狂気従容

軍事、歴史、宗教などを語ります。

遠山清彦衆議院議員の辞職に見る創価の格差社会。

公明党遠山清彦衆議院議員が辞職する。緊急事態宣言下、銀座のクラブに出かけていたことがバレたからだ。

 

遠山氏は、創価学会の学生部組織が主体となって応援したことのある議員だった。私も、2000年代前半の学生部時代に、遠山氏の話を直接聞いたことがある(八王子に彼が来た)。

 

イギリスへの留学中は、屋根裏部屋みたいな狭いところに住み込んで、苦学したそうだ。公明党の神崎代表(当時)がイラクを訪問した時に同行して、「代表は旅客席だったけど自分は貨物室だった」なんて話も聞いた。

 

苦学して博士号を取った努力の人。大学の先輩でもある。だから応援しよう。そう、純粋に信じた人もいたでしょう。当時、彼の当選が為、自分の時間を使ったのが本当に馬鹿らしい。

 

当時の私は、学会のことも公明党のことも良く知らなかった。否、知ろうとしなかったのかもしれない。創価組織と共に生きなければならい。厳しい宗教家族に生まれ、そう思い込んでいた。疑えば、罰が当たると思っていたし、そう呪詛のように言われてきた。創価・公明を知らなかったというよりも、自分の人生を生きる権利を知らなかった。

 

私は、公明党地方議員の親族に生まれ、創価信仰の強要と選挙活動に、苦しめられた。我が家が、創価にかけたリソースを、他のことに使っていれば、もっと人生があったと思う。

 

もっとも我が家の場合、両親の基本人格がアレなので、創価学会が無くとも厳しい部分は残るだろうが。それでも今よりはマシだったと思う。

 

我が家では、選挙に出る時、土地を売って資金にしたと聞いている。車を変えれば、嫌味をいわれたそうだ。

 

母親の月の携帯代だけで1万を超える。聖教新聞を3部。同じ新聞を3部購入。馬鹿げている。未来部なんていないのに、未来部用の機関紙まで購入している。一体いくら財務に使い、選挙活動に使っただろうか。百万単位の財務を、何度かしている。

 

それだけ尽くして、我が家はまったく報われなかった。家族仲は悪く、家に余裕はなく、世継ぎもいない。ここで終い。戦後社会の縮図として、社会実験の失敗作として、ゆっくりと滅びるのを待つだけである。

 

創価学会の地方議員とその家族は、ほとんど生贄だと思う。まったく報われない。引退後も選挙の拠点・中心者になることが多いので、一生創価に尽くすことになる。子供は完全に巻き添え被害者である。創価大学でも、酷いケースを何件か見聞きした(大学で議員の子息と知り合えた)。

 

もしこのブログを見ている人で、創価学会公明党に興味を持っている人がいるならば、地元の学会幹部・公明党議員の子息がどんな生活をしているか、明るい笑顔で生きているかどうかを見てほしい。そこで創価学会公明党の未来がわかると思う。

 

国会議員になって、高級クラブに出入りする人がいるかと思えば、辛い搾取の人生を30年と歩んだ者がいて(もっと厳しい人もいるでしょう)、創価学会も立派に格差社会をやっているのだなと思いますね。