筋の中には、学会は、社会の下級層からの最大限の支持を引き付けることで、遂には政治的な頂点に挑んでいると見立てる人もいる。学会はおそらく、引き続き都市化の流行からある程度の利益を得ることができるだろう。 

 

The great bulk of Gakkai membership is concentrated in the industrial centers where it appeals to newly arrived rural immigrants, as to the "lonely crowd" of the diseased, the dispossessed and the frustrated.  

学会員の大部分は工業中心地に集中しており、その地で創価学会は、病める者、疎外された者、挫折した者という「孤独な群衆」としての新しい地方移民に布教している。

 

In most cases the Gakkai has cut more heavily into left-wing votes than it has into the conservatives'. Its bargaining position has been progressively improved as the left slowly rises and the conservatives decline. Thus both ideologically and tactically Soka Gakkai's political arm occupies a central place in Japanese politics. While it can move in either direction, in a national crisis its nationalist orientation suggests it would probably throw its weight toward the right. 

ほとんどの場合、学会は保守派よりも左翼の票をより多く獲得してきた。左翼が台頭し、保守が衰退するにつれ、その交渉力は次第に向上してきた。このように創価学会の政治部門は、思想的にも戦術的にも日本政治の中心的な位置を占めている。どちらにも動けるが、国家的危機の際には、その民族主義的方向性から、右派に比重を置くだろう。 

  

  

 当時のCIAの予測が結論部分に示されている。創価学会は右派に比重を置くだろうという予測は、そこだけを見れば、的中したと言っていいだろう。しかしながら、それが民族主義的方向性による帰結であるかは検証しなければならない。根拠を列挙出来るだけの見識が無いので、あまり断定的には記述できないけれど、創価学会が最終的に自民党(右派)と連立を組んだのは、

 

1. 学会員の多くが生活的に落ち着いたこと

2. 天皇制を受け入れ国教化を諦めたこと

3. 70年代後半に安全保障政策を変更したこと

 

等が要因と思われる。敢えて左派的であろうとする理由が無くなってしまった(その旨味も無くなってしまった)。折伏成果が頭打ちになって、組織的な大発展を見込めなくなったのも大きいだろう(現実を見据える必要に迫られた)。元々の方向性が民族主義的だったというのは当てはまるかもしれないけれど、それは多くの日本人に当てはまることかもしれない。

 

 思うに、今の創価学会で上手くやっていける方は、日本社会でもそれなりに上手くいく。逆もしかりだろう。コミュニティの催しに違和感なく参加できる生活安定者に、大胆な改革は魅力的な選択肢とは映らないだろう。実際、学会員の大半は自民党政権の生活に不満をもっていない。

 

 最後の部分は雑談に近い。専門研究者がしっかりと検証すべき内容だと思う。また歴史の教訓として、その価値は十分あると思うがいかがだろうか。おそらく金にはならないけれど。

山上徹也の合理性

 タイトルからして危険な香りがするのは承知している。おそらくはあまり賛同を得られないことも理解している。トップページにあるように「このブログは、頭に貯めておくと駄目になりそうなことを文字にして吐き出す場所」である。落ち着く仕草は人それぞれあるだろうけれども、私は文字にすると落ち着く。

 

 事件から4ヵ月が経った。事件に関する報道が控えめになる中(統一教会関係はある程度流れている)、酒の飲めない休日、山上徹也のことを考えることが多い。おそらく、彼が見てきた景色と私の眼前に広がっている風景は似ている。だからだろうか、ふとした時に彼の影を追いかけているような気がする。

 

 山上徹也はだいたい私と同じ世代と言っていいだろう。彼の母親の教団への献金額は定かではないし、宗教活動による破産というのは想像に絶する。しかしながら、彼がどういう人生を歩んできたのか私には分かる。極端な宗教家族に人生を振り回される辛さが私には分かる。自分のポンテシャルを親の宗教活動に潰されたことがあるだろう、自他の違いに執着する必要性があっただろう、自分が抱えている苦しみが他人に理解されないことを承知していただろう、理解されたとして助けにならないことを過去が変わらないことを受け入れようと努力しただろう、普通になれないことを認めながら孤独な夜と希望の無い朝を何度も迎えただろう。そして、それでも何とかもがいて社会規範を守ってここまで生きてきたのだろう(彼に前科があったとの報道はない)。何より、彼には無私の愛を享受した体験がないのだろう。

 

 普段、他人に大して興味関心を抱かない、誰かに共感することの少ない私ではあるが、彼に関してはある程度の自信をもって「分かる」と言える。子育ての苦労だとか、伴侶とのいざこざだとか全く分からない私であるが。山上はゼンマイ時計が最後は動かなくなるように、落ち着く場所に落ち着いてしまった。

 

 事件を起こさない未来もあった。もしかしたら、残りの人生は豊かになったかもしれないと。可能性は確かにあった。だが蓋然性は低い。

 

 42歳高卒独身の派遣社員。その先が茨の道であることは客観的に理解できる。彼は事件を起こし人生に大方のケリをつけてしまったが、仮に事件を起こさなくともあらかた詰んでいたと思う。いや、生まれた時から詰んでいた。彼は自己の存在自体が憎しみの対象になることを理解していたはずだ。自分の努力ではどうにもならい要素によって、苦しい人生を歩まされた。生まれ育ちのハンデは、多少の才覚ではどうにもならない。

 

 仮に彼が事件を起こさなかったら、孤独死か自殺しただろう。安月給で貧相な賃貸を住処に動けなくなるまで働いて、それで終い。母親の介護も必要だったかもしれない。報道によれば、彼の父と兄は自殺している。3親等以内で2人も自殺者が出ていれば、3人目がでても全くおかしくない。生涯独身男性の半分は67歳まで死ぬのだから、彼には残り25年の期待値があった。不健全な発想だろうけれど、懲役25年と表現できるかもしれない。彼の判決がどう出るか分からないけれど、事件を起こさなくともー

 

 彼に自分の人生を掴むチャンスがあったとすれば、つまり共同体や公的機関が介入してくれない宗教家族の呪いを克服する手法があったとすれば、15歳くらいで母親を物理的に排除してしまうか、兄弟ごと家族を見捨てるかどちらかだろう。未成年の殺人ならば15年も刑期はないかもしれない。30歳の前科者にこの国が優しいとはとても思えないけれど、少なくとも異常な献金や介護に苦しむことはなくなる。家族と絶縁しなかったのは、兄弟への執着未練があったのではないかと思う。家族に問題がある人生というのは、プラスを求める人生ではない。いかにしてマイナスを減らすかに帰着する。

 

 彼は42歳で赤の他人ー安倍晋三が生きていようと死んでいようと山上徹也の人生には直接関係がないーを殺めてしまった。善悪の判断は本記事の埒外なので言及しない。彼にとっては、それなりの合理性があったように思える。前述したように、彼は助かる手立てに乏しく、人生の大半が詰んでいた。どの道、先は無かった。言い切るのは難しいが、蓋然性で判断すれば厳しい未来だったと推測できる。大人しく孤独死するなりひっそり自殺してくれた方が世間的には都合が良かっただろうけれども、ここで注目しているのは山上の方の都合だ。もっとも、山上が事件をおこさず何処かでひっそり死んでいたら、世間は誰も注目しなかっただろう。

 

 建設的な意見を求めるならば、福祉や教育に力をいれて山上徹也のような人物が育たないようにすべきなのだろうけれど、それが達成されるまでにはかなりの時間を要する。今現在、生を受けた人間には役に立たない。失われた機会は戻ってこないのだ。

 

 青い空を背負ってどこまでも自由に歩いている権利を放棄して、塀の中で厳しい集団生活を強いられることが合理的か?と問われれば、私の中では合理的ではない。失う物も無く、ただ苦しいだけの生活が続くという予測に対し短気を起こして結末を求める。それを合理的な判断とする者もいるだろう。山上徹也なりの合理性がそこにはあったと考えている。良くて孤独死、悪くて自殺。もっと悪けりゃテロリスト。彼は最後を選んだ。

 

11/6追記:現時点における報道内容を見た上での記述。親子、兄弟関係については、裁判開始後に判明する部分もあると推測。その点、ご了承いただきたい。