狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

CIAによる自公連立の蓋然性分析ー防衛問題を添えて(1986年の公文書より)

 タイトルにあるように、1986年に作成されたCIA公文書より、彼等が自公連立の蓋然性をどう分析していたか紹介する。くどいかもしれないが、CIAはインテリジェンスー情報収集、分析、評価、政策決定のサポートーを担う組織である。世界を裏で操る秘密結社ではない。該当文書はCIAのHPから誰でも確認できる。

 

THE FUTURE OF COALITION GOVERNMENTS IN JAPAN | CIA FOIA (foia.cia.gov)

 

 上記ページ内に、PDFファイルへのリンクが存在する。内容としては、衆議院議員選挙を前に、次期連立政権の可能性、自民党が連立政権を樹立しそうな相手(民社党公明党)を評価分析している。文書全体に占める公明党関係の記述はそこまで多くないけれども、その後の歴史を知っている身としては非常に感慨深い。以下、本文書のサマリー部分を全文紹介する。

 

If Japan's Liberal Democratic Party (LDP) does well in the general election on 6 July, it will be able to end its three-year coalition with the tiny centrist New Liberal Club (NLC). The coalition, the first at a national level since the LDP was formed in 1955, has not led to any alteration in the pro-US or pro-business thrust of Japanese policies during the postwar era. Although the very junior status of the NLC is one factor in the limited impact it has had on Japanese Government policies, the fact that the two parties essentially share political values is the primary reason the coalition has not affected policy continuity. A community of views on domestic and foreign issues also is evident between the LDP and the other small centrist parties that have become more popular with Japanese voters during the last decade. The pattern suggests that even if the LDP fares poorly in this or subsequent elections--as seems likely given long-term trends--and once again enters into a coalition, there is little likelihood of significant shifts on policies important to the United States.

7月6日の総選挙で自民党が良い結果を残せば、小さな中道政党の新自由クラブ(NLC)との3年間の連立を解消することができるだろう。1955年の自民党結党以来、国政レベルで初の連立政権であったが、親米ないし親ビジネスという戦後日本における主要政策方針に何の変化ももたらさなかった。NLCの立場が非常に低いことが、日本政府の政策に与える影響が限定的であることの一因ではあるが、両党が本質的に政治的価値を共有していることが、(連立政権が戦後日本の)政策方針の継続性に影響を与えなかった第一の理由である。自民党と、過去10年間に支持率を伸ばした他の小さな中道政党との間にも、国内外の問題に対する見方において共通性が見られる。この図式は、自民党が今回の選挙やその後の選挙で芳しくない結果に終わった時でさへ(長期的な傾向からするとあり得る)、そして再び連立を樹立するとしても、米国にとって重要な政策に顕著な変化が生じる可能性がほとんどないことを示唆している。 

 

 

 連立政権が樹立されても、日本の対米政策に大きな変化は無いだろうという予測がされている。本文書で連立の可能性がある政党として特に注目されているのは、公明党民社党である。実際、自民党を中心とした連立政権で最も長期に渡ることとなった自公連立政権は、対米政策で大きな変化をもたらさなかった(どちらかというと親米が加速した)。妥当な分析と言えるだろう。

 

 一方で、この後に起こる日本の政治的な混乱ー細川内閣の成立や新進党の結党、自社さ連立政権などーをCIAはどう分析していたのか、あるいはどこかの時点で予見していたのか、その辺りを確認しないことには、彼等の眼差しを適切に評価することは難しいとも感じている。

 

 以下、本文の中から公明党関係で興味深いあるいは面白いと思った部分を切り抜いて紹介していく。

 

Komeito has decided it wants to be a governing party at the national level as it has been at the prefectural and city levels for years. At the party convention in December 1985, the party's chairman called upon the LDP to form a policy coalition with the Komeito that would involve close consultations on key issues and thus pave the way for an eventual parliamentary coalition.

公明党は、都道府県及び市町村レベルで数年間続いているのと同様に、国政においても政権政党となることを望んでいる。1985年12月の党大会において、公明党委員長は政策協定を自民党と形成することを申し出たが、それは重要課題における協議を含み得るもので、それゆえ、最終的な議会上の連立(連立政権)への道を開くだろう。

 

The policy congruence between the Komeito and LDP is certainly less close than that between the LDP and DSP,   making   Komeito   a   less   attractive   coalition   partner.   Although Komeito's   security   and   foreign   policies   have   been   moving   toward   the   positions   held   by   the   LDP,   there   are   still   major   differences.   For   example,   the   Komeito   publicly   insists   the   Self-Defense   Forces   should   have   no   overseas   role   in   sealane defense   and   opposes   big   increases   in   defense   spending.   Komeito leaders   argue   the   party's   domestic   policy   stands   are   almost   identical   to   those   of   the   LDP,   but   many   in   Japan   perceive   that   the   Komeito   wants   more   sweeping   reforms   of   basic   institutions--such   as   the   education   system--than   does   the   LDP.   

公明党自民党間の政策の一致度は、民社党自民党のそれより明らかに少ないので、公明党民社党よりも魅力的でない連立相手にしている。公明党の安全保障、外交政策方針は、自民党の立ち位置に向かって動いているものの、未だに大きな隔たりがある。例えば、公明党シーレーン防衛において自衛隊が海外において任務を持つべきでないと主張しているし、防衛費の大規模な増加にも反対している。公明党の指導層は、公明党の国内政策に関する方向性は自民党のそれとおおよそ一致していると主張するけれども、日本人の多くが、公明党は基本的な制度の全面的な改革ー例え教育制度-を自民党以上に望んでいると感じている。

 

(本文枠外の注釈)

The   unpopularity   of   the   Soka   Gakkai,   a   lay   organization   associated   with   a   Buddhist   sect   and   the   Komeito,   is   another   factor   arguing   against   a   future   LDP-Komeito   coalition   government.   The   Soka   Gakkai   receives   bad   press   for   the   aggressive recruitment   tactics   and   because   of   its   founder's   involvement   in numerous scandals.  

創価学会-仏教宗派と公明党と関係のある-の評判の悪さは、将来の自公連立に反対する主張の一要素である。創価学会は、強引な布教活動と創立者が多数のスキャンダルに巻き込まれていることから、否定的な報道を受けている。

 

In a meeting with US officials in April 1986, Komeito Chairman Takeiri explained that he supports unrestricted participation in SDI research by Japan's private sector but opposes official government participation.

1986年4月の米国高官との会談において、公明党の竹入委員長は、SDI研究への日本民間企業の制限の無い参画を支持することを表明したが、公式に政権として参加することには反対している。

 

Personal ties would also be considered in such a decision. In Japan, perhaps more than in other Westernized democracies, friendships count in politics. Thus, the coalition partner selected by the LDP will be influenced heavily by who is Prime Minister when the need to form a coalition develops.  

個人的なつながりもその様な決定には考慮されうる。日本においては、多分に他の西洋化した民主主義よりも、交友関係が政治の場において重要である。それゆえ、自民党によって選ばれる連立相手は、連立政権樹立が必要になった時の総理大臣が誰であるかということに大きく左右されるだろう。

 

Less probable as long as Nakasone remains Prime Minister is a coalition with Komeito, because many Dietmen from this party consider Nakasone's defense and foreign policies hawkish.

公明党議員の多くは、中曽根首相の安全保障、外交政策タカ派であると見なしているので、中曽根が首相である限り、公明との連立は可能性が低い。

 

On the other hand, if a Tanaka faction prime minister is chosen by the LDP, the likelihood of a coalition with the Komeito would increase given the personal ties between the two groups. Fukuda faction leaders would tend to prefer working with the DSP for similar reasons. 

一方、もし自民党によって田中派閥から首相が選出されれば、公明党田中派の個人的なつながりによって、自公連立の可能性は増加するだろう。同様の理由により、福田派のリーダーは民社党との連立を好み得る。

 

(本文枠外の注釈)

On a personal basis, however, ties between Nakasone and the Komeito leadership appear relatively good. Nakasone's good offices were reportedly used to get a job for the son of Komeito Secretary General Yano, and Komeito is supporting the upper house candidacy of Hirofuni Nakasone, the Prime Minister's son 

しかしながら、個人的な関係で言えば、中曽根と公明党指導者の関係は比較的良好である。中曽根は矢野書記長の息子の仕事を斡旋したと言われているし、公明党参議院議員候補である中曽根弘文(中曽根首相の息子)を支援している。

 

 

 1986年のCIA(正確にはCIA東アジア支局かな)が公明党を中道政党として認識していたという事実は重要だ。前回紹介した、1963年のBUDDHIST MILITANTS IN JAPANESE POLITICS(日本政治における仏教過激派)という彼等の評価から考えれば、創価学会公明党の穏健化が認められたことを意味する。70年代末からの、安全保障政策の現実路線への転換が評価されたのかもしれないし、支持母体創価学会折伏活動がかつてに比べれば過激ではなくなったことを把握していたのかもしれない。

 

 公明党が80年代から政権与党入りを望んでいたというのは-これまでも何となく推測できる話ではあったが-確かだろう。本文書作成の約10年後には、四月会を始めとした自民党創価学会パッシングが発生する。自民党公明党は連立相手どころではなくなるのだが(新進党時代)、その後数年して自公連立政権が樹立する。政界とは何が起こるか分からない場所である。歴史を知っている身としては、さっさと自公連立となった方が(どうせ他に選択肢がないだろうから)、無駄に時間とリソースを消耗せずに済んでよかったのではないかと思う部分もあるが、後知恵もいいところだろうか。

 

 CIAの枠外注釈にあるように、創価学会の悪評が自公連立の妨げになったのは、一部的には当たっていると思うけれど、細川内閣の成立や新進党結党等が要因となって、自民党の側から創価学会批判が展開され、それが多くの影響を与えたことを後に彼等はどう評価しただろうか。親米国的な長期政権の成立が遠のいたことを面倒に感じただろうか。内紛に明け暮れる日本政治を愚かだと評価しただろうか。

 

 公明党創価学会)が何を目指していたのか、その大義は何であったのか、あらためて疑問に感じるのが、SDIに関する証言だ。SDIとは、かつて冷戦時代に米国が構想した、旧ソ連ICBM(核ミサイル)を主な迎撃目標にした戦略防衛構想である。当時の技術においては困難な部分が多かったため、SDI自体は実用化されなかったが、構想や技術的な成果はMD(ミサイル防衛)に引き継がれた部分もある。

 

 公明党は1985年の国会において、以下のように自民党に質問している。国会議事録から引用する。

国会会議録検索システム

 

神崎武法

「同じく憲法上の要請であります集団的自衛権の行使の禁止とSDIとの関係の問題でございますけれども、先ほど山田委員の方から質問がございました。日本、NATO、米国、この三国以上の国でSDIを研究、開発、配備するということは集団的自衛権の行使につながるのではないか、このように考えますが、いかがでしょうか。

 

 公明党議員がSDIへの参加は条件次第で憲法違反になるだろう旨を問いただしているにもかかわらず、民間企業の研究参加を竹入委員長は容認していた。実際、日本の民間企業はSDIの研究に参加するわけだが、1年の間に態度を変えるだけの何かがあったのか、それともただの2枚舌か。あるいは民間企業の参加ならば問題ないという解釈が成立するのか。

 

 安保法案もミサイル防衛も、自公連立政権が長期的に続いたからこそ成立した部分が大きいと思うがいかがだろう。質問をしているのが、自衛隊イラク派遣を認めた時の公明党代表だった神崎氏というのも皮肉なものだ(答弁者の1人が安倍晋太郎氏なのも何とも……)。ちなみに、神崎氏の質問の後には、同じ公明党の渡辺一郎氏が防衛費について質問をしている。渡辺氏の発言は以下の様に終わる。

 

「私は最後に申し上げますけれども、この一%問題を議論するに当たって、量的な一%の問題だけでなく、大綱の中に規定されているのだからというので、殊さらに中古兵器とか、現状からいって役に立たない装備群一式をそろえることは慎んでいただくように、それはなるべく後にすればいいじゃありませんか。むしろそんなものは捨ててしまう方が私は賢明であると思います、そういう配慮がないで一%をいきなり議論すれば、我が国の防衛にとって多大の禍根を残すだけになるのではないか、これを最後に特につけ加えまして、一%堅持のために今後とも汗をかいて努力していただくようにお願いしたいと思います。

 

 当時は三木内閣が防衛費は国民総生産(GNP)の1%を越えない旨を閣議決定していたので、それを越えそうな(実際、中曽根内閣は三木内閣の決定を撤廃した)当時の情勢について、様々な観点から問いている。質問内容を見ると、どうにも為にする批判のように思えるが、自民党とのすり合わせ後の質疑かもしれないので、どの程度公明党が本気で攻めていたかは不明だ。

 

 1つ言えるのは、現在の自公連立政権においては、ミサイル防衛にしても防衛費の増額にしても、1985年当時と比較するとあまりにもダイナミックに変化しているということだ。公明党の変節と批評しても妥当だろう。公明党を擁護するわけではないけれど、補足すると、当時の日本人の約半数がSDIへの参加に反対だったらしいので(本文中CIAが紹介している)、変ったのは公明党創価学会員だけではないとも言えるだろう。

 

 渡辺氏の質疑に応じている主要人物は、後に創価学会批判を繰り広げる加藤紘一氏である。十数年後の自公連立政権を知る由もなかっただろうが、何とも無駄な議論を重ねたという感想を拭えない。しかしながら先ほども述べたように、それは後知恵的かもしれない。

 

 本文枠外の注釈に記されている、「中曽根は矢野書記長の息子の仕事を斡旋したと言われている」という点に関して、私は完全に初見である。それが事実だとしたら、創価学会と中曽根氏の関係も気になるところである。CIAに、「個人的なつながりもその様な決定には考慮されうる。日本においては、多分に他の西洋化した民主主義よりも、交友関係が政治の場において重要である。」と評されているのはまことに遺憾であるが、日本人の幾人かも同様の感想を抱いていることだろう。自公連立、自民党創価学会の共同歩調にも「個人的な友好関係」が関与している点については既に多くの方が指摘している。

 

 池田大作を支持する方は、竹入氏ー矢野氏のラインが勝手にやったことと判断するかもしれないけれど、公明党支援を継続してきたのは創価学会であり、名誉会長となって会則上大きな決裁権を持っていなかったとしても、実質的なリーダーとして池田大作が無関係というのは中々難しいだろう。池田氏が表舞台から姿を消して、自公連立政権による防衛政策の転換が加速したのはそれなりに事実だと主張できようが、1970年代後半から公明党は変わりつつあった。

 

 本文書が作成された1986年、創価学会は第一次と第二次宗創問題の狭間にあり、月間ペン事件の裁判が終わって間もなく、山崎正友の離反による内紛、正信会、顕正会日蓮正宗との仮面夫婦生活と問題が山積していた。歴史にIfは無いけれど、もし宗創問題が無かったら、第一次宗創問題の段階で創価学会日蓮正宗から離反していたら、あるいは池田氏が1980年に没していたら、日本の歴史はどう変化しただろうか。創価学会の存在が、とりわけ公明党支援を通して、戦後日本政治に深く影響を与えてきたことを実感する次第である。

 

 ここ最近、日本の防衛方針は大きく変化している。散々反対してきた巡航ミサイル保有公明党は賛成した。防衛費の増額にも賛成した。彼等が唱えてきたところの平和政策の是非は別にして、創価学会員が支援する公明党の判断が、日本政治そして国際社会に大きく影響を与えているのは事実。その存在意義は、将来より多くの資料が公開された時点でさらに明確に下されると思うけれども、今を生きる有権者としては現時点で確認できる資料から判断していくしかない。

 

 以下、完全に余談である。旧統一教会関係の問題で自民党創価学会に切り込まないのは、単に選挙運動上の障害になるからではなく、創価学会との紛争が長期政権の維持を困難にし、防衛政策等に多大な影響を与え得るからではないかという比較的前向きな判断も可能なような気もする。あくまで気がする。自民党は、議員の移籍による一時的なものを例外とすると、89年以来、参議院における単独過半数を達成していない。戦乱が近づいているタイミングで、国内政治を混乱させたくないという自民党の意思決定が(米国の台湾情勢に関する”正確な”情報提供を元に)働いているのかもしれない。それが4月会による創価学会パッシングからの教訓ということならば、90年代の紛争も無意味ではなかったのかもしれない……