狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

久しぶりの上京

金曜日、久しぶりに上京した。年間で取らなければならない有給日数に足りていなからと有給を取るように促されので、丁度推しのアイドルのイベントをやっていたこともあって急遽東京に遊びに行くことにした。年間で土日のサービス出勤が20日くらいあったので有給ノルマ(年間5日以上)とか馬鹿らしい以外の何物でもないのだけれども、弊社のクオリティはそのレベルだ。

 

神田と秋葉原を訪れるのは5年ぶりだった。恩師に会いに八王子を訪れて以来、東京から離れていた。コロナ禍で外出し辛い状況が続いていたのもあるけれど、これと言って楽しいと思えることが無い、つまり目的地をもつことがなかったのだ。

 

東京に行くとなれば、私が訪れるのは2箇所だ。神田の古本屋街と秋葉原。学生時代から変わっていない。古本屋街でミリタリー関係の本を中心に物色して、そのまま歩いて秋葉原まで行ってPCパーツ等をみてまわって適当に飯を食って帰る。東京の遊び方をこれ以外知らない。普通を楽しめないというのはこういうことだ。

 

古本屋街は特に変わっていなかった。2015年に愛する篠村書店が閉業してしまったので、文華堂書店を第一目標に適当にフラフラした。ミリオタ御用達の双璧だった篠村書店の最後に立ち会えなかったのは本当に残念だ。残るもう一つの雄、文華堂書店は特に変わった様子がなかった。20年前にはじめて訪れた時から、古本のラインナップが変わったくらいで他は何も変わっていないと思う。あ、店員は老けたな。私もだけど。高価で引き取り手のいない書籍とかバラ売りの戦史叢書とか、当時から棚に並んでいる書籍もあるのではと推測する。長い付き合いだ。古本屋、プラモデル屋、ラーメン屋は店構えを変えると質が落ちるのでそのままでいて欲しい。

 

今は通販で大概のものが手に入るから古本屋を利用するメリットはそこまでない。マニアックな書籍は値崩れすることもあまりないので価格的な利点も少ない。あるとすれば、偶然の出会いを求めるくらいだろうか。私は割とそういうのが好きだ。YouTubeで好きな音楽をいつでも聴ける時代に、ラジオでお気に入りの曲がたまたま流れたりするのが嬉しかったりする。

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秋葉原に向かう途中、東陽堂書店でその筋の本をチラっと偵察した。最初から冷やかしのつもりで入店した。誰かが買い漁っているのか、回収されているのか、からっきしだった。ここは本当の学者向け書籍しか流れてこないのだろうか。入るたびに不思議だなぁと感じる。

 

秋葉原に向かう途中、喫煙目的で立ち寄っていた茶店は広島焼きのお店になっていた。無念。ルノアールに入るのは微妙だったので、そのまま秋葉原まで歩いた。途中、ガード下にあった肉の万世の直売所が自動販売機に代わっていた。これもショック大。ここでカツサンドを食べ、コーヒーを飲みながらタバコを吸い、どこから回るか考えるのが楽しかったのだ。先述の茶店も同じ理由で使っていた。遠足の準備が楽しいのと同じだと思う。

 

秋葉原は変化が大きかった。知っている人は知っているけれども、秋葉原というのは変化し続けてきた街だ。メディアで有名になったのはオタク文化の地としてだろうが、青果市場があったりラジオや無線、電気屋さんがあったり、PCパーツもその流れだと思うが、アニメやゲーム関係のお店が目立つようになったのは90年代後半からじゃないだろうか。私がリアルで知っているのは2000年代からか。インターネットが今ほど普及しておらず、SNSも無かった。PCを自作したり、海外のPCゲームをプレイする層はかなりマニアックな一部の人間の趣味だった。今では若いゲーム実況者が高価なゲーミングPCで海外産のFPSをプレイする。それを数十万、時には百万単位の方が視聴するのだからすごい時代だ。

 

秋葉原メイド喫茶に代表されるようなオタク文化の街として有名になったが、2000年代後半あたりから(私の感覚に過ぎませんので注意)、観光の街へと変化していったと思う。まず飯屋が増えた。大通りを中心に大型店舗の整備が進んだ。そんでもってヤバイお店が消えた。こち亀に出てくるようなアウトっぽい製品を扱う店が消えた。完全駄目な露店も消えた。

 

今回5年ぶりに訪れたら、本通りの西側にあった小物店がだいぶ消えていた。PCパーツ店もかなり潰れていた。同人ショップとかジャンクの露店もお亡くなりになっていた。買い物後にくつろいでいた喫茶店も消えていた。悲しい。代わりに、水タバコのお店(メイドお姉さん付き)とかメイドと飲み放題みたいなお店が出来ていた。「メイド喫茶コンセプトカフェ案内所」とかいうあやしい場所もあった。何だこれは。

 

当時から思っていたが、メイドさんは年々可愛くなっていると思う。5年ぶりに訪れたが、あらためて実感した。間違いなく秋葉原のメイドは可愛くなっている。最初が可愛くなかったという意味ではない。諸々のアップデートが施されているのだろうという推測だ。その手の人達が本腰入れているのだろうか。わからない。ただ一つ言えることは、私には用が無いということだ。

 

今では珍しい吸いながら飲めるカフェで休憩してから池袋に向かい、お目当てのイベントに参加してから帰宅した。3年ぶりの上京、5年ぶりの趣味の地だった。

 

おそらく、地元半年分くらいの下手したら1年分の人間を、1日で見かけたのではないかと思う。久しぶりに人混みの一部となった。普段は自動車通勤しているからというのも関係あるだろうけれど、駅周辺をはじめとした人間の多さにびっくりした。職場と家を車で往復するだけの毎日。所属課の人間とお客様と取引先と、私が1日に目にする人間は50人に満たない(お客様以外は毎日ほぼ同じメンツだし)。道ですれ違う人を合計しても200人いくかあやしい。通勤時すれ違う車両のナンバーを幾つか覚えている。毎朝、お互いに同じ時間帯に同じ場所を通過する。人口10万にも満たない発展し損ねた中小都市、それが私の生きる場所だ。

 

東京ですれ違う人々、その全てにそれぞれ人生があるのかと思うと諸々の社会問題が簡単に解決しないのも頷ける。こんなにも多くの方が生きている。一方で、この集団の半分くらいは選挙に行かない事実と、隣の人を気にかける素振りを見せない幾多のスーツ姿を見るに、都市部の無関心を数年ぶりに実感した次第である。我が地元ならば、大型車両が通行してきたら横断くらい待つし、公共交通機関でお年寄りに席を譲るのも自然な行為だ。

 

本当に久しぶりに外出という外出をした。私が歩いたあの頃の街は帰ってこないし、当時追いかけた夢が叶うことも永遠にない。それでも充実した1日だった。たまには違う景色を見るのもいい。