狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

おすすめ軍事書籍ーイワンの戦争

 私は幼稚園生からのミリオタである。5歳で第二次世界大戦時代の兵器を好きになり、そのまま歳を喰らってしまった。ミリオタとして興味関心を抱く年代と地域は増加したけれども、一番の好みは?と聞かれれば第二世界大戦と答えるだろう。海外で、Great Warと言えば第一次世界大戦を意味するのだけれども、自国が本格的に参戦したという意味でも、第二世界大戦が最大の関心事であることは変わらない。私にとってのGreat WarはWW2である。

 

 ただの兵器好きだった私も、幾つかの書籍との出会いを通して戦争そのものを考えるようになった。

おすすめ軍事書籍ー裏切られた空 Der verratene Himmel - 狂気従容

 イデオロギー愛国心だけでは表現できない世界があること、憎しみと愛情のバランスでは説明できない生活があること、狂気と日常との境界を指し示す困難さを、私なりに学んだつもりである。

 

 さて、今回紹介したい書籍はそんなミリオタ中年の私が是非今読んで欲しいとお勧めする1冊である。タイトルは「イワンの戦争」。第二次世界大戦において最も悲惨な戦場となった独ソ戦、東部戦線。ナチスドイツとソビエト連邦がぶつかった「戦争は人間の顔をしていない」と評するに十分な戦争。本書籍では、地獄の独ソ戦に従軍したソ連軍兵士の記録証言を軸に、「ソ連側から見えていたであろう独ソ戦」が紹介されている。

 

 翻訳の初版は2012年(白水社より)。しばらく在庫がない状態が続いていたので、私は2019年に中古で購入(定価4000円を9000円くらいで……)。調べてみたら2020年に新装復刊版が発売され、今は普通に手に入るようだ。うん、あと数ヶ月早くしてほしかった。

 

 著者の約200回に及ぶ元兵士へのインタビューが先行研究や公刊物からの事例・統計データの紹介と調和しながら、独ソ戦の地獄、狂気の日常を丁寧に鮮やかに蘇らせている。気分を害するような、吐き気を催すような記載も多いけれども、それが独ソ戦、あるいは戦争という事のだと思う。

 

 本編約450ページと大変ボリューミーな書籍であるけれども、戦争の経過ごとに順を追って章立てされているので、背景知識に乏しかったとしても読み辛さは少ないと思う。大まかに分けると、戦前、開戦の混乱、初戦の大敗、スターリングラードの勝利、反攻・ドイツへの進撃、勝利終戦、帰国と戦後……という構成になっている(実際の各章のタイトルは前述とは違うのであしからず)。歴史の大まかな流れさへ把握していれば、ミリオタでなくとも(内容的には歴史属性の人の方が興味を持ちそうだ)すんなりと呼んでいける。

 

 約4年間で軍民合わせて3000万人以上が亡くなった東部戦線。一日平均2万人以上が亡くなる日々が4年間続いたということ。その3000万人、2万人にそれぞれの人生があった。資料や証言から推測される災厄の時代。記憶に残るセリフやトピックが多数掲載されているので、その内のいくつかを以下紹介したい。

 

 独ソ戦では、300万人のソ連兵捕虜がドイツの収容所で亡くなった。重労働が原因の場合もあれば、餓死の様な意図的な虐殺も存在した。「捕虜たちは我々の前で泣訴し跪いた。彼らは人間ではあるのだが、人間らしさはどこにもなかった」というドイツ兵の言葉が紹介されている。空腹の捕虜集団に、犬の死体を投げ込み楽しんだドイツ兵もいたらしい。ソ連兵捕虜は犬の死体に殺到し、素手で犬を切り裂くと腸をポケットに詰め込んだという……人間の死体が食料になったこともあったそうだ……

 

 物資不足は住民と兵士を暴徒に、略奪者に変えてしまった。「住民と赤軍の違いは、住民が襲うのは商店で、兵士が襲うのは住民の家という点だけだった」とドイツの報告書には記されているとのこと。戦争による極端な困窮(戦前から貧しかったわけだが……)は、人々の理性を奪い去るに十分だったのだろう。戦争初期、ソ連側が負け続けていた時期は特に酷かったことが記されている。前線兵士達の粗末な食糧事情が「スプーン数杯でおわる朝食」として紹介されている。

 

 闇市、物資の横領と違法取引に関する記載も目立つ。配給制になったウォッカのちょろまかし方として、戦死者の分をあてにしていたと思わしき記述がある。戦争を利用して一儲けを企んだ士官がパン34トン、砂糖6.3トン、脂身2.6トン(サーロかな?)等を横流しした記録が紹介されている。出世の為に賄賂を贈ったある将軍は、前線が食糧難にある中、豚肉267キロ、羊肉125キロ、バター140キロを賄賂として一度に贈ったらしい。生きたヤギ5頭を贈ったこともあったとか。昨今のウクライナ紛争においても注目されたけれども、略奪と闇市は大陸の戦争につきものなのかもしれない。

 

 とにかく人の命が安い。戦争中、ソ連軍が訓練した戦車兵約40万3千人のうち、約31万人が亡くなっている。死亡率約77%。4年間で同僚の77%が死ぬ世界を想像できるだろうか?「まだ焼かれてないのかい?」というブラックユーモアが初対面の戦車兵同士の挨拶になっていたという……。1921年生まれの若い世代で、レニングラードキエフスターリングラードの激戦地に投入された召集兵の90%が亡くなったとい記載には唖然とする。とても生き残れる自信がない。

 

 読んでいて眩暈がするような悲惨な話がこれでもかと紹介されている(ほのぼの話も多少はある)。特に占領地域における集団での性犯罪-ウクライナでも報告のあった-に関する記述は、30年来のミリオタをしても読み飛ばしたくなる。少数民族が数千人強制移住される。ナチスと戦っているはずなのにユダヤ人が迫害され戦後粛清の対象となる。戦前、農業集団化に伴う混乱で1千万人が亡くなる。幾人もの運命が、それこそ数千数万人の命がほんの数行数ページの間に消えていく。

 

スターリン主義の台頭を仕方なく認め、体制を守るために自ら戦い、辛酸をくぐり抜けた人々が、戦後も暴君の君臨を容認した。不幸なことだ。祖国は隷属を免れたが、自らを奴隷化したのだった」という著者の一文に凝縮されているが、ソビエトあるいはロシアで生活するという事は何を意味してきたのか、思慮せざるを得ない。

 

 このタイミングでこの書籍をお勧めする理由はもちろん、ウクライナにおける戦争を念頭に置いてのことである。今、彼の地で起きていることと本書の内容は密接に関連していると私は思う。ロシアの時にはウクライナの行動を考える上で、本書がその一助となることは疑いない。単純な独ソ残酷物語ではなく、大陸における戦争、連続した地域の紛争という日本人には認識し辛い部分に気付きを与えてくれる部分もある。値段の高さ、ページ数の多さそして何よりも内容の暗さと一般人受けする要素はまるでないけれども、今まさに読むべき書籍であると私は推したい。

 

最後に、あるソ連兵のインタビューを紹介して「イワンの戦争」について締めくくりたい。

「家並みを見て、私たちは泣いた。家々はこぎれいで小さく、みんな白く塗ってあった」

「両方を比べるのは面白かった。俺も同じようなところ、つまり農場で育ったからだ」

「一言で言えば。豊かということだ」

「資本主義の農場の方が豊かだった」