狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

教義問題の思い出

今回は2014年の教義会則変更に関する話を記事にします。もう6年も前のことです。

 

当時私が、本部職員周辺(創価大学関係者含む)から聞いた話です(大筋では、教学レポートや遠藤文書の内容と同じです)。時期はあくまでも、私が話を聞いたタイミングです。名誉会長等の発言の時期を示すものではありません。

 

私が最初に教学関係の動向を聞いた時、話をしてくれた方が強調していたことは、創価学会の会憲問題でした。会憲の創設によって、より中央集権的な組織になることを危惧している風でした。話を聞いた時期は、2013年末、或いは2014年の初頭だったと思います(教義問題とは別に、公明党につながりの深いS副会長の態度の悪さなども強調されていました)。

 

次に、教義変更関係の話を伺ったのは、2014年の夏前後。話をしてくれた方が、「池田先生は、大聖人を上人と、ただの一僧侶とするという方針にNoを示している」「教義を判断できるくらいには体調が安定している」と言っていたのを覚えています。

 

池田名誉会長の健康問題。既に周知の事実と化していますが、2010年以降、名誉会長は少なくとも2回は病気になっていて、2010年以降の体調が一定状態という訳ではないようです。今どうしているのかは知りません(もうそこまで興味もありません)。

 

またこの時は、創価学会教学部の実態も聞かされました。教学部といっても専属で教義研鑽をしているわけではないこと、中心メンバーが少数であること(10人前後)、講師を読んで他宗の教義や制度の研修を受けていること等を聞きました。

 

本部周辺の方達が話している内容から、「何やら教義関係で動きがあるらしい」ことは感じ取りましたが、その時は、ここまで大きな問題になるとは考えていませんでした。また、私自身の関心もそこまでありませんでした。

 

暫くして、2014年の11月。創価学会の教義会則は変更されました。その少し後、職員関係者の方と会う機会があったので、「教義会則が変更されましたね」と話を振ったところ、「大御本尊が受持の対象から外れた!」と一言目で返してきたのをよく覚えています。

 

この時は、教義会則の変更、「大御本尊」を受持の対象から外すことが創価学会にとってどの様な意味を持っているのか、私は良く理解できていませんでした。

 

年が明け、2015年の3月。また縁あって関係者と話をする機会がありました。その際は、会則変更をいそがせた中心者の氏名や名誉会長が大御本尊との決別に否定的であったこと等を伺いました。同時に、教学レポートと遠藤文書のデジタル版を譲り受けました。また、反会長サイドで活動している人物(職員)が何名かいることも伺いました。

 

この時期、会則変更に否定的な派閥(公明党関係者含む)が森中教学部長を「説得」しようと試みたのですが、彼は動かなかったようですね。

 

創大系の副会長・幹部陣が粛清にあっているという話を聞いたのもこのタイミングでした。私は信濃町の住人ではないので、内部事情を詳しく把握しているわけではありません。あくまで聞いた話です。

 

もはや末端で教義会則を話題にする人は殆どいませんが、私自身が見たこと、聞いたこと、の記録として記事にしました。創価学会の教義問題(というか日本の仏教団体全般に言える)は、そう簡単には解決しない部分が多いので、信仰の本分から言えば、些細なことなのかもしれませんがね。