狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

池田大作と公明党の相違2(創共協定に関連する公文書より)

今回は創共協定に関して、当時の池田大作の動向を交えつつ紹介します。紹介する外交公電は2報。1報は創共協定が締結されたことを伝えるもの。もう1報は、宮本共産党委員長と池田会長の会談(とそれに続く創共協定)の解析といった内容です。

 

どちらの外交公電もアメリカ公文書館がインターネット上で公開している機密期間の切れた公文書です。両公電共、機密区分はConfidential。1975年7月に作成されたものです。

 

まずは協定締結を報じている公電について簡単に紹介します。リンク先を見ると分かりますが、こちらの公電は創共協定締結の事実が淡々と報告されている短い文章です(アメリカ大使館の簡素なコメントも併せて記載されています)。

 


創共協定締結を報じた公電
タイトル:JCP AND SOKA GAKKAI SIGN CO-EXISTENCE AGREEMENT
(日本共産党創価学会、共存協定締結)

PDF文章へのリンク
https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=145966&dt=2476&dl=1345

 

上記リンクの文章は、基本的には協定締結の事実とそれに対する短いコメントを伝える文章ですが、コメントの部分に当時の創価学会公明党の関係を示唆する興味深い記述があるので、抜粋して紹介します。

 

KOMEITO INTERNATIONAL BUREAU CHIEF KUROYANAGI TOLD EMBOFF JULY 28 PARTY LEADERSHIP WAS UNAWARE OF AGREEMENT AND ITS ANNOUNCEMENT HAS PRODUCED SHOCK AND DISMAY WITHIN PARTY.
(公明党国際局長の黒柳は、7月28日、大使館側に「党執行部は協定に気づかなかった。また、創共協定の声明は、党内に衝撃と落胆を引き起こしている」と伝えた)

ここに出てくるKUROYANAGIなる人物は、創価学会の海外係も務めた黒柳明氏と推測されます(他の公電で、AKIRA KUROYANAGIという表記が何度か出てきます)。

 

創共協定というものが、創価学会(池田会長)の独自行動であったことは恐らく事実です(前回記事で紹介した公電からも推察できますし、この後紹介する公電においても示唆されています)。

 

1975年の時点で創価学会(池田会長)と公明党は、別々のヴィジョンを持ち行動していたということでしょう。

 

宮本共産党委員長と池田会長の会談(とそれに続く創共協定)の解析
タイトル:"HISTORIC" JCP/SOKA GAKKAI MEETING CAUSES STIR
("歴史的"な日本共産党/創価学会会談、物議を醸す)

PDF文章へのリンク
https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=151564&dt=2476&dl=1345

 

こちらの文章には、宮本共産党委員長と池田会長の会談(とそれに続く創共協定)に関連して、池田会長の報道関係者への応答内容(インタビュー)、宮本委員長の動向、会談の前後関係などが記載されています。

 

例によって全体的に興味深い文章ではありますが、創価学会(池田会長)と公明党が、当時どの様な立場関係にあったのかを示す部分に焦点を当て、いくつかのセンテンスを紹介します。

KOMEITO REACTION WAS INITIALLY GUARDED, WITH KOMEITO CHAIRMAN YOSHIKATSU TAKEIRI SHOWING APPARENT SURPISE* AT MEETING AND SAYING HE WISHED TO DISCUSS MATTER WITH GAKKAI PRESIDENT IKEDA.
(公明党の反応は当初用心深く、公明党委員長の竹入義勝は(大使館との)会談で外見上は驚きを示し、「池田会長と問題を議論したかった」と話す状態だった)
*恐らくSURPRISEの誤植

 

TAKEIRI TALKED WITH HIM JULY 15 AND REPORTEDLY RECEIVED IKEDA PROMISE THERE WOULD BE NO CHANGE IN GAKKAI SUPPORT OF KOMEITO.
(竹入は7月15日に池田会長と協議した。伝えられるところによれば、創価学会公明党支援に変化は無いという池田会長の約束を受けた)

 


ALTHOUGH NEWS OF MEETING HAS CAUSED CONCERN IN MANY JAPANESE PARTIES, SOKA GAKKAI'S OWN CLEAN GOVERNMENT PARTY (KOMEITO) IS CLEARLY HARDIST HIT.
(会談のニュースは日本の大多数の政党に懸念を生じさせたが、創価学会自身の政党である公明党が明らかに最も大きな打撃を被った)

 

PARTY LEADERSHIP, AND PARTICULARLY CHAIRMAN TAKEIRI, HAS BEEN ACTING AS IF IT DID NOT KNOW OF MEETING. (MAINICHI REPORTER AWARE OF MEETING ARRANGEMENTS HAS TOLD US THIS IS NOT SO, BUT TAKEIRI WAS IN NO POSITION TO TELL IKEDA TO CALL IDEA OFF.)
(党執行部、とりわけ竹入委員長は、まるで会談を知らなかったかのように振舞っている(会談の設定を知っている毎日新聞の記者は「竹入委員長は会談を知らなかったのではなく、池田会長に会談を中止するよう伝える立場にいなかった」と我々に語った))


あくまで毎日新聞記者からの情報提供という形ですが、竹入委員長は会談を知らなかったのではなく、池田会長に会談を中止するよう伝える立場にいなかった。前回の記事でも指摘しましたが、当時、公明党委員長と池田会長は随分離れていたということでしょう。


A SENIOR IKEDA ADVISOR, CALLING ON DCM JULY 15 IN ADVANCE OF IKEDA'S FORTHCOMING VISIT TO HAWAII, EAGERLY PRODUCED PRESS MATERIALS ON THE IKEDA-MIYAMOTO MEETING AND ANSWERED QUESTIONS ABOUT IKEDA'S THINKING.
(古参の池田会長の相談役*は、7月15日、まじかに迫った池田会長のハワイ訪問を前に主席公使(大使館ナンバー2)に電話をしてきたが、しきりに池田‐宮本会談の報道資料を提示した上、池田会長の考えに関する質問に答えた)
*池田会長の上級顧問とも訳せる。相談役にしろ、顧問にしろ、誰かは不明


HIS RATIONALE BOILED DOWN TO THREE POINTS:
(A)GAKKAI AND JCP ARE NOT JOINING HANDS;
(B)IKEDA DID NOT "RECOGNIZE" JCP; AND
(C)IKEDA'S PURPOSE STEMMED FROM BUDDHIST TENETS REQUIRING UNIVERSAL FREE INTERCHANGE AND OPENNESS, AND WAS DIRECTED TOWARD "PROTECTION OF HUMAN FREEDOM."
(彼の論理的根拠は三点に要約される。
(A)学会と日本共産党は手を取り合って連携しているわけではない
(B)池田会長は日本共産党を評価しなかった
(C)池田会長の目的は仏教徒としての信条‐その信条とは世界をまたぐ自由交流と寛容性を求めている‐に由来したし、人類自由の保護に向けられていた)

 

GAKKAI MAN EMPHASIZED THAT "NOTHING HAS CHANGED," NO POLITICAL PURPOSE IN MEETING, AND "AMERICANS SHOULD NOT WORRY."
(何の変化もないこと、会談に政治的な目的が無いこと、アメリカが心配しなくともよいこと、を学会側は強調した)

 

アメリカを警戒させないよう、創価学会サイドが注力していたのが分かります。

 

BE THAT AS IT MAY, CLEARLY THERE ARE COMMUNICATIONS PROLEMS* BETWEEN IKEDA AND KOMEITO CHAIRMAN TAKEIRI IF NOT ANTIPATHY. (WE HAD HEARD EARLIER FROM GAKKAI SOURCES THAT IKEDA WAS NOT HAPPY WITH CURRENT PATH OF KOMEITO.)
(いずれにせよ、池田会長と竹入公明党委員長が反目していないのであれば、両者の間に意思疎通上の問題が明白に存在する(我々は以前、学会からの情報として、池田会長が現在の公明党の方向性に不満であることを聞いていた))
*恐らくPROBLEMSの誤植

 

アメリカ大使館は、池田会長が当時の公明党を良く思っていないことを、学会筋の情報源から把握していたようです。アメリカ外交公電に、池田会長≠公明党であることが明記されていたわけですね。前回記事でも指摘しましたが、公明党の意向=池田会長の意向という図式は成り立たず、それどころか、池田会長は1975年前後の公明党の動向に不満だったということです。

 

今回紹介した外交公電は、池田大作公明党の意向に常に賛同してきたわけではないことを強く示唆しています。

 

前回、1975年当時、竹入委員長が池田会長を批判していたことを紹介しましたが、池田会長の方も公明党の方向性を良く思っていなかったことが明らかになりました。また、池田会長と竹入委員長が随分と離れていたことも改めて浮き彫りになりました。

 

創価学会公明党はイコールで論じられることが多いですが、実際は複雑だったんですね。


追記:
個人的に興味深いと思う部分を抜き出して紹介しました。より詳しく公電内容を知りたい方は、是非原文をお読みください。