狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

心こそ大切なのか

「ただ心こそ大切なれ」(四条金吾殿御返事)
この文言、創価学会員が好んで引用する一節ではないでしょうか。

「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(兄弟抄)
こちらも引用されることが多い文章ですね。

 

ここでは両遺文の意義・中身は吟味しません(ちなみにですが、四条金吾殿御返事には真筆が存在しません)。フォーカスしたいのは「心」です。日蓮鎌倉時代の人間なので、心というものを現代風に解釈していないのは当然ですが、では現代人はどうでしょう。今回は、心こそ大切なれで大丈夫なのか?少し記事にしたいと思います。

 

心はバックボーンとしての脳を無視できない……というのは大方の現代人ならば納得できるでしょう。心には物理的な背景があり、実体が存在します。脳です。精神・感情-心の表現型―というものが、脳の働きで変化することは正当な研究からも、そして個々人の実体験からも納得できるかと思います。

 

脳科学」というフレーズで箔をつけた胡散臭い書籍が氾濫していますが、本来は生理学(あるいは解剖学とか?) の探求領域の1つに過ぎないはずです。今は変なブームに乗っていますが、本来は伝統的かつオーソドックスな探求対象かと思います。大河ドラマにあわせて特定の時代が注目される様なものですかね。心の背景に脳があるのは良いでしょう。では、脳の先には何があるでしょう?

 

かつて、脳に物理的な施術を施し精神疾患を治療する精神外科という分野がありました。脳切除のロボトミー手術が有名です。その功罪は別にして、脳という物理的な変化が人間の心を変化させるという事実を実証したことの意味は非常に大きいと思います。

 

アルコール依存症者や薬物中毒者の一部で、脳の萎縮(と人格変化)が認められるのは有名な話です。動物実験レベルでは、幼年期の生育環境が脳構造に変化を与え、ストレス耐性に影響を与えることなどが確認されています。人間の症例報告においても、因果関係の有無は未決にしても、脳構造の変化と人格・機能変化の関連性は多数報告されています。虐待された子供の研究や戦争後遺症としてのPTSD等が分かり易い事例と言えるでしょう。

 

心には脳と言う物理的な背景があり、その脳はハードウェアであり、様々な刺激によって変化する……場合によっては可塑的でなく永続的な不可逆変化になり得る。かなり極端な例を挙げると野生児が有名でしょうか。野生児、幼少期に一定期間非人間的な扱いを受けた子供は、言語機能や人間としての社会性を身に着けることが困難であるという幾つかの事例(臨界説)。

 

専門家でない私には、野生児として報告されている話の中から学術的に信頼のおける事例を選別吟味することは出来ません。脳構造の変化と心(人格や精神)の関係について、具体的な原因を検討することも考察することも難しいでしょう。それでも、心の実態としての脳が、腕や足と同じ物理的な背景を持った体の一部であることを十二分に認識させてくれます。

 

認知症アルツハイマー病など、一部の脳疾患は人格を変貌させてしまうことがあります。メカニズムの全貌が未だ解明されていないとは言え、脳構造の変化が心を変化させる事例の1つかと思います。脳の先には道理があると。

 

ちょっと余談ですが、ソシオパスやサイコパスのような(これらはオカルトでも比喩表現でもなく物理構造を背景に持ったサイエンス)状況を果たして改善できるのか?という問いかけは、人権や宗教の在り方を大きく変化させる可能性を秘めています。だってそうでしょう?他人の人権を何とも思わない人間、それが物理的に更生不可能と言うのならば、どのように遇すれば良いのか?座敷牢の復活か、予防的処置(つまり物理的に排除する)か。脳科学の危うさはいずれ身近な問題になるでしょう。

 

創価学会は、「不可能を可能にする信心」と謳い「祈りとして叶わざるなし」と宣伝してきましたが、本当に「不可能を可能にしたか」と言えばNoです。例えば、不老不死のような道理の外にあることを「可能だ」とは言ってきませんでした。死者の復活の様な、呪術的な宗教団体にありがちな主張は排してきました。

 

「不可能を可能にする信心」「祈りとして叶わざるなし」……でも道理には逆らえないよと。それはまぁ当然と言えば当然で、私もおかしなこととは決して思いません(功徳論、本尊幸福製造機説、疾患持ちメンバーへの励まし等は別の話です)。御肉芽のことは少し忘れて下さい。

 

人体に関して、これまた極端な例をあげますと、事故や病気等で不可逆的に失ったもの、例えば手術で切り取った臓器が復活する……などということはないわけです。機能として代理が効いたとか、失っても生活レベルに変化が無かったとか、そういう事例は多分にあるだろうけれども。何らかの理由により物理的に欠けてしまった、そういう不可逆的な変化は覆せない。流石の創価学会もそれは認めてきました。

 

創価学会はその様な場合、「馬鹿にされない境涯になる」「祈っていけば結果的に以前より良くなる」「全部意味がある」などと指導してきました。その指導で元気になった人もいるでしょう。逆に苦しくなった人もいるでしょう。ここではその功罪は問いません。現世利益重視で不可能を可能にすると宣伝してきた団体。そんな創価学会ですら、物理法則には従ってきました。道理に逆らう主張はしてきませんでした(御肉芽のことはもう少しだけ忘れて下さい)。創価学会の信心で空中浮遊は出来ません。

 

で、心の話に戻ります。前述したように、心には物理的な背景としての脳があり、脳の物理的な変化は時に不可逆的です。萎縮したり、切除したり、元々欠損していた場合、「心」はどう頑張ってもある一定の範囲から変化しません。それは道理です。

 

創価学会は最低限の道理は認めてきました。死者の復活だとか不老不死だとか、物理法則を無視するような課題を可能とは言ってきませんでした。では「心」はどうでしょう。観測困難な領域に逃げていませんか?

 

「心」というものを観測困難な、宇宙生命とか境涯とか九識論とか(九識というターム、日蓮真筆遺文には殆ど存在しない)そういうフィールドに逃がしていませんか?創価学会員の言うところの「心こそ大切なれ」は、どこか非科学的というか、現代科学の隙間に潜みながら無理筋の根性論を日蓮という権威を利用しながら振りまいているだけと言いますか……聞いていて結構怖いのですよ。

 

高さ1mから飛び降りて骨折する人もいれば、無傷な人もいるでしょう。高さ3mならどうか、5mなら、10mなら……100㎞なら?全員亡くなりますよね?心も同じですよ?科学・物理法則に縛られた臓器なのです。

 

このテーマ、宗教と心と科学、そんな簡単にケリがつく話ではないと思いますので、また色々考えて記述したいと思います。何が言いたいかと言うと、いずれ心や人格を数字で表現できる時代がくるだろうということ、物理的に変わらり難い心もあるということです。

池田大作との思い出

生活のため、生きるため、信仰あるいは創価学会というコミュニティーを認める必要があった私にとって、心の底から素直に池田大作を尊敬したことも、師と仰いだことも、無かったと思う。「尊敬しなければいけない」という強迫観念とそこから生じる「尊敬しようとする努力」はあったけれども。

 

池田氏の存在よりもイカレタ宗教家族の方が余程、私の人生に影響を与えた。もちろん悪意味でだ。そのため、創価学会から距離置く際、池田氏への葛藤は全くなかった。私にとっては、生活を成り立たせる為に社長の自費出版書籍を読む、そういう類の扱いだったのかもしれない。

 

そんな私だが、池田氏との忘れがたい思い出が2つある。一応断っておくと、自慢話でも何でもないし、これと言って重要な情報も含まれていません。個人的な、ほんの些細なエピソードです。

 

1つ目。私は一回だけ、池田氏から直接声をかけられたことがあります。特に長い会話でも何でもないですし、私が特別な人間だったからでもありません。池田氏が出席する創価大学の式典で、たまたま前の方の座席に座る機会があったからです。

 

皆さんもご存知かと思いますが、池田氏はよく大きな会合で、出席者に対し質問をすることがあります。質問内容は、多岐にわたります。質問することが会員とのコミュニケーションだったのかなと思います。

 

で、ある式典で私の隣に座っている女学生が池田大作から質問を受けました。女学生は突然のことで緊張したのか分かりませんが、答えられずにいました。なので、隣に座っていた私が替わりに答えてしまいました。その時、池田氏から声をかけられました。

 

「君に聞いたんじゃない。余計なことは言わなくていいんだ」

 

とです。私が池田大作から直接かけられた言葉はこれだけですね。余計なことは申し上げません。但し、必要だと思ったことを発信させてもらいますよ。

 

2つ目。池田氏が出席する会合に、金属探知をすり抜け、小型バールとスパナを持ち込んだことがあります。

 

あれは高校生の時、なぜか地域の代表として池田記念講堂での会合に参加することになった日。いつもの通学バックに荷物を詰めて、担当者の人と一緒に八王子まで行って、初めて池田大作と言う人物をこの目で見た日。創価学会のことも公明党のことも良くわかっていなかった17歳の夏でした。当然、会合参加に荷物検査があるなんて知らなかった。

 

当時の私は、通学バックに小型バールとスパナを常駐させていた。使用する機会は滅多に無かったが、何となく持ち歩いていた。中高生にありがちな、歪んだ小道具愛である。んで、そのバックをそのまま持って行ったわけです。

 

式典開始前、講堂前に人だかりができて、列を作って入場待ちとなってしばらく、前の方にゲート状の器具が設置されていることに気が付いた。金属探知機だ。私の無駄知識が役に立った瞬間だった。やばい。バックの中には小型バールとスパナが入っている。見つかれば面倒になる。

 

もう少し観察する。手荷物は手前で目視確認。金属探知機は手ぶらで潜るみたいだ。これなら、バックさえやり過ごせば大丈夫だ。待機列の人混みで周囲の視線を遮りながら、小型バールとスパナの位置を変える。内側にジッパー付きの収納スペースがあるタイプのバックだったので、そこに動かす。小型バールとスパナをタオルで包み、ぱっと見で分からないようにする。小型バールとスパナがある方を机の下側にして、手荷物チェックのお姉さんに渡す。無事突破。冷や汗が出た。会合どころではなかった。

 

で、入場して式典が始まってから気が付いた。「もしかして私、凶器を持って池田大作に接近した数少ない人物なんじゃない?」と。勿論その「意図」は無かったわけだけど、式典中そんなことを考えてしまった。

 

その時以来、池田氏が出席する式典に参加するたびに考えるようになってしまった。「私がもし、いや、私でなくても他の誰かが、凶器を忍ばせて池田大作を誅殺したら、歴史は変わるのだろうか」と。私が創価学会公明党について、知見を得たときには池田氏は既に表舞台から消えていた。その機会が訪れることは無かった。意図も無かったけど。

 

独裁に対抗する最高の手段は暗殺である。一人の権力者によって維持される組織は、1人の死によって終わる。だが、創価学会の場合、そう単純な話ではないだろう。現に、10年以上姿を現さない男の名を借りた連中が、数百万人の活動家を通して、この国に影響を与え続けている。池田大作がどこかのタイミングで亡くなっていても、創価学会がその瞬間に消えるということは無かったろう。

 

凶器は狂気に変わったかもしれない。余計なことは言わないかわりに、伝えるべきことを進言するようになったかもしれない。私にとって、池田大作との個人的な思い出はこんな感じです。特にオチはありません。

池田大作怒る(創価大学での思い出)

かつて、本部幹部会など大きな会合の席上、壇上に居並ぶ幹部を池田氏が強烈に糾弾することがあったのは有名な話です。

 

本部幹部会等で幹部を糾弾するのは参加者の記憶に残すという面もあると思いますが、会長辞任以降は、学会本部周辺に影響を与える手段の一つだったからではないかとも私は考えています(会則上、名誉会長には実務上の権限はありません。全ては現役の会長に委ねられています)。もっとも、池田氏の性格的な部分もありますから、単純にブチ切れていたのかもしれません。複雑な指揮系統、面従腹背の幹部、池田氏のスタンドプレー。まぁいつもの創価学会です。

 

私は特に、池田氏が正しいから怒られた人物は悪党!などど短絡的なことを話したいわけではありません。会員の人気を維持するための池田流のパフォーマンス、あるいは人を貶す池田氏の性悪さを示すものであったとも思いません。人間のすることですので、うまくいくこと、いかないこと、あったかと思います。All or Nothingで考えるのは危険です。

 

私は一度だけ池田氏が怒るシーンを直接目撃したことがあるので、そのことについて書きたいと思います。

 

2010年4月、私は縁あって創価大学の入学式に参加しました。その席上、池田氏が怒る姿を初めて目撃しました。池田氏は壇上の教員の一人を非常に強い口調で糾弾しました(怒るではなく激怒、怒髪天を衝く勢いでした)。以下記憶を基に記載します。

 

教員の名前は伏せておきます。私が覚えているは2名の教員に関するものです。その内の1名は、どちらかというと半分叱咤、半分激励(以前戦っていたようにまた頑張れよ!というニュアンス)でした。

 

問題はもう一名の教員に対してです。
以下、記憶の限り正確に描写します。

 

池田大作、突然強い口調で、教員席のある人物の方に向かって怒声を上げる。
「そこの髭!」
「お前はしっかりやっているのか!」
教員は黙ったまま。
改めて教員に対して強い口調で
「不服か!不服なのか!」
と詰問。
「てめぇは、」
新入生の前なのでフォローが入る
「てめぇというのはドイツ語なんだ(テーメのことでしょうか?)」

しばらくして糾弾された教員から、
「学生に食事をおごるなどして、親身に指導しています(こういう趣旨の発言でした)」
と弁解がでる。

その後は少しやり取りをした後、新入生への激励に戻る(前半の激怒していた部分が強烈に印象に残っていて、この部分は忘れました)。

それ以外にも、

「庶民を馬鹿にする、学会を馬鹿にする、私を馬鹿にして」
「言論は自由だけれども」「悪い教員は叩き出せ!」
「悪い奴はもう随分追い出したけどね。そうだな?(大学首脳陣へ問いかけ)」
大学首脳陣、ハイと返答

という場面もありました。

 

この糾弾された教員、確かに評判のよろしくない人物でした。学生への態度、研究室での振る舞い。特に酒癖が悪いことで有名でしたね。多分にそれらが池田氏の耳に入ったのでしょう。正直、「あの人じゃ仕方ないか」なんて思いましたよ。人前で罵倒はどうかとも思いましたが、あの人が普通に注意されて態度を変えるとも思いませんね。

 

2010年の6月には、池田氏は表舞台から姿を消すので、あれが最後の糾弾だったかもしれませ。今となっては池田氏が何を考えていたか、何を意図していたのかはわかりません。ただ、池田氏の存在が、バ幹部への抑止力になっていた部分もあるんじゃないかなって思います。まぁ、組織全体が駄目だと抑止力も何も関係ないですが。

本部職員の傾向

私は、学会本部(地方会館配属、聖教新聞配属含む)と関連団体(大学、ニット、第三文明等)に新卒で採用された方を思い出せるだけで19人知っています(男性15人の女性が4人)。現役の職員、関連団体関係者はカウントしていません。あくまで新卒採用を得た方です。その方達を見ていて思ったこと、彼等から聞いたことを書いていきます(年度によって募集人数等が違いますので、聞いた話が常に当てはまるとは限りません)。

 

私が聞いた話では、関連団体職員というのは単体での募集はしておらず、本部職員の採用試験を受けた人物の中から選ばれるそうです(つまり関連団体での採用は、本部職員としての不採用が前提になる)。ちなみに、親族が本部職員として採用されていると本部職員にはなれず、関連団体にまわされるそうです(大学職員とか有名幹部の2世がそれなりに居た)。

 

本部職員と外郭団体、採用される人物像には違いがあります。本部職員として採用される人物の特徴は、組織に従順な“普通”の若者です。変わり者、ヤバいことができそうな奴は関連団体に回されます(もう一度言いますが、あくまで私の感覚です)。聖教新聞配属になった人物は、本部採用者の中でも少し毛色が違う人物が多い気がします。

 

私が感じた19人の性格ですが、私個人と相性の悪い奴は何人か居ましたが、性悪に当たるようなクズは特にいませんでした(繰り返しますが私の感覚です)。多少素行が荒い人物が数人いましたが、採用決定後に大人しくなりました。人あたりとノリが良い人物が多かったです。生真面目タイプの方もいましたが、無口、寡黙な人物は少なかったです。私生活に関しては、飲みも遊びも程々に経験しています。普通の若者です。

 

筆記試験が1回、面接は平均して3‐4回あるそうですが、本部職員の最終面接は意思確認に近い面接だった聞いています。本部職員の最終面接では、原田会長含む最高幹部の面々が担当になるそうです(私が聞いた方が言うには、最終面接は30秒くらいで終了したとのこと)。

 

採用が決定されると、国政選挙などの大型行事が突然発生しない限り、4月の入職前に約半年間、月1回の指導会が開催されます(だいたい10月くらいからスタート)。指導会は、男女別で行われます。かつては本部職員と関連団体職員で別々の指導会を設けていたそうですが、2009年頃に一本化されました。恐らくですが、学会本部を中心とした中央集権型組織構築の一環でしょう。

 

女子は、幹部の話を聞き指導を受けるだけの比較的緩い指導会です。詳しい内容はそこまで聞きませんでしたが、恋愛に関する指導、池田大作と自分の間に誰も入れてはいけない等の指導を受けるそうです。


男子の方はそれなりに厳しい指導(信濃町への忠誠心を養うための追い込み)があるそうです。入職前半年間で折伏(本尊流布)1世帯の達成が義務付けられています。折伏を決着できるように、内定者2人あたり1人の職員が担当者として配置されます。

 

月1回の指導会では、人間革命等の著作を読んでの読書感想文(決意文)の発表があるそうです。創価学会が大好きな、決意を言わせて追い込む方法が採用されています。人によっては、顕正会対策の「破折音声」などが渡され、対論訓練も始まります。私が八王子に居た頃だと、MD音源が現役でしたよ。びっくり。MP3だと複製簡単だからかね。

 

ある年度の職員内定者が集まる最初の指導会で担当幹部が「今すぐ敵と対論出来る人はいますか」と内定者に質問した時、内定者が誰も手をあげることが出来ず、質問した担当U氏がブチ切れ、別の担当者がそれをなだめるという“アトラクション”があったそうです。その年はそれ以降、全ての質問に対して内定者全員が挙手したそうです。美しい師弟の絆ですね。

 

指導会で日蓮仏法の検証や、創価学会史の検討などは行われません。創価学会の教義に疑問を持つ様な人物は続けていけない世界です。様々な矛盾を気に掛ける人物もいましたが、「先生のため」の一言でそれを飲み込める人間だけが職員を続けられます。新入職員を教育する側(信濃町)の都合が全てです。

 

指導会の欠席は基本出来ません。事故扱いになります。学生の本部着任等もそうですが、授業を休んででも参加する必要があります(学会行事関連での欠席に関しては、複数の創価大学教員から抗議の声があがっていますが、権力は信濃町の方が強いです)。これまた余談ですが、春休みに最後の思い出としてスキー旅行に行き、そこで事故(スノーボードで怪我をした)を起こしたがために、職員の内定を取り消された人物がいるそうです(日本最強のブラック企業だな)。

 

4月を迎えるとそれぞれの職場に配属されます。本部職員の場合、3月の終わり頃から入職前研修が行われるそうです。本部職員の場合、午前の入職式で辞令を貰い、地方会館勤務などの場合は午後の新幹線で東京を離れるそうです。

 

今はどうなんでしょうね。八王子も信濃町も遠い場所で生活していると、情報も遠くなりますね。全く困りませんが(笑)。八王子に居た頃、近年は中途採用を強化しているとか聞きましたが、辞めてしまう方が多いのでしょうか。学会に余裕のあった頃は、学会活動頑張っているけれど職に苦しんでいる人を、関連団体等で中途採用で救済的に採用したケースなんかも聞きましたが、今の学会にそんな余裕はないでしょうね。

本部職員の存在意義

本部職員の存在意義とは何でしょうか。宗教専門家として会員への奉仕が仕事のはずですが、職員がいるお陰でありがたいと思えるようなことが殆どありません。私が創価学会に専従職員が必要だと感じる機会は、墓苑を訪れた時くらいでしょうか。葬儀(儀典部)と墓苑の管理以外に職員が必要なくなれば、学会も立派な葬式仏教といえるでしょう。

 

私は、今の幹部の多くは突っ込んだ教学研鑽というものを経験していないと推測しています。本部職員も含め、大白蓮華レベルの話を読んでいればいい方です。以前、広宣関係者(若い方ですが)に率直に現状の教義を尋ねたことがありましたが、聖教新聞の解説レベルの内容を言い切るだけの反応でした。理論の矛盾等に対して、あるいは信濃町の変節に関して、彼等は反論できません。反論できない内容には沈黙が帰ってきます(余計な反論はしないように教育されているのではと勘繰りました……)。

 

職員関係者に教義会則の変更に関して直接質問したこともありますが、「今は胸にしまっておいて」と言われ、それ以上話題を続けることが出来ませんでした(この方の場合は、敢えて私を黙らせて守ってくれた部分があると推測しています)。私も日蓮遺文、仏教、他宗の教義を熟知しているわけではないですが、信徒の疑問に答えることが出来ない専門職員にいかなる存在意義があるのでしょうか。

 

専門職の宗教研究者を一定数育成する。広く教義研鑽を行いその結果を会員にフィードバックする。自然科学や諸宗派との関係を考察する。会員の教義的な質問に答える等。宗教専門化である職員には、一般会員の信仰を手助けする責務があります。

 

教学部長だった原島崇氏が創価学会を離反したおかげで、教学部そのものが縮小したという話を聞いたことがありますが、今も尾を引く大きな問題です。職員が教学を体系だって学ぶシステムが貧弱です。

 

選挙、会合、青年大会とイベントに追われ、職員が一般会員と地道な活動をする機会が少ないのも問題です。本人に悪気が無くとも、事務的な対応が増えてしまいます。教義的なアドバイスも人情的なケアも提供し辛くなっているのが、今の学会職員ではないでしょうか。

 

創価学会は現状で既に分裂状態に近いですが、その要因の一つは、本部や職員が会員に満足に対応出来ていないことだと思っています。

 

もう一度言いますが、今の創価学会で専従職員が必要となる場面は、墓苑の管理くらいです。時代を切り開く新しい宗教と主張してきた団体の末路が葬式仏教というのは余りに空しいですね。そして、そんな組織に振り回される会員は非常に哀れです。

創価学会の教義問題(無量義経と戸田城聖)

無量義経」が「偽経(中国撰述)」であれば、創価学会は触れたくない難問を追加でオーダーすることになるでしょう。恥ずかしながら、私も今まで気にすることはありませんでしたが、「無量義経」が「偽経(中国撰述)」であれば、創価学会はかなり苦しい立場になります。なぜかと言えば、二代会長の戸田城聖は「無量義経」によって悟達を得たことになっているからです。気になる人は戸田城聖無量義経、悟達で調べてみるといいでしょう。

 

調べてみると、「無量義経」が「偽経(中国撰述)」であるとの指摘はそれなりに歴史があるらしく、特に近年湧き出てきた問題ではないようです。インターネット上では、複数の論者が研究結果を引用しながら「無量義経」について言及しています。人によっては、経典そのものをある程度読んだ上で判断しているでしょう。この手の真偽論争の常として、「無量義経偽経(中国撰述)説」に反論している方もおります。

 

私は経典を直接研鑽した上での研究結果を自分の言葉として述べられる様な知識・学識を持ち合わせていません。その上で、各論者の主張を読んでみた感想は「疑わしい」、つまり「偽経(中国撰述)」である蓋然性は高そうだと考えています。幾つか理由を書いても良いのですが、殆ど孫引きにしかならないので止めておきます。

 

一つだけ言及すると、創価学会も本心の部分では「無量義経」をインド撰述とは考えていないだろうことが、公式HPから推測できます。創価ネットの教学用語検索で、「無量義経」を調べてみればわかります。因みにですが、創価ネットの教学用語検索では「法華経」の項目において、サンスクリット原典の諸本、チベット語訳、漢訳(3種)があることに言及しています。更に、“経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。”と最近の学説を採用しています。

教学用語検索で調べればわかりますが、創価学会は、「無量義経」=「法華経序品で言及される無量義という名の経典」という発想がインドにおいて存在しなかったことを認めています。インドにおいて「無量義経」が法華経の開経であるという解釈が存在しなかったことを認めています。

 

前述したように、創価学会法華経が“経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。”と最近の主流学説を採用しています。この、編纂地域がどこであったかと言えばインドです。釈尊滅後数百年の読誦暗唱を経て法華経がインドで編纂されたという学説を採用しつつ、「無量義経」は法華経の開経であるという解釈がインドにおいて存在しなかったことを認めています。

 

法華経と「無量義経」の間にもし関連性があるならば、インドにおいて、法華経と「無量義経」は関連性をもって暗唱読誦されていたことでしょう。法華経を暗唱読誦する地域と「無量義経」を暗唱読誦する地域はある程度オーバーラップしていたと考えるのが道理です。オーバーラップしていなければ、「無量義経」を法華経の一部と判断するのは厳しくなります。独立した地域で別々に暗唱読誦されていた経典に後世の解釈として関連性を持たせることは出来ても、成立過程に繋がりはありません。


無量義経」が法華経同様、釈尊の言葉なり真意なりを含むものとして、釈尊滅後のインドにおいて何らかの形で継承されてきたと仮定しましょう。その「無量義経」が「四十余年未顕真実」の「真実」は法華経であるとして、法華経の御膳立てをしている。それにも拘らず、経典成立過程において法華経と「無量義経」は独立しているというのは理論として破綻しています。

 

法華経の漢訳「正法華経(竺法護訳)」が、286年には成立。鳩摩羅什漢訳の「妙法蓮華経」が406年。「無量義経」の曇摩伽陀耶舎訳が481年。「無量義経」が法華経同様、釈尊の言葉なり真意なりを含むものとして、釈尊滅後インドにおいて何らかの形で継承されていたとすると、法華経に比べ随分遅れて漢訳されたことになります。

 

法華経と「無量義経」の経典成立過程に関連性があったとすれば、この漢訳成立年代のずれは奇妙です。法華経編纂地域と「無量義経」編纂地域がある程度オーバーラップしていれば、サンスクリット法華経に触れる過程でサンスクリット無量義経」に触れることになるでしょう(「無量義経」のサンスクリット本は確認されていませんが)。サンスクリット無量義経」が文字化されていたのか、読誦レベルだったかは問いません。

 

上記したように、漢訳成立年代のずれを考えれば、仮に「無量義経」をインド撰述だとしても、法華経と連携して広範な地域で同時に読誦暗唱されていたとは考え辛いと判断するのが合理的です。それを法華経の開経と解釈し、「無量義経なくして法華経なし」と評価するのは無理があります。

 

経典編纂が複数の地域で同時進行的になされていたとしても、「無量義経」=「法華経の開経」という解釈がインドにおいて(法華経編纂時)存在しなかったことを承認するのは、インドにおいて「無量義経」が存在していなかったことを認めているに等しいでしょう。

 

それがどういう矛盾を含んでいるかというと、戸田城聖という人物は法華経とは関係のない経典で悟りを得たということです。今の私には、碌に信仰心がありませんが、創価学会的に言えば、外道の教えで悟達したということです。これも割と昔から指摘されてきたことですがね。


補足
法華経二十八品の成立過程も議論されている状態です。その他経典がどの様な成立過程にあろうと、特に驚く必要はありません。どの道、釈尊直筆は存在しません。天台やそれを参考にした日蓮歴史認識が間違っていたとしても、時代的制約から仕方が無いことです。

約束された崩壊へ(創価家族の末路)

詰んだ世界で何をすべきか。何かする必要があるのだろうか。休日だというのに、全く心が休まない。家に居ると、嫌でも家族のことを考えてしまう。この時期、外出は難しい。自分もコロナの影響を受けているのだと実感した。コロナ恐るべしだ。

 

約束された崩壊へ、我が創価家族は順調に歩みを進めている。私の家族はどうにもならない。多分、誰かが死なないと変わらない。これまでもそうだった。祖父が死に、祖母が死んで家族は少し変わった。改善はされていない。生活様式が変わったという話。

 

最近、父はYouTubeばかり見ている。動画三昧なのは別に構わないが、陰謀論系、偏執保守系の動画にはまっている。ケネディの子孫が生きているだとか、トランプ元大統領が復活するだとか、私に話しかけてくることがある。近隣国を卑下するネタにも染まっている。創価学会を60年以上やってきた末路がこれか。創価学会の指導するところが特に正しいとも思っていない私であるが、広宣流布とか言ってきた人間の始末がコレだと本当に呆れてしまう。

 

元々、父親は保守的だった。あの人の社会階層から考えれば、自民党支持層に近いのは良くわかる。父は創価学会に生まれたが故に公明党を支持し、池田大作を崇拝したのだ。本来的にあの人の立場を考えれば、学会との親和性は低い。父親は、マザコンだ。私と違い、自分の母親を愛していた。母親への義理から、学会に疑問を抱きつつも、創価を続けてきた一面もある。私にはそんな義理は一切ない。

 

いずれにせよ、父親は順調に駄目なネットに染まっている。ネット右翼という言葉がどこまで生きているか分からないが、ネット保守層、陰謀論を好む層の一部がさえない壮年なのは良くわかる。私の父親を見ていると本当によくわかる。リアル世界で碌なつながりがない中、仕事も退職し、触れるのはネットだけ。夫婦の仲は冷え切っている。というか家庭内別居している。染まるのは早いだろう。もっとも、私もリアル世界で碌な付き合いがないので、気を付けたいところではある。

 

母親は本当に相変わらずで、コロナがあるって言うのにタイミングを見て学会活動だ。あの女は本当のキチガイだ。かつて勝手に数百万の財務をし、専業主婦で一円の稼ぎもない宗教狂い。あの女に生きている価値はない。少なくとも家族にとってはまるで価値がない。家族の誰にも愛されていないのに、家族のために活動している自分を見てほしいという願望を捨てない。正面からぶつかって反論すると、発狂して泣き始める。昔あの女が私を良く殴ったように、暴力に訴えれば静かにはなるかもしれないが、理性があるのでやらずに済んでいる。

 

父親も母のことが大嫌いだが、今更離婚もできず、だらだらとあの女の活動に従っている。日常会話の無い二人だが、朝晩の勤行だけは一緒にやる。仏間で二人とも文字通り仏様になってくれると本当に助かる。

 

経済的に一応自立しているので家を出るのも選択肢……のはずなんだが、中々難しい。私には、兄弟がいる。親子関係は壊滅的だが、兄弟は仲が良い。私が相手をしなければ、あいつらは兄弟を使ってくる。これまでもそうだった。縁を切って、一切離れてしまいたいところだが、兄弟を見捨てることになる。兄弟揃って離れたいところだが、既婚者なために向こうの都合もある。

 

もっと早い段階で、兄弟ごと家族を見捨てれば、私は一応助かったかもしれない。いや、それで劇的に人生が良くなるとも思わないが。夢なんて追いかけず、18歳の時にすべての縁を切った方が、生き残れたかもしれない。そんなことを考える。あるいは、14歳くらいで両親を仏様にしてあげればよかったのかもしれない。

 

無職期間中実感したのだが、夢を追いかけて30歳無職になるより、14歳で親を成仏させてムショ入りした方が、生き残る可能性が向上する人も居るだろう。私は一応再就職して何とか生活できているが、もう少し違ければ分からなかった。

 

もっとも、仲の良い兄弟関係が無ければ、私はとっくに人間をやめていただろうと思う。法を守り、他人の人権を尊重し、人間を続けるだけの理由がなくなる。

 

あと何年生きれるか分からないが、私が生きていれば、両親が今以上に老いて介護だ何だと始まった時、あの連中の面倒をみるのは私だ。死にゆく創価学会と心中するつもりの、宗教キチガイを看取ってやらねばならない。彼等が死ぬ頃には、創価学会の衰退敗北は決定的に明らかだろうが、その頃にはボケて何も理解できないだろう。まぁ今現在も話は通じないのだがね。